Tuesday 31 December 2019

ザコバネのスープ

テレビを点けると、高島ちさ子の「麗しのポーランド音楽旅」をやっていた。ポーランドの京都と呼ばれるクラクフと山岳リゾートのザコバネを訪れ、ヴァイオリンを披露していた。昨年の夏に旅した事もあり、懐かしく見入ってしまった。

ポーランドというと、広大な野原が続く平坦な土地をイメージするが、南部のこの辺は山岳地帯である。山を越えるとスロバキアに入り、更に行くとハンガリーのブタペストに辿り着く。特にザコバネは標高2000mもあるので、夏でも肌寒い。山越えの途中、暖を求めて飲んだスープがとても美味しかった。お金を払おうとするとユーロ建てだった。知らない内にポーランドからスロバキアに入っていたと、その時初めて気が付いた。

クラクフは大戦の被害に遭わなかったため、ワルシャワと違って落ち着いた雰囲気がある。市街から車で2時間程行くと、アウシュビッツ収容所がある。20年ほど前に行ったので、今回は行かなかった。代わりに「シンドラーのリスト」の工場が現存しているというので寄ってみた。ただ観光客の長蛇の列で、中に入る事は諦めた。土産物屋では、ユダヤ人の木彫り人形を買った。昔は大きなゲットーがあった名残なのだろうか?と思った。戦後はユダヤ人に代わり、ベトナム人がやってきた。社会主義圏の交換プログラムでやってきた学生が移民になり、今では5万人位いるらしい。ただ安い労働力のイメージなのか、好感度はロシア人と並んで余り良くないと聞く。代わりにいいのがイタリア人、フランス人と日本人らしい。

Sunday 29 December 2019

マックの秘密

知り合いが「俺は食べないから」と、くれるマックのタダ券(株主優待券)がある。その券を持って、ここ数年は週に一度はマックに通っている。我ながらよく飽きないと感心するが、暫くすると「また食べてもいい」と思えてくるから不思議である。最近はグランクラブハウスに凝っている。肉の質がいいのと、焼いたパンとレタス、ベーコンが美味しい。

そのマックだが、創業を描いた「ハンバーガー帝国の秘密(本題:The Founder)」は面白い映画だった。創業者のマクドナルド兄弟は、それまで皿で出していたハンバーガーを、今のテイクアウト方式にして成功した。ただは全米に広めたのはレイ・クロックという男だった。元々はミキサー売りだった彼は、そのモデルに心酔し、フランチャイズ化で大きくすることに成功した。ただ最後は、創業者やパートナーの奥さんまでも乗っ取ってしまう後味の悪さもあった。今や世界で4万店近い店舗を持ち、売り上げは2兆円、利益は5000億円のマックだが、そんな冷血な逸話があったとは知らなかった。

映画の最後では、「マックは食品会社ではなく不動産会社である」と言っていた。人の集まる一等地を買い、フランチャイズ契約をして賃料で稼ぐのが今のビジネスモデルである。人がそこに行くのは、ハンバーガーを食べに行くというより、広くて清潔な場所で寛ぐことが出来て、おまけに子供も遊べるスペースがあるし、車も停められるからだ。言われてみれば、確かに場所貸業なのかも知れない。

Friday 27 December 2019

冬の伊豆旅行

伊豆に、犬も泊まれるホテルがあると言うので行ってみた。ゴールデンレトリバー2匹を荷台に積んで、東京から走る事3時間、着いた先は高台に建つ小奇麗な宿だった。部屋も清潔で、とても犬が泊まる宿とは思えなかった。ドックランも付いていて、有難い限りであった。今や犬を飼う家庭は、全体の20%の上るというから、このホテルもそんなニーズを掴んでいるのだろう。

20%というと、5軒に1軒の割合で犬を飼っている計算になる。因みに近所を見ると、両隣とお向かいには皆犬がいる。3年前は12%だったというから、ここにきて急速に増えている事が伺える。それは高齢化との関係だろうか?子供も出て行き、夫婦2人きりになると寂しくなる。そんな時に癒してくれるのがペットである。隣が飼っているのを見れば、「だったらウチも!」と考える波及効果もあるかも知れない。

久々の伊豆はやはり魚が美味しかった。ドライブインのアジ定食は活き作りだし、宿で出たのは高級なノドグロの煮つけだった。ちょっと車を走らせただけで、太陽の光も強いし、何より海の青さが美しい。若い頃、スキューバダイビングに凝っていた時期があった。伊東の先の海洋公園は、更衣室から直接海に入れる施設があったので、良く通った。特にこの冬の季節は、水の透明度が高いので訪れるダイバーが多い。外は寒いが水の中は意外と温かい。岩伝いにダイブすると、魚に出会う頻度も高かった。一日潜って帰途に就くと、充実した満足感があった。そんな日々を思い出したりした。

Sunday 22 December 2019

ゴルゴ13の由来

読売新聞の「先生のコトバ」というコラムがある。今週は齋藤隆夫さんだった。あのゴルゴ13の漫画家である。御年83歳というが、シリーズも健在だし、写真でみるお姿はお元気そうである。コラムでは、大阪の中学校で担任だった先生を偲んでいた。試験の答案を白紙で出したら、「せめて名前を書きなさい」と言われたそうだ。そのゴルゴ13のデューク東郷の「東郷」は、その先生の名前から取ったという。余程心酔していた事が伺えた。

子供の頃の先生は大きな存在である。自身も転校生として7人の担任と出会ったが、全て女の先生だった。小学6年の時だったか、Fという女にしては毛が薄い先生が担任になった。F先生は授業が終わると、良く煙草を吸っているのを見た。女が煙草を吸うのは、子供心ながら生理的に受け入る事が出来ないでショックだった。そのため、クラスで一切拒絶の心理ボイコットになってしまい、成績は落ち込んでしまった。今から考えても、あの時ほど嫌な1年はなかった。そんな事だから、逆にいい先生に付けば、斎藤さんのように人生の師範になっていく事が良く分かる。

読んでいて、有名大学を出て一流企業に勤める事が必ずしも全てではないと、改めて思った。勿論、齊藤隆夫さんみたいな天才漫画家は稀だろうが、ゴルゴ13は未だに世界を股に掛けて活躍する、何年経っても歳を取らない現役である。そんな夢を追い続ける芸術家が羨ましい。”子供の頃の出会って結構大きいんだ!”と改めて感じた記事だった。

Saturday 21 December 2019

チャウシスクの最後

今月はルーマニア革命30周年だという。今から30年前の1989年12月25日に、大統領チャウシスク夫妻が処刑された。一時はヘリで逃亡を図ったが、捕まって裁判に掛けられ即刻銃殺された。その光景は今でも映像で公開されているから生々しい。サダム・フセインの時もそうだったが、独裁者の末路はあっけないものだ。

革命の引き金になったのは、ソ連の崩壊と国内の食料不足だった。西側からの債務返済を優先するあまり、日常の食料まで外貨獲得の対象にしてしまった。そのツケが国民の我慢を超えた訳だが、そんな時に作ったのが「国民の館」という巨大な大統領府だった。3年前にブカレストを訪れた時に、その建物に寄ってみた。ただでさえも街並みは、旧社会主義国特有の寒々しいビルがとても気味悪い。多分装飾を施していないためだろうが、その「国民の館」も例外ではなかった。当時はアメリカのペンタゴンに次ぐ世界で2番目の規模を誇り、建設費も現在のお金に換算すると4000億円以上もしたという。そもそもチャウシスクが建設の着想を得たのが、北朝鮮のピョンヤンにある労働党本部訪問だった。当時両国の関係は近かったので、その処刑が今でも金一家のトラウマになっている話は有名である。

ビルには3000の部屋があり、多くの観光客が訪れていた。大理石で出来た壁と床は、歩くと天井に木魂する仕組みになっていた。独裁者がそこで手を叩くと、反響で訪問者を威圧する効果もあったとガイドが話していた。今から思えば馬鹿げたとしか思えないが、その空虚さが何とも言えないルーマニアのイメージと重なっている。ひょんな事で、暑い中車を走らせた日々を思い出した。

Tuesday 17 December 2019

反日種族主義の本

今ベストセラーになっている、李栄薫氏の「反日種族主義」を読んでみた。改めて韓国人は情緒的で、フィクションをいつの間にか歴史にしてしまう国民性だと思った。例の慰安婦の問題も、本では実際のデータで分かり易く解説していた。読んでいると、そこから朝鮮女性の暗い歴史が浮かび上がってくる。日本も貧しい時代に東北で娘を売り飛ばす話を聞いた事があったが、朝鮮はもっと格差が激しかっただけに悲惨だった。戦時中の出来事もその大きな流れを汲んだ事が良く分かるし、寧ろ待遇は改善したようだ。そもそも慰安婦問題は、80年代まで吉田清治という男が本を出すまで話題にすら上らなかったから不思議だ。勿論今ではそれが嘘だったと分かり、その吉田なる人物も、実は朝鮮人の成りすましたと言われている。兎角、過去を都合良く書き換えてしまう典型的な例である。

先日金正恩が白馬に乗って登った白頭山もそうだ。今では朝鮮民族の霊山になっていると言うが、本では19世紀までは普通の山だったそうだ。何やら抗日のスローガンが書いた木片が見つかり、聖地化したらしい。竹島問題も似たような話だ。本では、韓国が独島と呼ぶ島は昔の于山(うざん)島という名前の島だったそうだ。多くの地図でそれを検証しているが、その于山島は時代と共に場所が移っていた。どうやら島が動いたらしい。

知らなかったが、元朝鮮総督だった国立中央博物館も解体したという。韓国建国の国会が開催されたり、朝鮮戦争の時の人民軍庁舎だった歴史の舞台を、1993年に金泳三大統領が壊してしまった。そう言えば最近、日本原産の木を抜いた話があったが、全くどうかしているとしか思えない。過去を消し去って行くと、自身のアイデンティティまでも失ってしまう。情緒的に成らざるを得ないのは、その為かも知れない。それにしても著者の勇気も沙流事ながら、まだ韓国にも理性のある人がいる。

Friday 13 December 2019

COP25あれこれ

現在、COP25がスペインのマドリッドで披かれている。スウェーデンの少女が時の人になり、注目されている。タイム誌の表紙も飾るそうだが、トランプ氏などはツイッターで「Chill!(頭を冷やせ)」と冷ややかだ。

COPはエンドレスの国際会議である。出席しているメンバーは、国際機関、政府機関を始め、シンクタンク、大学、NGOなど多彩である。多くはその道のエキスパートとして、温暖化マフィアと呼ばるプロである。言わば、永年に渡り、温暖化問題で食べている人達である。グレタさんのような人達も、ある意味では批判を職業として生活しているグループである。会議は永遠に続くから、国や研究機関の予算も終わる事はない。一度その道のエキスパートになると、余人をもって代え難いので、就業も安定している。元より「温暖化対策など止めてしまえ!」などと言う人は皆無である。おそらく人類が原始的な生活に回帰しない限り、温度はドンドン上がり続けるだろう。地球人にとっては大変な事だが、温暖化マフィアに取っては好都合である。

日本からは小泉環境大臣が出席し、スピーチの一部が報道されていた。全部を聞いた訳ではないが、「私もこれから子供を持つ者として・・・」の発言にはがっかりした。先の国連で行ったセクシー発言もそうだったが、抽象的で聴衆のニーズに応える内容ではなかった。出席者が聴きたいのは、その具体的な対策である。恐らく省内では「日本は原発が停止し、石炭に依存せざるを得ないが、日本のCO2排出に伴う石炭効率は世界一である。今や石炭はクリーンだ!」位なペーパーは用意していただろう。どうしてそれを前面に出さなかったのだろう?と不思議だった。ヒトは思い込みが激しいと、空回りするものだ。進次郎氏が稚拙に見えるのは、そんな人柄が災いしている気がしてならない。

Tuesday 10 December 2019

中村医師の死

アフガニスタンの復興に従事してきた中村医師が銃撃され亡くなった。昨日棺が福岡に帰って来て、多くの人が悲しみに暮れていた。

中村医師の事は余り知らなかったが、ニュースで伝えられる数々の言葉は苦労した人だけに心を打つ。例えば、「私の願いは2つだけ、一つは一日三回ご飯を食べられる、もう一つは家族が一緒に住める国にする事」は、現地の厳しい現実が伝わって来た。アフガニスタンはソ連に侵攻され、出て行ったかと思うと今度はタリバンが支配した国である。「何でも壊してしまうから・・・」と嘆いていた姿も印象的だった。水路が完成すると、「これで生きて行かれる」と現地の人の言葉を引用していた。また10歳で早世した息子さんについて、「何歳で死のうが人はいつか誰でも死を迎える。その時まで懸命に生きるだけ」みたいな話も聞いた事がある。特に医師として、その胸中は如何なものだったかと思ったが、人としての生き方を諭されるようだった。

過酷な海外の地で働く人は多い。さだまさしの「風に立つライオン」の舞台になったケニアでも、長崎大学の医師が地域診療に励んでいた。彼も最後は地雷に倒れてしまった。イラクでは、ラグビーで有名だった外交官の奥大使も倒れた。こうして平和で何不自由ない日本にいると、何か後ろめたい気持ちになって来る。

Sunday 8 December 2019

パラリンピックの起源

とある飲み会の席で、パラリンピックの話が出た。薀蓄好きなKさんが、「その起源って知っている?それはノルマンディー空挺団員の更生だったんだ!」という。ノルマンディー上陸作戦は、1944年6月6日に行われた連合軍の侵攻で、130万人の兵士が参加した史上最大の作戦である。戦跡巡りのオタクとして、舞台になったビーチや橋、村、果ては映画の撮影地まで何度も足を伸ばした事もあり、それは聞き捨てならぬ情報だった。

K氏が言うには、パラシュートで降下した兵士に負傷者が多く、そのリハビリを兼ねて始めたのがパラリンピックの起源だと言う。今まで、中東で地雷を踏んで手足を失った兵士のリハビリが始まりと聞いていたので、早速調べてみた。すると正しくは、イギリスのストーク・マンデビル(Stoke Mandeville)病院が、傷痍軍人の為に1960年のオリンピックに合わせて始めたの起源だと分かった。ただその病院とノルマンディーの落下傘兵との因果関係は分からなかった。

ノルマンディー上陸の前夜、闇に向かってダイブした空挺師団101と82の兵士は全部で13200人いた。その内、死傷・行方不明者は全体の2割に上る被害を負った。ただ負傷者は900名と全体の7%に過ぎなかった。ひょっとして、その中の何人かがストーク・マンデビル病院に入った可能性はある。特にそこが脊髄センターにもなっているから猶更だ。門外の人に取ってはどうでもいい事かも知れないが、ひょんな事でパラリンピックが身近になった話だった。

Friday 6 December 2019

バインコーチの本

暫く前まで、大阪なおみのコーチを務めたのが、サーシャ・バイン(Sascha Bajin)氏だった。彼女が落ち込んでいるのを見て、跪いて「君なら出来るよ!」と優しく励ます姿は、当時話題になった。その後、大阪なおみは全米と全豪に優勝し、若くしてランキングのトップに登り詰める事になった。

そんなバイン氏が書いた「心を強くする(Strengthen Your Mind)」は中々面白い本だった。内容は、ルーティンを作る、ストレスに慣れる、怒りは吐き出すとか、良く言われている事ばかりだ。ただ読んでいて妙な説得力があり快い。多分それは、彼が何でもポジティブに捉えよる性格から来ている気がする。前向きの言葉は、何より選手を明るくする。それから、上から目線でなく、選手に考えさせ、自ら答えを導き出させる、寄り添い型の指導もいい。テニスをやった人なら誰でも体験する事だが、他人のアドヴァイスは殆ど耳に入らない。「引きを早く!」「溜めを作って!」などと言われても、大体カチンと来るものだ。心の中では、「そんな事は分かっている!出来ないから困っているんだろ!」と言っている。彼は「何で出来ないのだろう?」と選手に問い掛け、選手が答えに辿り着くまで待つと言う。

何気ない選手の一言に感動するのも、彼の特徴だ。例えば。大阪なおみが次の対戦相手がセレナだった時に大喜びしたとか、以前コーチに付いていたセレナが、酒は強固な意思で止められると言ったとか、本人でも気付かない精神的な強さを見出す能力を持っている。自分でも知らない一面を発掘してもらい、褒められば誰でも嬉しくなるものだ。こんな人が身近にいればヒトは必ず伸びる、そんな思いになる。

Wednesday 4 December 2019

Pinalの絵画

記憶はモノにリンクすると言っても、その人が死んでしまうとゴミにもなり兼ねない。先日も、亡くなった親の遺品を処分しようと、忙しそうにしていた人がいた。大事に取って置いても、行く行くは捨てられてしまうかと思うと、所詮は記憶もその人と一緒に無くなるのかも知れない。

火事に遭って、消失した中に沢山のオベリスクがあった。オベリスクは古代エジプトの記念碑である。有名なのは、ナポレオンがエジプト遠征で持ち帰り、パリのコンコルド広場に建っている碑である。空に向かて聳える石柱は、神秘的なバランスが何とも美しい。そのオベリスクのミニチュア版は20~30cmの高さで、暖炉の上などに飾ると部屋が引き立つ。多くはイタリア産の大理石で出来ていて、骨董品屋を探すと時々見つける事が出来る。対になっている価格は、昔なら2~4万円ぐらいだっただろうか?ある時、Les Echosにフランス人のコレクターの話が出ていたのを見て、自分も収集してみる気になった。あちこちの骨董品屋を廻り、20本近く集めたか?中にはギリシャ文字が刻まれた高価な物もあった。それらも全部焼失してしまったが、その後も懲りずに蚤の市を訪れては収集を続けた。火事が無ければ、有数のコレクターになっていたかも知れない。

それから絵画もあった。好きだったのはフラン・バロ(Fran BARO)だった。巨匠ではないが、パリの風景を写実的に描く画家で好きだった。それも全部焼けてしまった。ただ唯一残った絵があった。フェルナンド・ピナール(Fernand PINAL)の風景画であった。手荷物で持ち帰った事が幸いした。100年ほど前の油絵で、シャンパーニュ地方だろうか?白く咲き誇る花が春の訪れを感じさせている。あれから30年近い月日が流れた。書斎の壁に掛かっている絵を見ると、お互いに生き延びた実感が沸いてくる。

Saturday 30 November 2019

首里城の火事

暫く前に、沖縄の首里城が焼けた。沖縄には何回か行った事があったが、首里城は何故か一度も行った事がない。それは沖縄戦で悲惨な場所になった為か、あえて再建された人工的な場所だった為か?良く分からない。ただ毎日のニュースで、ここが琉球のシンボルだった事を改めて知り、関係者のショックを案じている。琉球は黒船の「ペリー提督日本遠征記」によると、「一片のゴミや塵も見ることなく、中国のあらゆる都市の汚さとは非常に異なっている」と書いてある。中国や朝鮮と違って、さぞかし当時から清潔な町だったようだ。

その首里城が落ちてから一か月が経った。火事は突然やってくるから防ぎようもない。昨今のカルフォルニアやオーストラリアの森林火災も悲惨だし、暫く前にはパリのノートルダム寺院の火事もあった。相次ぐ火災に、忘れていた自身の火事体験も思い出してしまった。あれは海外勤務を終え、明日帰国という朝だった。泊まっていたホテルに電話が鳴り、受話器を取ると日通の社員から「倉庫の荷物が全焼しました!」と言われた。一瞬何の事だか分からなかったが、後に放火によって倉庫が焼けた事が分かった。あっという間に全ての家財を失い、帰国して待てども暮らせど何も届かない現実を受け止める事が出来なかった。数カ月してやっと全てを失った実感が沸いた。

大事なモノが無くなると、あたかも自身の拠り所も無くなる気がする。ふと思ったのは中欧やソ連の属国だった。度重なる外敵の侵略で破壊が続くと、人心も萎えてしまうのか、他の国に置いて行かれる。ヒトの記憶はモノにリンクしているから、モノが無くなると人間は弱くなる気もする。かつて哲学者のサルトルも、「人は実存するモノを見て初めて自身の存在を確かめる」みたいな事を言っていた。今回の場合、子や孫の世代を考えると、不完全でも再建した方がいい。

Wednesday 27 November 2019

バチカンとカネ

バチカンの教皇フランシスコ教皇が来日した。長崎、広島と廻り、東京では東京ドームで5万人のミサを行ったと報じられた。青年との集いでは、文京区の東京聖マリア大聖堂が使われた。丹下健三が建築したコンクリートむき出しの教会で、昔近くに住んでいた事もあり懐かしかった。建つ前は子供達が遊ぶ野球場だった。当時は遊び場がなくなり寂しかったが、その斬新な建物を見て将来は建築家になりたいと思った。特に教会の横に立っている鐘楼は、下から見ると捻ったカーブ状になっており、その奇抜なフォルムに魅かれた。

キリスト信者は世界の13億人もいると言う。6人に1人の割合だから大変な組織である。その最高指導者だから、信者が涙するのも分かる気がした。ただ核廃絶を祈る一方で、核を作り管理しているのもキリスト信者だから複雑だ。特にバチカンに纏わるマネーロンダリングや幼児虐待など、汚職の話は尽きない。カルビ事件ではマフィアも登場し、巨大なバチカンマネーの運用が明るみになった。

そのバチカンの闇を題材にしているのが、ダ・ビンチコードで有名なダン・ブラウン(Dan Brown)の作品である。良く身の安全が保たれていると心配になってしまうが、読む方は面白い。「天使と悪魔(Angels & Demons)」では、教皇選出のコンクラーベが出て来た。密室の儀式が開示され、次期教皇の座を狙う神父が本命を殺害し、自作自演で危機を演出する信じられないストーリーたった。フリーメイソンやイルミナティなど、謎に包まれた秘密結社も出て来るし、信者はこれを見て疑心暗鬼にならないのだろうか?と不思議になる。神聖な祈りの裏で、バチカンを支えるのはやはり巨大なカネである。1人1円集めても16億円、1000円なら1兆6000億円だ。今回も4日間の滞在でいくら集まったのだろうか?と、ついそっちの方が気になってしまう・・・。

Monday 25 November 2019

ナポレオンの童貞

久しぶりにル・ポアン誌の「今日は何の日(C'est arrivé aujourd'hui)」を覗いてみた。日本のラジオ番組にも同じようなタイトルの番組があるが、流石フランスとなるとユニークで人間味が違う。例えば今日の11月25日は、1763年に有名な歌劇「マノンレスコー」の作者であるl'abbé Prévostが死んだ日であった。ただ彼は駆け付けた外科医に、まだ生きていたにも拘わらず、検視の為に腹部を切られた事が死因になった。マノンレスコーと言えば、男達を破滅させる悪女の物語である。ロマンチックな作品とは裏腹に、悲惨な最後だった。

また昨日の11月24日は、1971年にアメリカで飛行機の乗っ取り犯がジェット機からパラシュートで脱出した日とか、11月23日は、1829年にフランスで胴体が1つの双子が死んだ日という。関心を誘ったのは、11月22日は、1787年にナポレオンが18歳で童貞を失った日と言う。

場所はパリのパレ・ロワイヤルで、雨の降る寒い日に娼婦に捧げたという。パレ・ロワイヤルはオペラ通りの終点に位置する。昔から怪しげな場所で、鹿島茂の「娼婦の館」や「薩摩治郎八伝」にもこの手の話が出て来た。この建物の裏には大きな庭がある。ある時日本から来た人を案内して連れて行った事があった。庭の噴水の前で彼と写真を撮ろうと、近くに居た女性にシャッターを頼んだ。ところが言葉が通じなかったのだろうか?「いいわよ!」と彼女が噴水の前でポーズを決めて来た。「いやいや、そういう訳じゃなくて・・」と誤り、写真を撮って貰ったが、後から考えると、その誤解のままにしておいた方が良かったと反省した。ともあれここは、今でも出会いの場所の面影が残っている。

Saturday 23 November 2019

ベルルスコーニの半生

シシリー島を旅したのが2011年だった。1週間かけて車で島を廻った。古代遺跡や古びた街並みに、凝縮されたイタリアがあってそれは楽しい旅だった。その頃イタリアは選挙の最中で、現職のベルルスコーニ首相の成就に注目が集まっていた。ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)氏といえば、汚職、麻薬、マネロンに加え、当時買春罪で起訴されていた。ただ旅先で地元の人に評判を聞いてみると、殆どの人が肯定的で、その人気振りに驚かされた。

そんな氏の半生を綴った映画「LORO(欲望のイタリア)」が公開されたので観に行った。自宅で披くブンガブンガパーティーなんて本当にあったのだろうか?まして現職の首相が未成年少女と関係を持つなんて?と思っていたが、それは本当だった。コンパニオン派遣会社が、調達した若い女性を大挙してサルべニア島の別荘に送り込んでいた。映画では沢尻エリカの逮捕で有名になった麻薬MDMAも登場し、そのエキスタシーの効用もたっぷりPRしていた。裸で踊り狂う前半の乱交パーティーは余りにハレンチで、見ていて気持ち悪くなった。

ただ最後は一転し、2008年に起きたラクイラ(L'Aquila)の地震のシーンで終わる。被災した人々を見舞い、その厳かな雰囲気は前半の狂乱を中和してくれた。崩壊した家屋に代わり仮設を用意した姿を見ていると、これって彼が起こした人工地震?とも思える流れだった。ベルルスコーニ氏は不動産で財を成した人である。カネの為なら何でもする辺りは、そう言えば同業のトランプ氏と似ていた。ともあれ、贅を極めたサルべニア島のヴィラを堪能できたし、アモーレのイタリア社会を垣間見えたり、あっという間の2時間半だった。

Friday 22 November 2019

ジョン・ウェンの名画

名画は何度見ても飽きない。中でもジョン・ウェンの「黄色いリボン(She Wore A Yellow Ribbon)」は、往年の作品だが見る度に面白く感じる。映画は退役を間近にした騎兵隊の大尉の物語である。映画のタイトルにもなっている有名なテーマソングが勇ましく、騎兵隊とインディアンの対峙が西部劇の絵になっている。大尉は最後のパトロールを終え、部隊から退職の記念品を貰いカルフォルニアに向かう。しかし元部下が追ってきて、大統領から復職する命が下り中佐に昇進したと知る。一度は終わった人生がまた繋がる辺りは、サラリーマンなら誰しも理想とする件であった。

作品は部隊長の姪が、次期大尉の見合い相手としてやって来る処から始まる。相手の中尉の家柄は良さそうだし、二人はお似合いである。姪の教育の為に、危険なパトロールに同行させる辺りは、アメリカ社会でも昔は粋な計らいがあった。時代は南北戦争が終わり、カスター将軍の第七騎兵隊が全滅した頃だった。力を付ける騎兵隊と追い詰められるインディアンがそれを物語っている。

今から10年ほど前だったか、テキサス州を車で廻った事があった。州と言っても日本の面積と同じ広さなので、10日間で3000Kmも走った。都市から一歩出ると映画に出て来る荒野が続いた。ダラスフォートワースを始め、町の名前には「砦」を意味するFortが沢山残っていたり、中継点にポツンと佇む雑貨店やスペイン語メニューのレストランなど、今でも当時の面影が残っていた。映画でも、最後に「この騎兵隊がアメリカ陸軍になって行った」と言っていた。そんなテキサスを思い出すと、この映画がよりリアルになる。

Saturday 16 November 2019

炎上する桜の会

内閣の「桜を見る会」が炎上している。桜を見る会には、安倍首相の後援会ではないが、とあるご縁で何回か呼んでもらった事があった。まだ開門前の新宿御苑を貸し切り、朝の清々しい空気の中、広大な芝生に映える八重桜は本当に美しい。参列者は議員の後援会の人が多いのだろうか?地元の先生を見つけては写真撮影の輪が出来る。各国の大使館員や武官が民族衣装や軍服に身を包み、国際色も豊かである。多くの人のお目当ては、芸能人の一角である。毎回その顔触れは代わるが、テレビで見るスター達が会に華を添えている。

今回の騒動の印象は、二階幹事長が「何が悪いの?」と言っていたが、その通りだと思っている。選挙で選ばれた時の政権が、関係者を招待するのは当然である。共産党が税金を使って飲食を提供すると言っていたが、量と数が限られているのだろうか、今まで一度もあり付いた事がない。そもそも早朝の7時台にお酒なんて飲む人はいない。呼ばれない人には不公平感もあるかも知れないが、こんなに注目されるまで話題にもならなかった。

その会である時、菅官房長官が立っていたので、一緒に写真を撮ってもらった事があった。最後は握手して別れたが、時の権力者と身近になると気分が高揚するものだ。つい口から「応援してます!」が出てしまった。「お国の為に命を捧げて頂けますか?」と言われて、「ハイ」と応えてしまうのはこういう事か?と思った。普段は雲の上の世界がグットと近くなる、まして桜は日本のシンボルだ。そんな行事だからこれからも続いて欲しいが・・・。

Tuesday 12 November 2019

とんかつの食感

テレビ東京の「ニッポンに行きたい人応援団(Who Wants to Come to Japan)」は、中々面白い番組である。毎回、世界から柔道、剣道、味噌、寄木細工、手毬等々、日本の伝統文化に興味を持つ外国人を探して招待する。そうした人を世界から探し出すテレビ局も凄いし、番組として良く出来ている。つくづく世界には、日本人以上に日本文化を知っている人が多いのに驚く。それも一度も行った事の無い中で、見様見真似でかなりの技術を磨くから大変な事だ。今のネット社会の成せる業なのだろうか?それにしてもその情熱の源泉に、逆に日本文化の奥深さを教えられる。

先日は再放送だったが、とんかつ好きのスペイン人夫婦を招待していた。小川町のポンチ軒にカメラが入り、亭主の説明に熱心にメモを取っていた。見終わると急にとんかつが食べたくなり、翌日近くのとんかつ屋に飛び込んだ。日本食と言うと、寿司、天ぷら、最近ではラーメンがワールドスタンダートになっているが、次はとんかつではないか?と兼ねがね思っている。

とんかつの元祖は、カツレツ(Cutlet)やシュニッツェル(Schnizel)である。ただどちらも薄くて肉は硬い。肉の味よりソースの味が勝っている。その点、とんかつはフワッとした食感があり、肉そのものの味が伝わって来る。テレビでも紹介されていたが、その秘訣はパン粉と油の湯加減にあるようだ。ごはんとみそ汁との相性は抜群だし、やがて世界のグルメを遠巻きにする気がする。

Friday 8 November 2019

ラグビーとボーア戦争

ワールドラグビー決勝は、事前の予想を覆して、南アフリカがイングランドに勝利した。表彰式では、銀メダルを授与された何人かのイングランド選手が、メダルを首から外した。イギリスにはGood loser という言葉がある位だから、あれは明らかにスポーツマンシップに反する行為だった。久々の決勝まで来て敗けた事が悔しかったのか、旧植民地に敗れた事が屈辱的だったのか、その辺はよく分からない。

思い出しのは、昔読んだジャン・モリス著「帝国の落日(Farewell the Trumpets)」である。イギリスの凋落を綴っている本だが、その発端はボーア戦争だったと書いてあった。ボーア戦争とは、1800年の後半に、南アフリカに入植したドイツ系のボーア人と、旧主国のイギリスの間で起きた戦争である。結果的にはイギリスが勝利したが、財政を大きく圧迫し、その後の第一次大戦へと疲弊の道を歩む事になった。著書ではそれを「大英帝国の終わりの始まり」と言っていた。

あれから140年、折しもイギリスは、EU離脱(BREXIT)の佳境に差し掛かっている。もしも離脱になれば、経済への影響も大きいだけでなく、スコットランドの独立など、益々国の形が小さくなる事にもなりかねない。ボーア戦争から続く凋落はまだまだ続いている!それを彷彿とさせる象徴的な出来事だった。

Thursday 7 November 2019

韓国ユニクロのCM

暫く前に、韓国ユニクロのCMが没になる事件があった。13歳の孫が、98歳のお婆ちゃんに「How did you used to dress when you were my age? (私と同じ歳の頃に何を着ていたの?」と聞くと、「I can't remember that far back. (そんな昔の事は覚えていないわ)」と応える場面である。韓国で放映された字幕が、そんな昔を80年前と訳したため、慰安婦と重なったという。改めてそのCMを見てみたが全く普通の会話である。そういう捉え方をするんだ!と今更だが驚いた。

アメリカではグッチの黒人人形も問題になった。こちらは顔を半分隠した黒のセーターだったが、明らかにアフリカの土人をイメージしていた。昔なら、絵本の「ちびくろサンボ」が許されたのに、今では何でも差別になってしまう時代だ。こっちは仕方なかったかも知れないが、ユニクロの場合はちょっと事情が違う。

韓国人の一部は明らかに反日で生きている。おカネになると思えば何でもする人達である。今は慰安婦と徴用工で済んでいるが、これからも例えば氏名を奪った恥辱賠償とか、王制を奪った復古賠償とか、漢字からハングル化した文化賠償とか、考えればいくらでも材料はある。その辺は、百田尚樹氏が面白可笑しく解説していた「七奪の勘違い」を読むと、容易に想像出来る。それにしてもこれが永遠に続くかと思うと嫌になるが・・・。

Monday 4 November 2019

香港と小説1984

デモが長期化する香港を見ていると、ジョージ・オーエル(George Orwell)の未来小説「1984」を思い出す人は多いだろう。「ビックブラザーが貴方を見ている(Big Brother is watching you)」という有名なフレーズは、独裁者(Big Brother)が常に市民を監視する社会である。香港のマスク禁止令は、正にモニターで顔を特定し管理しようとするシステムだから、それと被っている。

ビックブラザーのスローガンは、War is Peace(戦争は平和)、Freedom is Slavery(自由は隷属)、Ignorance is Strength(無知は力)の3つである。物語は西側(Oceania)、ソ連(Eurasia)、中国(Eastania)の3つの独裁国家が戦争している設定だから、今の世界と似ている。「戦争は平和」は、核の抑止力が軍事バランスを保つ意味なのか? 「自由は隷属」は政府に抵抗しなければ身の安全が保障される事だし、「無知は力」は情報が人心をコントロールするのを指している。特に最後の2つは、香港人が懸念するの今の事象と重なるから凄い先見であった。

オーエルがこの本を書いたのは戦後の1949年であった。初めて読んだのは60年代後半だったか?1984年なんてずっと先だと思っていたが、いつの間ににか遠い過去になってしまった。当時は原書で読んだが、英語力もなく筋が追えなかった記憶がある。ただ先のIgnoranceの意味を「無視」と誤って解釈し、当時は「無視は力」と思っていた。反抗期だった事もあり、そのフレーズのインパクトは大きく、社会への抵抗力になった。オーエルというと、「パリ・ロンドン放浪記」がとても面白い。下町の貧しい人々の生活がペーソスを交えて良く書かれている。「1984」はそんなヒューマンタッチな本とは随分と異なる。最近改めて原書を読み返してみたが、古典だけあって相変わらず英語は難解だ。

Friday 1 November 2019

香は人を支配する

犬の散歩をしていると色々な人に出会う。先日は犬好きのおばさん二人組がやってきて、「この犬の匂いが好きなのよ!」と言う。どうやら彼らも犬を飼っているようで、本来は臭い動物臭が生活臭の一部になっているようだった。かと思えば不評を買うこともある。

暫く前に、テニス仲間4人でゴルフに行った時だった。車を出してくれないか?と頼まれたので、3人を乗せることになった。普段は犬を乗せているので、前日消臭剤を撒いて掃除したが匂いは消し切れない。当日、開口一番で「臭くてすみません」と言うと、「全然匂わないよ!」と言ってくれたのでホッとした。ただ一人、中年の女性だけは、無言で反応がなかった。それから数日経ってその女性に会った時、「あの時は臭い車ですみませんでした」と改めて反応を探ると、「・・・・・・」と又無言になってしまった。多分この人とは、二度と一緒に行く事はないと悟った。

斯くして、臭いは人を幸福にもするし不幸にもする。有名なパトリック・ジェースキントの小説「香水、ある人殺しの物語(原題 Das Parfum)」は、香が人を支配する事を教えてくれる。主人公のグルヌイユ(フランス語で蛙の意味)は、無類の臭覚を持つ男である。彼はある晩、今まで嗅いだことのない甘い匂いに思わず外に飛び出す。その香りの元を追うとそこには少女がいて、挙句の果て殺人を犯してしまう。暫くして彼は捕らえられるが、処刑される寸前に、その少女の香りをアレンジした香水をばらまくと、群衆はその香りに酔いしれて彼を許してしまう、という物語である。鼻がいいフランス人を理解する上でも格別の一冊と言われ、昔読んだ記憶がある。

Thursday 31 October 2019

バグダディの殺害

今週ホワイトハウスが、イスラム国(IS)の指導者バグダディ(Baghdadi)を殺害したと報じた。モニターで一部始終を見ていたトランプ大統領は、「彼は臆病者で犬の様に死んだ」とコメントした。大統領の発言として如何な表現かと思われたが、ツイートでは追い詰めた軍用犬の写真を掲載していた。シェパードに似ているが、ベルギー産のマリノア(Malinois)という聞いた事のない犬種だった。

ニュースを聞いて思い出したのは、映画「ゼロ・ダーク・サーティ(Zero Dark Thirty)」である。あのビンラディン殺害を題材にした作品である。ビンラディンの時はヘリ2機だったが、今回は8機も参加したという。ビンラディンの潜伏先が他国のパキスタンで、今回がシリアだった事が関係しているのだろうか?。また前回の部隊は海軍のSEALsで、今回はデルタフォースだった。その辺の違いがよく分からない。

また作戦のコードネームは、前回が開始時の「午前0時30分」だった。今回はISの犠牲になった米国女性の名前を付けたという。いずれ映画化されるだろうから待ち遠しい。

Monday 28 October 2019

ゾマホンのベナン

そのナイジェリアだが、飢餓人口が2500万人もいるという。その数はアフリカの中でも断トツである。人口の9人に1人は食べ物がないという事は、経済の格差が大きいのだろう。アフリカの巨人と言っても、政治が不安定になるのも容易に想像出来る。

ナイジェリアの隣はベナン共和国である。勿論行った事は無いが、どこかで聞いた事があった。思い出したのは、昔たけしのテレビ番組「ここがヘンだよ日本人!」に出演していたゾマホンの母国である。彼はその時まだ学生で、いつも民族衣装を着て出ていた。やたらに正義感が強く、邪な事を言われるとムキになる処が面白かった。特に口から泡を飛ばして話す日本語は、今まで聞いた事に無いテンポで笑ってしまった。彼はその後、駐日大使になったり、母国に学校を作った美談が載っていた。思いがけないテレビ出演が、功を奏したようだ。

ベナンと言えば、バスケットボールで活躍する八村塁選手のお父さんもベナン人だ。お母さんは日本人だが、どうして日本に来るようになったのか?映画にもなりそうな半生に、アフリカの厳しさと人の強かさが伝わってくる。

Thursday 24 October 2019

イボ族のボビー

愛読する中公新書に、「物語 ナイジェリアの歴史」が出たので読んでみた。アフリカは昔モロッコのカサブランカに行った以外、全く未知の大陸だ。そのカサブランカでも、買い物をしていると地元の若者につき纏われ、危険を感じて通りかかったパトカーに逃げ込んだ苦い経験がある。況やボコハラムの少女大量誘拐が記憶に新しいナイジェリアなんて、行こうとも思わないし行く気にもなれない。

そんな国だが、本では奴隷貿易から始まった歴史を詳しく解説している。植民地の宗主国はイギリスだったからキリスト教の布教も行われ、その会派が人口の2割を占めるイボ族だった。ただ3百万人の飢餓を生んだビアフラ戦争で敗北したのを切っ掛けに、イボ族の勢力は弱まったという。私がナイジェリア人で唯一知っているのはテレビに活躍するボビー・オロゴンだが、彼もイボ族というから、内乱から逃げて来たのだろうか?大陸に送られた奴隷の末路と重なり、悲惨な運命にあって強かに生きる別の姿が見えて来た。

本の副題は「アフリカの巨人」である。確かに人口は2億人近くいて経済も石油で潤っている。言語は英語だし、アフリカの中でも将来が期待されている。ただ馴染みのない地名と人名は、正直中々親しみが持てない。また未だに人身売買や汚職が横行し、本ではアフロビートの歌手がバックで歌う女性27人を一度に娶る話を紹介していた。巨人と言っても、命の値段は安そうだしモラルも大分違うようだ。

Saturday 19 October 2019

カナダ産の馬肉

この春、長野の温泉で馬肉(桜肉)をご馳走になった。高級な霜降り肉で、生姜醤油に浸し食べるとトロっとして美味しかった。流石に地元で食べる食材は違う!と思っていた。ところが良く調べてみると、馬肉の生産地は熊本、福島、青森が多く、長野産は殆どない事が分かった。まして国内消費の半分は輸入に頼っているというから興醒めである。

そんな中、先の読売新聞にカナダの食用馬肉の話が出ていた。その記事によると、何とカナダ産の馬肉輸出の58%は日本向けだそうで、その中には生きたまま空輸する馬が年間1000頭もいるという。興味深かったのは、カナダでは馬肉を食べるのがフランス系が多いケベック州に限られていて、自国ではあまり食べる習慣がないという。生きたまま運ぶのは、非人道的だと愛護団体が批判しているというから、その内無くなるかも知れない。魚が良くて馬が駄目なのは理屈に合わないが、何となく分かる気もする。

フランス系の美食は今更語るまでもない。カエルやジビエにエスカルゴなど、一見気持ち悪い食材でも実に上手く料理する。雰囲気作りにも長けていて、綺麗なテーブルクロスにワインが置かれると、不思議に食欲が誘われる。馬肉もタルタルステーキとして良く出て来る。胡椒や卵、ハーブなどで味付けしてパンに塗ると、赤ワインとの相性がとてもいい。ともあれ、世界的に見て馬肉を食べる人種はそう多くない事は分かった。

Wednesday 16 October 2019

Heads You Win

ジェフリー・アーチャーのもう一つの新作「Heads You Win」を読んでみた。先の「Nothing Ventured」と同じ作者とは思えない文体で、こちらはとても読み易い英語だった。いつぞや凝ったクライブ・カスラー(Crive Cussler)もそうだったが、途中から共同執筆が始まると本来の醍醐味が薄れてしまったので、雅かそんな事がないかと少し心配になった。

物語はソ連から西側に亡命した親子を描いている。主人公はSashaと言う名前で英国に、もう一人はAlexという名前でアメリカで行く設定で、一人二役の構成を同時並行で追っていた。どちらも行った国に同化し議員と銀行家として成功するのだが、最後は母国に錦を飾ろうとして帰国した時に、飛行機事故で亡くなってしまうオチだった。読んでいて、ロンドンとNYが交互に入れ替わる構成に少し頭が混乱してしまったが、相変わらずのサクセスストーリーは快かった。

ジェフリー・アーチャーの特徴は、おカネへの執着と議員生活が頻繁に出て来る事である。おカネという意味で代表的なのは「百万ドルを取り返せ(Not Less Than Penny, Not More Than Penny)」だが、このHeads You Winでも投資に纏わる箇所や母親のレストラン経営でその片鱗が出ていた。またSashaは大学を出て労働党の議員に当選し宿敵と争う辺りも、クリフトン年代記の件と重なり、作者の拘りが伝わってきた。ただソ連から亡命する件は、確かクリフトン年代記でも使われていたから、ネタが重なっている感じがした。タイトルのHeads You Winは、直訳すれば「表が出ればあなたの勝ち」だが、元々はHeads I win, tailes you lose(どっちに転んでも損しない) を捩ったフレーズのようだ。SashaでもAlexでも成功した、と言いたかったのだろうか!兎も角、原書は読み終えるとほっとする。

Saturday 12 October 2019

台風とケムトレイン

大型台風19号が間もなく上陸する。空の便や新幹線が止まり、店はチャッターを下ろし街行く人も少ない。雨や風の量が増えて避難勧告が出始めてが、週末と言う事もあり多くの人は養生した家でじっと待っている。まるでB29の空襲に備えるみたいで、国中がヘルメットを被っているようだ。

その大型台風だが、先日ある人が「それは人工的に作られている」みたいな話をしていた。その人は、「東日本大震災や熊本地震の時も、あれは人工的な地震だった」と言っていた。例の都市伝説の一つと思って、また面白い話をしていると聞き流した。ただ気になったのでインターネットで見てみると、ケムトレイン(Chemtrain)なる気象攪乱の兵器が出て来た。飛行機から農薬のようにその化学物質を散布すると、大気に高電荷のプラズマが発生し、地震を引き起こす地殻変動を誘発するらしい。実際にアメリカには、HAARPと呼ばれる高周波を活性する基地がアラスカ州にあるようだ。またクォンタムジェネレーター(量子発電)なる、ゼロエネルギーを吸い上げる装置もあった。小型のものは市販もしているし、大型になると、台風の進路を変更出来るらしい。

文科系の者にとってはどれもチンプンカンプンの世界だが、天災に付け込んで儲けようとする輩がいてもおかしくない。それにしても誰が何の目的でやるのだろう?まさか今回の台風は、消費税の落ち込みを防災グッヅでカバーしようとする訳でもないだろうし、復興需要を充てにした破壊行為でもないだろう。況やワールドラグビーを自国に有利に働かせようと考えるのも変だ。その辺がスッキリしないと今一説得力に欠けるのだが、ちょっと気になる。

Thursday 10 October 2019

キャラバンゴルファー

ゴルフをしていると色々な人に出会う。随分前だが、とある会社の元社長さんと一緒になった。彼は7つの倶楽部に入っているので、月に7回の月例会を廻っているという。資金的な余裕の成せる業とは言え、究極のゴルフ生活に驚かされた。かと思えば同じコースを廻り続ける人もいる。先般一緒になったKさんに「月何回ぐらい来るのですか?」と聞くと、「10回ぐらいかな?」と答える。それって3日毎、年間にすると100回以上!他人事ながら、よくも飽きずに続けられるものだ。

かと思えばキャラバンゴルファーもいた。埼玉に家のあるYさんは、キャンピングカーに寝泊まりしてゴルフ場を廻っている。最近は群馬県が安いので、集中的に潰しているという。日中はゴルフをし、夏の暑い時には夕方まで冷房の図書館で時間を潰し、夜は道の駅に車を止めて寝る毎日らしい。2週間に一度埼玉の家に帰り、奥さんの顔を見てはまたキャラバン生活に戻る。今までどんな人生を送って来た人か知らないが、これだけはちょっと真似できない。

その他賞金稼ぎもいた。とあるオープンコンペで一緒になった人は、景品を手に入れるとネットで販売して生活の足しにする言わばセミプロだった。事前に優勝賞品やコース攻略法も良く調べていたのに驚かされた。テレビのコマーシャルに「打ち方スタイル色々あるが・・・」という一節があったが、世の中実に色々な人がいる。

Monday 7 October 2019

香港のマグマ

香港のデモが益々混迷を深めている。先日は遂に警察官が実弾を使い始めた。撃った警察官も頭から血を流す生々しい映像に、衝突の激しさが伝わってくる。相手が高校生や中学生だと思うと痛々しい。覆面禁止(Mask Ban)の施行も、容疑者の特定が容易になるからそう簡単に収まらないだろう。始めは対岸の火事と見ていた今回の騒動、生存本能に火が付いた事態に不吉なものを感じる。翻れば日本の戦争もそうだった。「石油を止める」と言われれば死んでしまう!人は追い詰められると必死になる。

香港の学生運動は昔から結構活発だった。70年代の初めだったか、交流の一環でHKFS(香港学生連盟)の学生に会った。初めて行った香港は、東西文化が混在するユニークな街だった。人々はファーストネームを英語に代え、英語を流暢に話した。ただ一歩路地裏に入ると、暗く不潔な中国だった。野外のレストランで鳥の唐揚げを食べた時だったか、食べ終わると机の上に残った骨を給仕が路上にバラまくのを見てビックリした。香港の学生は、当時の日本の学生運動が思想対立だったのに対し、現実的で社会の代弁者みたいだった。ただ今回はその域を遥かに超えている。

折しも今年は中国建国70周年の節目である。ソ連が崩壊したのが建国から69年目だったように、70年は制度疲労が出る頃である。ソ連が崩壊した切っ掛けが、チェルノブウイの原発事故だった。まさかそれが社会主義の終焉に繋がるとは、当時誰も想像しなかった。変化は思わぬところに隠れているものだ。香港のマグマが蟻の一穴になるのだろうか?暫く目を離せない。

Friday 4 October 2019

13年目の勝利

新しく改装された有明で、楽天オープンテニスをやっている。錦織選手は欠場したが、日本人の3選手が一回戦を突破し盛り上がっている。中でも添田豪選手は、13回目のチャレンジで初めて勝てたと聞いて驚いた。長年日本テニス界のトップに居ながら、日本オープンに一度も勝てなかったとは大変な事だ。

自国の国際大会で、12年も負け続ける気持ちは如何なものだったのか?人は負け癖が付くと辞めたくなるものだ。それも趣味ならいざ知らず、仕事となると逃げ場がない。テニスの実力は、試合前にちょっとラリーを交わしただけで分かってしまう。「こいつ上手いな!」と思う相手に、本番で差を縮めるのは容易ではない。練習も大事だが、やはり才能のある人には叶わない。今回やっと一勝出来たのは良かったし、諦めなかった気持ちに頭が下がる。

実は学生時代、テニススクールでバイトをしていた。場所は今の新宿住友ビルが建っている処の、京王デパートのテニススクールだった。そこに週何回か通うのだが、1回行くと5~6千円貰えたので家庭教師より実入りが良かった。そんな縁で、夏には軽井沢で開催するK社のスクールにも呼んで貰えた。渡辺三兄弟の勉さんがヘッドコーチで、当時のテニスブームを反映して賑わった。卒業を控えた頃だったか、その会社から「うちに来ないか?」と誘われた。大好きなテニスが続けられるかと思うと嬉しかった。そんなノリで、なまじ名を馳せるとプロの声が掛かるのだろう。プロになるのはいいが、その先が本当に大変だ。

Wednesday 2 October 2019

虎穴に入らずんば

紀伊国屋の洋書コーナーに行くと、ジェフリー・アーチャーの新刊が2冊も出ていた。昨年、クリフトン年代記や短編集を出したばかりなのに、その精力的な執筆活動に驚かされた。永年のファンとしては、「だったら頑張って読むか!」と早速買って帰った。

まず「Nothing Ventured」の方から読んでみた。タイトルは、Nothing Ventured、Nothing Gained(虎穴に入らずんば、虎児を得ず)の諺からの引用したのだろうか?冒険してみないとのニュアンスが伝わってくる。物語はスコットランドヤードの警部補が主人公である。彼は盗難された絵画を追っている内に、美術館の若い女性と恋に落ちる。しかし彼女の父に殺人容疑が掛かっている事が分かると、その嫌疑を晴らそうと、弁護士の父とタッグして解決に導くのであった。著名な父は当初、大学を出た息子に自分と同じ法律の道を期待した。しかし息子は意に反して警察を選ぶのだが、ベンチャーする息子を応援する姿が印象的であった。クリフトン年代記でもそうだったが、ジェフリー・アーチャーの描く人間模様はどこか品位がある。

もう一冊は「Heads You Win」である。秋の夜長に、もうひと踏ん張りしないと・・・。

Sunday 29 September 2019

魔法の焼かん

日本とアイルランドのラグビー戦を倶楽部で観戦した。横に居て解説したのは、元国学院久我山のバックスだったKさんだ。「それはノックオン、あれはスローフォワード」と教えてくれた。退場して交代する選手が出ると、「昔は交代なんてなかったよ!」と言う時代だった。気絶して倒れていると、「当時はおいK!お前立てるか?」と心配されるどこか駒が無くなる方が問題だった。

そう言えば、そんな時代に「魔法の焼かん」があった。脳震盪で意識を失った選手が出ると、補欠の部員が飛んで行って、焼かんに入った水をぶっかける。そうすると、倒れた選手はやおら目を覚ますのであった。今から考えれば昭和の産物だった。ただ最近は医者がチェックするようで、今日の豪州vsウェールズ戦でもレフリーが一端選手を外に出すルールに代わっていた。かつては大学のエースだった人も半身不随になったり、自身も高校時代に入部直前のラグビー部で頭を割った生徒がいた。そんな事件が無ければその時ラグビー部に入って、その後の人生も随分と変わっていたかも知れない?そう思うと複雑な思いが過る。

そのアイルランド戦だが、周囲の予想に反して日本は大金星を挙げた。主将の田村選手が「誰もが勝てないと思っていたが、我々だけは勝利を信じていた!」と試合後のインタビューで語っていた。その言葉を聞いて恥ずかしくなった。何より桜のジャージがトライすると、血が騒ぎ涙腺が緩んだのは他でもない。昨日までの傭兵とか外人部隊とか言っていたのが様変わりした。

Friday 27 September 2019

傭兵のラグビー

ラグビーのワールドカップ2019が始まった。日本は初戦のロシア戦で勝利し、幸先のいいスタートを切った。それにしても、欧州で行われるワールドカップが日本で披かれるなんて夢のようだ。テレビでは発起人だった故奥大使の功績を振り返っている。あの人の熱意が人を動かし開催に漕ぎつけたと聞き、改めて意思の力を感じた。

そのラグビーだが、昔は良く関東学生ラグビーを観に行った。母校の選手がトライすると、胸に熱いものが込み上げて涙腺が緩んだ。ただ先の日本戦もそうだが、最近はちっともそんな感情が沸いて来ない。何故だろうと思って知人に話すと、外人が多いせいじゃないか?という。確かに日本チームの半分は横文字の名前だ。ヘッドコーチはNZ人、トライを決めた松島やラブスカフン選手は南ア、人数を数えるとトンガとNZが共に5人づついる。言わば傭兵で構成される外人部隊である。

それは日本チームだけかと思っていたら、昨日のイングランドとアメリカ戦を見ていると、ビッグジョーと呼ばれるイングランドのWTBの選手はフィージー出身、アメリカのランケ選手もNZ出身、ヘッドコーチのエディー・ジョーンズからしてオーストラリア人だったり、今や世界の潮流のようだ。世界最高峰のラグビーを見るのは楽しいが、傭兵同志の戦いと思うと、今一つ気持ちが高まらない。

Wednesday 25 September 2019

サイレントワード

テニス仲間のHさんが亡くなった。お別れ会の教会に行くと沢山の人が来ていた。ピアノとヴァイオリンの奏でる中、牧師さんの話が終わると子供達が代わる代わる挨拶に立った。父の仕事、結婚、老後の生活など思い出話を聞くうちに、知られざるHさんの一面が浮かび上がって来た。奥さんから、亡くなる前の日に家族を呼んで感謝の言葉を伝えた話を披露した。慰霊の写真も自撮りして用意し、最後を全うしたというから驚いた。

式の最後に、讃美歌の「また会う日まで・・・」を合唱した。どこかで聞いたメロディーに、不思議と本当にまた何処かで会えるような気持ちになり楽になった。兎角お葬式と言うと儀礼的に成りがちだ。列を成してお焼香が済むと、お清めと称してアルコールが待っている。参列者で知り合いが居ようものなら、いつの間にか故人を差し置いてよもやま話になってしまう。その点こうしたキリスト教の会は、本当のお別れの会だから心が温める。

挨拶に立った次男が、「就職を控えた頃、父に自分は社会の歯車になりたくない!みたいな事を云うと、父は黙って聞いていた。今から思えば、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう?」と後悔している話をした。数ある思い出の中からそんな些細な、それでいて父の胸に寄り添おうとする姿はとても自然で聞いていて打たれた。語らなかったことが一番の記憶に残るとは、正にサイレントワード(Silent word)なのだろう。人は故人に対して後悔と罪意識を持つものだ。何かとても分かるような気がした。

Sunday 22 September 2019

綺麗な英語

韓国がカン・ジョンファなら、日本では強ち川口順子さんだろう。経済官僚からスタートし、外務大臣や初代の環境大臣を務めた方だが、流ちょうな英語は定評があった。ボンで拓かれたCOP(気候変動枠組条約)の会議に参加した時だったか、多くの観衆を前に綺麗な英語でスピーチしている姿は誇らしかった。そう思った人は多く、当時は隠れファンクラブが出来る程だった。

流暢と言えば、経団連会長の中西さんの英語も凄かった。日立のアメリカ時代に培ったのだろうか?豊かな語彙とユーモアを織り交ぜ、シンポジウムを取り仕切る力は正に経済界のリーダーである。かと思えば、キャリア官僚から政府機関のトップに君臨するTさんの英語は酷かった。ある国際会議のパネラーで話していたのを聞いたが、モグモグと何を言っているのか分からない。著名な人だっただけに、こんな人が日本を代表しているかと思うと情けなくなった。

兎角日本人はバイ(2者)には強いが、マルチ(複数)になると駄目だと言われる。多分それは文化の違いで、スピーチの習慣がなかったリ、単一民族は以心伝心が効くから沈黙は金になってしまう。こればかりは如何ともし難いが、最近では色々な血が混じるようになってきたので、コミュニケーションの仕方も変わって行く。英語は益々大事になっていく、取り分け綺麗な言い回しは人の心を打つから、磨きをかけないと。

Friday 20 September 2019

カン・ジョンファの英語

韓国の外相、カン・ジョンファのBBCインタビューが話題になっている。BBCのインタビュアーが、「何で今頃になって戦時中の話を持ち出すのか?」とか、日本の輸出規制を受けて、「何で福島の汚染を取り上げるのか?」と問い掛けると、相変わらず個人の請求権は消滅していないとか、訳の分からない答弁を繰り返してる。ただその内容は兎も角、彼女の英語が聴き易いので、やけに説得力がある雰囲気を醸し出している。多分事情を知らない第三者が聞くと、その力みのない受け答えに、そうかなと思ってしまう内容である。聞いていた仲間の一人から、「彼女を日本の外相にヘッドハントしたらどうかな!」みたいな冗談も飛び出した。

確かに河野外相の英語も、日本人の中では上手い方だと思う。抑揚とイントネーションは素晴らしく、アメリカ人記者の質問にも的確に応えていたのは頼もしい限りである。ただ話す言葉はどちらかと言うと文語体で、専門用語を羅列した固さは、原稿を聴いている感じがする。カン・ジョンファと違うのは、ちょっとしたネイティブの言い回しに欠せない繋ぎのフレーズがないことだ。間(ま)がないと、人としての温もりも伝わり難い。

やはり英語が上手いと得する。最近では英語が当たり前の時代になっているが、相変わらず耳触りのいい英語を話せる日本人は本当に少ない。外交官ですら彼らの話す英語に、「俺たちと殆ど変わらないじゃない?」のレベルでガッカリする。ただ翻訳を介さないで生の声を聞くと、人と人の距離が近くなり新たな感情も生まれる。特に美しい英語なら猶更だから、もっと頑張らなくては・・・。

Monday 16 September 2019

オリンピック選考レース

昨日のオリンピック代表選考を兼ねるマラソンは、一発勝負の緊張感があって面白かった。最初から勝負に出た設楽選手は37Km辺りで追い付かれたが、果敢な挑戦で快かった。それに比べ、日本記録保持者の大迫選手は、最後まで勝負を手控えていたような気がした。いつスパートするのか?心配している内に置いて行かれた。結果、日本記録を出したことのない2人が代表に内定した事に、周囲は少し戸惑っている。

記録保持者だと兎角期待も膨らむが、実はマラソンの場合あまり過去のタイムは参考にならないようだ。調べてみると、世界記録保持者がオリンピックで優勝した例は過去に1件だけ、あの日本統治時代のベルリンオリンピックで優勝した孫選手だけであった。その逆、つまりオリンピック優勝者がその後世界記録を出したのも1件だけ、今の世界記録保持者であるケニアのキプチョゲ選手である。だから仮に大迫選手が選ばれても、過度な期待は禁物と言う事になる。尤も今や2時間1分台で走る高速マラソン時代、誰が代表になっても入賞すら難しいのだが・・・。

ところで、先の東京オリンピックのマラソンでは、円谷選手と英国のヒートリー選手のデットヒートが記憶に新しい。円谷選手は最後で抜かれた屈辱から、自ら命を絶つ悲劇が本当に痛ましかった。トラックで抜いたヒートリー選手は、直前に世界記録を出した実力者だった。余談だが、その後英国を取材していた日本の新聞記者が、車内で英国人女性から「あなたは日本人ですか?」と声を掛かられた。その女性はヒートリー選手の娘さんで、当時を気遣ってくれるエピソードに日本国民は癒された。そのヒートリーさんも亡くなり、アベベも若くして交通事故で逝った。昨日のような話だが、また新しいドラマが始まろうとしてる。

Thursday 12 September 2019

煙草を吸う女

馬齢も重ねたので、そろそろ本音を語ってもいい歳だろう。実は昔から嫌いなものが3つあった。その第一が電信柱である。電信柱は電気を送ってくれので有難いが、家の上を電線で張り巡らせるから空を奪われる気がする。どうして今どき地中化が出来ないのだろう?住宅街は元より、商店街は電線が建物を覆っている光景が日常化している。もしも電線が取り除かれれば、姿はむき出しになるから自分の家を綺麗にしようとするものだ。電柱が今日まで残って来たのは、偏に電柱を作る電力ファミリー会社の維持のためである。いみじくも先日の台風で停電が続く千葉県、あれから4日も経ったのに未だに30万世帯に電気が届かないという。その原因は電信柱の復旧が出来ないから言うから、今更とんでもない話である。地中化の話は昔からあったし、それを無視したのは電力会社の責任は大きい。原子力だけでなく、電力会社にやるべき事はまだまだ沢山あるのだ。

2番目はタバコである。今までレストランやバーでタバコの煙に我慢してきた。最近でこそ、オリンピックを控えて東京都が禁煙対策に乗り出し、それはとてもいい事だし、一方で喫煙率も今では確か20%を切ったと言うから風は正にフォローである。そのせいか、以前は路上で吸っている人を注意すると「何でだ?」と怪訝な顔をされたが、最近では歩きタバコの人も少なくなり、人々が時代の変化に敏感になっている事が分かる。永年路上の捨て煙草を、「何でこの俺が?!」との思いで掃除してきた者の怨念が、今になってやっと天に通じて来た。

3番目は、その煙草を吸う女である。煙草を吸う女はどこか擦れて曲がっている!煙草で何とかバランスを取らざるを得ない!女には何か辛い過去があった事は容易に想像できる。ただそんな同情を通り越し、子供を身籠る属性から到底許せる事でない。女性と言うと兎角、香水の香りとミルクが漂う柔らかいイメージがあるが、煙草の臭いを嗅ぐと突如真逆な人になってしまう。以前、松たかこという女優がタバコを吸っていると暴露されてから、彼女のイメージは一変した。況やヤマザキパンは食べる気がしなくなった。女性の社会進出はいい事だが、働くがあまりストレスが高じて煙草に手を出す女性が多い。男女均等もいいが、子供を置いて外でタバコを吹かす姿に明日があるとは思えない。

Monday 9 September 2019

三たびの海峡

帚木蓬生の「三たびの海峡」をDVDで見てみた。三国連太郎や南野陽子など、多くの日本人俳優が朝鮮人を演じていた。物語は戦時中に三池炭鉱に連れて来られた朝鮮人の男が、人生の末期に戻って来る話である。見ていてピンハネした所長は確かに悪い奴だったが、彼らが強制的に連れて来られた訳でなく、募集に応じて来日した様子が伺えた。戦争が終わり役場に行くと、ちゃんと恩給も支給されていた。

三池炭鉱だけでなく、戦時中に朝鮮人が働いた場所の一つに足尾銅山もある。今では廃坑になっているが、トロッコに乗って坑内に入ると(人形だが)裸の男達が当時を彷彿とさせてくれる。山の上に一軒ある国民宿舎に泊まり、翌日山を下るとさり気なく墓が建っていた。立派な中国人の墓に比べ、供養する人が居ないのか?朝鮮人のそれはとても粗末だった。南方から半ズボン姿で働いていたオーストラリア人の墓はなかった。

日本が終戦末期、皇族と共に遷都を計画した松代の大本営がある。長野の山奥に、しかも地下要塞の発想が常軌を逸していたが、当時は本気だったのだろう。ここで働いていたのが3000人の日本人と7000人の朝鮮人だった。山の反対には慰安所もあって女性も住んでいたようだ。金も支払われ、労働環境も良かったようだ。朝鮮人労働者というと、兎角連行されたイメージがあるが、多くは日本人と同じに扱われた姿が見えてくる。

Saturday 7 September 2019

ジンバブエの少女

ジンバブエのムカベ元大統領が死去した。暫く前から若い奥さんが病床にある氏に代わり、政府に対抗していたニュースが流れていたがどうなったのだろう?独裁者としてあまり評判は良くなかったようだし、それにしてもアフリカ人で95歳は長寿だった。

アフリカにすら行った事がないので、況やジンバブエがどこにあるかも知らない。ただ今から30年ほど前だったか、フォスタープランの支援を行った時だった。毎月3000円をアフリカに支援するプログラムに申し込むと、暫くして事務所から手紙が来た。それには「貴方の子供が決まりました。ジンバブエに住む15歳の少女で、名前はXXです。両親は離婚しているので、お金は学費に使います」と書かれていた。写真も同封されていて、市場に立つ少女が写っていた。支援は2~3年程続けたが、いつの間にか止めてしまった。その子がどうしているか?、本当にお金が届いたのか?今では何も分からない。

そんな思い付きのような支援とは違って、直に貢献している人に会うと頭が下がる。以前日仏会館で出会った若い女性は、ブルギナファソの病院で働いていた写真を見せてくれた。牛の糞で出来たみすぼらしい小屋に住み、現地の治療に当る姿は逞しかった。今回のアフリカ会議で、日本の目玉になったケニアの地熱発電所もそうだ。辺りはキリンが歩く原野、唯一の楽しみは首都のナイロビへの買い出しで、車で半日も掛かる距離を日本食を求めてやって来る。アフリカに関わるには、やはり若い頃から始めないと難しい気がする。

Monday 2 September 2019

無名の頃の獺祭

最近、久々に獺祭を飲んでみた。やはり旨い!少々高いが、相変わらず何とも言えないコクと品がある酒である。その獺祭だが、今でこそ有名になって中々手に入らない噂も聞くが、無名の時代もあった。

始めて獺祭を知ったのは、新橋駅前ビルの地下にあるNという居酒屋である。今から20年ほど前になるか、取引先の人に連れて行ってもらった。居酒屋といってもツマミは殆どなく、ただ竹筒に冷やした酒だけを嗜む、素朴な店だった。置いてある酒は、獺祭の他、竜馬が愛した五橋など山口県の4銘柄に限っていた。酒好きの主人が選び抜いたと自慢していた。獺祭と言う珍しい名前の由来を聞くと、ラッコに似た動物だという。山口県人会の溜まり場にもなっているらしく、安倍3兄弟が立ち寄った写真がさり気なく飾ってあった。

それから暫くして、獺祭は突然有名になった。醸造アルコールを使わない品質管理の賜物というが、素人には良く分からない。旨いものは旨い!ところがある時そのNに行くと、もはや獺祭は置いていなかった。何やら有名になり過ぎて、手に入らなくなったという。主人の寂しそうな顔もそうだが、店も心持ち人気がなかったのが気になった。アンテナ店みたいな老舗だったので、何とかならなかったのだろうか?最近は明日の獺祭を探している。気になっているのは、須坂市の遠藤酒造である。信州の酒の評判は今一だが、ここの酒は値段の割に旨い。有名になって飲めなくな前に楽しんでいる。

Friday 30 August 2019

貢物が少ない国

毎日話題に事欠かないお隣の韓国、そろそろいつもの自壊が始まって来た気もする。河野外相がいみじくも「歴史は書き換えられない」と言っていたが、現実を無視した願望が大き過ぎて、又辻褄が合わなくなるサイクルに入ってきた。そんな文という大統領に付けたニックネームはサリーである。名前の由来は、2018年5月18日付けのブログ「第二のサリー」に書いた。こんな人をトップに頂く風土こそが韓国なのかも知れない。

それにしても朝鮮は興味が尽きない国だ。最近読んだ黒川博行著「国境」は長編だが面白い本だった。あらすじは金を持って北朝鮮に逃げた男を、日本のヤクザが追い掛ける話である。ヤクザは中国国境から北に密航する。どうしてこんな小説が書けるのか?と思える程現地に精通している。ストーリーも沙流事ながら、北の国民には51の階級がある事や、階層が核心(トマト層)、動揺(リンゴ層)、敵対(ブドウ層)の3つに分類されて管理されている事、不純分子は7万人で内6千人が処刑されていることなど、良く調べていた。

昔読んだ、帚木蓬生著「三たびの海峡」も凄い小説だった。戦時中に日本に働きに来た男が、戦後に又行き来する物語である。歴史に翻弄されながら生きる姿に、ボクシングの山根会長を思い出した。百田尚樹氏が、「朝鮮」の名前の由来は「貢物が少ない」という意味だと書いていた。つまり清国の属国だった頃に付けられた名残りである。今から思えば、戦後に台湾のように中国に戻しておけば良かったのかも知れない。そうすればホワイト国やGSOMIAもなかったし、何より統治時代のノスタルジーが残ったかも知れない。

Monday 26 August 2019

G7のビアリッツ

G7がフランスのビアリッツ(Biarritz)で披かれている。トランプ大統領が開催意義を懸念し、共同声明は出さない異例の会議になっている。確かにちょっと前にはG20が披かれたばかりだし、形骸化しているのかも知れない。それにしても今回の開催場所のビアリッツ、今頃さぞかし綺麗だろうな!と旅に思いを馳せた。

ビアリッツはフランスのバスク(Basque)地方の都市である。バスクはスペインとフランスを跨ぐ歪な地方である。その地理的な特殊性から昔から独立の機運が高く、パリなどの都市でも爆破テロが頻繁している。バスク地方の北は、あの三銃士で有名なガスコーニュ(Gascogne)地方である。ボルドーやコニャック、アルマニャックなど、ワインやブランディーの産地でとてもフランス的な地域だ。それに比べてバスク地方は内陸に行くと緑が少なく、スペイン的な感じがする。海岸線も、ビアリッツからスペインのサン・セバスチャンに続く辺りは砂浜が多く、山が切り込んで石ころばかりのコートダジュールや、湿度の高いコスタデルソールとは趣が大分異なる。カラッとした大西洋の強い日差しに、黒っぽく歴史を感じさせる石の街並みが映えている。この時期ビーチの女性は殆どトップレスで、それがまた田舎ぽくていい。

内陸に入ると、スペインとの国境のピレネー山脈に出る。車を置き、ロバの馬車で揺られる事30分で、氷河を湛えた絶壁の麓に出る。あのナポレオンのピレネー越えに思いを馳せ、さぞかし難所だったと想像する。ピレネーから更に東に行くと、巡礼の聖地ルルド(Lourdes)の町がある。猛暑のこの時期、世界からの巡礼者が奇跡の泉を求めてやって来る。暑さでよくも倒れないかの心配を余所に、黙々と行進する姿は信仰の深さから来るものなのか?ここまで来るとまたフランス的になる。

Sunday 25 August 2019

横浜のカジノ誘致

横浜市がカジノ誘致を表明した。東京に近い場所だから、観光客が集まり市の財政は潤うかもしれない。一方、ギャンブル依存症と治安悪化などが心配だという声が多いが、賭博とはちょっと違う気がするし、だったらパチンコと何が違うという議論になってしまう。ただラスベガスやマカオのように、然したる産業も無い場所なら兎も角、あえて大都市の一角にしかも大規模カジノを作るのもどうかと?正直どっちがいいのか分からない。

ギャンブルは苦手だが、あちこちのカジノを覗いてみた。古くはラスベガスやシンガポール、巨大な空間にスロットマシーンが並ぶ光景は圧巻であった。これならおカネがいくらあっても足りなくなるのは容易に想像出来る。一方こじんまりした雰囲気なのが、ロンドンやフランスの高級避暑地ドーヴィルである。こちらは正装した大人がお酒を嗜みながら集う社交場であった。バルト海の都市にもカジノが多い。全体的に暗くうらぶれていて、暖房が効いているから冬の暖を求めて屯う人が目に付いた。先日訪れたオーストラリアのゴルフ倶楽部やホテルにも、必ずスロットマシーンが置かれていた。昼からゴルフもしないで賭け事に励む姿に違和感があったが、倶楽部ライフの一環のようだった。一口にカジノと言っても、色々な形がある。

カジノにはルーレットがある。その必勝法はディーラーの癖を知る事と言われている。横にある電光掲示板には過去の当り番号が表示されるので、暫く見ている内にその傾向に気付く。しかしそれは錯覚で、素人が始めると傾向も変る仕組みにもなっている。確実なのは、そのディーラーと懇意になることだと言われる。彼を休みの日に接待したり、贈り物を届けたりすると便宜を図ってくれるらしい。尤も最近はデジタル式が増えたので、そんな余地はないのかも知れない。ともあれ、カジノが出来れば新たな人間模様も生まれる。横浜はどうなるのだろう?

Friday 23 August 2019

孤高の人

テレビを見ていると剣岳が出て来た。雄大な北アルプスの景色を見ている内に、そう言えば昔は良く新田次郎の山岳小説に憧れ、夏山に登ったものだ!そんな日々を思い出した。

あれは確か空木岳を目指した中央アルプスの縦走だったか、それは暑い日だった。千畳敷カールから木曽駒を経て宝剣に着いた。険しい尾根を登り切り、山頂で一休みし、その日に泊まる木曽殿山荘を目指した。ところが三ノ沢分岐を過ぎ熊沢岳に差し掛かる頃、水筒の水が底を付いてしまった。喉が渇くが、行き交う登山者も疎らで困り果てた。何を思ったか、バックの中にその晩飲む日本酒がある事を思い出した。禁じ手とは知りつつ、ついそれに手が出てしてしまった。当たり前だが足は重たくなるし、余計喉が渇き、危うく遭難の二文字が頭を過った。幸い何とか山小屋に辿り着き、大事には至らなかったが怖い思いだった。

その縦走では下山の時に、足を滑らし滑落もした。怪我はしなかったが、急勾配の谷から脱出するのが大変で、一人取り残される恐怖を味わった。当時の登山は殆ど単独行であった。それは新田次郎の小説「孤高の人」と関係がある。本では加藤文太郎という健脚の登山家が、最後は遭難して亡くなってしまう。それは普段は単独行を専門としていた彼が、ある時同僚を連れて登山すると彼を気遣う余り、いつものペースが乱されてしまったのである。いつもそれが頭にあったが、今から考えれば自身は文太郎ではないし、真似する事もなかった。

Wednesday 21 August 2019

プロは汗かかない

全英オープンで優勝した渋野選手を一目見ようと、軽井沢72で披かれた大会に行ってみた。猛暑の中、2日目だったが物凄いギャラリーが詰めかけていた。殆どは中年の男性で、周到に椅子と食べ物を準備した熱烈なファンだった。そのせいかマナーがいいのに驚いた。声を出す人はいないし、勿論写真も撮らない。

渋野選手と一緒に廻ったのは、同じ世代の原英莉花と笠りつ子だった。原選手はスラっとしたスタイルで華があった。一方笠選手はクラブのママさんみたいな雰囲気で、親衛隊らしきおじさんグループが付いていた。初めて直に見るプロに、改めてショットの正確さに感心した。グリーンを捕えるボールはあわやオーバーするかと思いきや、スピンが掛かってピタッと止まる。それも3人が3人ともピンから5m以内に乗るから流石だ。またドラーバーが真っ直ぐ飛ぶ。スライスして森の中に入る事もないし、当たり前だがチョロもない。

試合は最終日の最終ホールで渋野選手が3パットし、優勝は成らなかった。それでも十分楽しめた。テレビで見ているより、直に見る女子選手はとても小さかった。ファッションのセンスがなかったり足が太くて短いと、女子選手はハンディーを負う事や、暑いのに誰一人大汗をかかないから化粧落ちも無い事も分かった。ただダラダラと歩き続けると結構疲れるものだ。半日で早々に引き揚げた。

Friday 16 August 2019

金ブームと投資

米中の貿易摩擦を受け、金の価格が上昇している。1グラム5572円の高値を付け、ここぞとネックレスを売る人が多い一方、有事の金を買う動きも出ている。思い出すのは70年代後半の金ブームである。オイルショックやソ連のアフガン侵攻で、金の価格が空前の高騰をした。会社に入って間もない頃、人から勧められて金のドル平均法で毎月投資を始めてみた。ところがその後、金価格は下がり続け、トントンに戻ったのは30年後の2011年であった。

金に限らないが、外国物の投資には為替が大きく影響する。金の場合、その30年間にドルベースでは最高で9倍上がったが、円ベースでは精々2倍ちょっとだった。購買平価が為替で調整されてしまうので、中々うま味が取れない仕組みになっている。これは日本の宿命かも知れないが、如何せんどうしようもない。

2011年は、ギリシャに端を発したユーロ危機が原因で上がった。今回も世界貿易の滞りを危惧したドル危機になるのだろうか?ただアメリカも選挙があるから、そんな馬鹿な事にはならない気がする。況や日本人は、南米やアフリカと違って金銀を身に着け、いざという時に備える必要も無い。所詮持っていても大して上がらないなら、無理して買うモノではない。失敗の教訓がそれを語っている。

Thursday 15 August 2019

マフィアの報復

最近、やたらに煽り運転が話題になる。ドライブレコーダーのお蔭で、証拠が残る事も一因かも知れないが、それにしても見知らぬ車に怖い思いをさせられ、挙句は殴られるなんて、何とも理不尽である。そんな時は、相手のナンバーをメモして住まいを割り出し、後日手下を連れて訪れる。「いつぞやの方でしょうか?今日はお礼に来ました!」、さり気なく確かめて後は手下に任せてその場を去る・・・なんて事が出来たら痛快だろう!
ところがそれを実践した人がいた。「ゴッドファーザーの血」の著者マリオ・ルチアーノ氏である。彼はイタリア人であの有名なマフィア、ラッキー・ルチアーノ(Lucky Luciano)の甥に当る人である。波乱万丈の人生で、シシリー島からアメリカ、フィリッピンに渡り、今は日本で過ごしている。マフィアの血を引くだけあって、山口組とも盃を交わしたり、クラクションを鳴らしたと言い掛かりを付けられて殴られた落とし前には、先の報復に出た。絡まれたヤクザにも、金属バットでベンツをボコボコにするなど、その道の流儀が身に付いている。

本物のマフィアには会った事はないが、以前シシリー島のコルレオーネ村を訪れて以来身近になっている。本の著者は、現在茅場町でイタリアレストラン「ウ・パドリーノ」を営んでいるというから驚きだ。あのマフィアスタイルの麻生さんも訪れたというし、話のタネにいつか行ってみたいと思っている。

Sunday 11 August 2019

台湾と日本

もうすぐ終戦記念日が来る。今年で74年が経ったというから、一世代に相当する時間が過ぎた事になる。そんな中、ニュースで「台湾の太平洋戦争」を特集していた。台湾からは20万人が出征し、7万人が亡くなったという。今でも地下壕が残っていたり、戦友会が披かれているという。それはアメリカ軍が台湾を避け沖縄に上陸した事と関係しているようだ。民間の犠牲者が沖縄に比べ著しく少なかったことが、ノスタルジーが温存されている理由になっている。

その台湾だが、日本と本当に良く似ている。食べ物や町の様子、人々の内向的な処などそっくりだ。昔飛行機で隣り合わせた日本の外交官が、「台湾に骨を埋めてもいい」と惚れていたが、とても外国には思えなかったのだろう。真珠湾攻撃の暗号「ニイタカ山ノボレ」は日本の誇りだった。台湾人の親日も有名で、李登輝総統の「武士道」を読むと、日本人以上に日本らしさに憧れている様子が伝わって来る。それは「Youは何しに日本へ?」に出て来る外人のように、日本人が忘れた日本文化を継承している。

よく台湾人は同じ頃に併合した韓国人と比べられる。日本は台湾から戦後引き揚げたが、韓国には50億ドル相当のインフラを残した上10億ドルの借款を行った。何でもやり過ぎるとプライドが傷つくものである。ほどほどにしておけば良かったのである。