Thursday, 14 May 2026

ラーメンの話

TV番組ではやたらに食べ歩きが多い。製作費が安いからだろうが、見ていると「美味そうだなあ!」と食べたくなってくる。その代表格がラーメンである。

日本人でラーメンを嫌いな人は殆どいない。だから仲間内でラーメン談議が始まると物凄く盛り上がる。「あの店が美味いの不味いの」と。普段は食に無頓着な男たちが、こぞって自慢話を始めるから可笑しい。その時だけは皆さん本当に生き生した顔になる。


個人的には、手軽に楽しめる丸源「肉そば」のファンである。ゆずスープに柔らかい肉が絶妙に絡み、何とも言えない味を醸し出している。麺に手を付ける前に、そのスープを一口二口と吟味するが、「この味だ!」と帰って来たような気分になる。

でも昔、寒い日にお腹が減って食べたラーメンに勝るものはない。正に「空腹こそ最大のご馳走」である。そして仕事帰りに散々梯子して、最後の〆として随分とお世話になった。

ミシュランガイドに初めて載ったラーメン屋にも行った。新宿の店に並んで待つ事1時間、不味くはなかったが、そこまでして行く処ではなかった。食の性格上、あまり凝り過ぎるのも良くない。やはり分須相応の弁えが大事で、「下町中華」の域を超えてはならない。

いつからかラーメンの決め手は水だと分かった。喜多方や佐野そして新潟など、美味いのは軟水の地であった。以来東京でどんなに頑張っても、(店主には申し訳ないが)余り期待しない事にしている。

Wednesday, 13 May 2026

レストランの勝手格付け

グルメの話しになると余りあり過ぎて、どこから攻めていいのか分からない。思い出したのは、知人のJC氏である。彼は趣味でレストラン巡りをしている内に、勝手格付けの本を出した美食家である。その名も「絶対行ってはいけない有名店、行かなきゃいけない無名店」であった。

当時はミシュランもない頃だったので、異色の辛口本だった。20年も前なのでもう紹介してもいいだろう。例えば有名店とされる吉祥寺の焼き鳥「いせや」や麻布の蕎麦屋「更科」を、ケチョンケチョンにこき下ろした。


一方で文京区の寿司「鮨すず木」など、無名店の発掘に励んだ。鮨すず木は何度か訪れたが、確かに美味しかった。

その中にロシア料理の店で、ご本人も出資した「ゴルバジェフ」があった。時あたかもソ連が崩壊した直後だった。日本を訪れた元大統領のゴルバジェフ氏が、自分の名前がレストランに冠していることに激怒し閉鎖に追い込まれた。

それはさて置き、その勝手格付は引き継いで借用させて頂いている。行った先ごとに、その感想を★、★★、★★★の三段階で評価する。こうすると記憶の片隅に残り、店主と真剣に向かい合える。

例えばお寿司だと、梅が丘の「美登里寿司」は安くて美味しいが、全て予約制かつ90分の時間制限、何より最近ではカウンターでアラカルトを堪能出来ないから★★に下げた。昔鳴らした「勘六」も、ガランとして値段だけは昔のままだから★である。一方友人と時々通う築地の「寿司清」は、いつも活気があってネタも新鮮だから★★★にしている。

Friday, 8 May 2026

東京のグルメ三昧

ゴールデンウィークが終わった。各地の行楽地や高速道路は大変な賑わいだった。現役のサラリーマン諸氏には、さぞかしお疲れとお察し申し上げる。

随分前から、この繁忙期は東京から出ない事にしている。そして普段は疎遠なグルメを堪能する。何より美味しいものを食べると幸せな気分になる。知らない味に接すると、五感が刺激され新たな発見に繋がる。


そういう事で今回も随分と贅沢した。まず初めは「根津のはん亭」である。暫く前にゴルフで一緒に廻った人が谷中の人だった。「谷中銀座は外人ばかりです」と話していたのを思い出し、昔よく通った串揚げの名店に行ってみる事にした。かれこれ30年ぶりだったが、古風な店構えは昔のままで懐かしかった。味はとても洗練されていて、コースの12本を広島の銘酒「誠鏡」で堪能した。

2軒目は話題になっている「焼肉きんぐ」である。テレビで黒柳徹子さんが肉を好んで食べていた。それを見て、「そういえば焼肉なんか何年も行ってないな!」と決めた。焼肉きんぐは時間制の食べ放題、飲み放題、久しぶりの肉は美味かった。肉はアンチエージング効果もあるので再チャレンジしてみたい。

3軒目はイタリアンである。家の近くにイタリア人がやっている店がある。これも久しぶりだったが、やはりモッツーラのピザや生ハムは本格的だった。

4軒目はとんかつである。渋谷の和幸もいいが、今回は青山の「まい泉」にした。風呂屋を改装した広々とした空間がとても心良い。とんかつ専門のこじんまりした店は、量が多いせいか胃に応える。その点チェーン店の和幸やまい泉はさっぱりしていて、お値段も手ごろなので気に入っている。ご飯との相性も良く、食べ終わると何とも言えない充実感に浸る。

Tuesday, 5 May 2026

スパイと公安

日本にも日本人スパイがいた事を思い出し、佐々木譲の「帝国の弔砲」を読み直した。

物語は、満洲に渡った子供がロシアで教育を受け、ロシアのスパイとして日本に送り込まれる大作である。オークニー島の「座って待っていたスパイ」と同様、普段は普通の生活をしているが、ある時同志がやってきてそのベールを脱ぎ、要人暗殺を企てるのであった。

これを読んでから、近所で職業不詳の人を見ると、「ひょっとしてスパイじゃないか?」と思うようになった。

この話を千葉に住むM君にすると、彼も「近所にいつもカーテンが下がっている家がある」という。グーグルマップでもボカシが入っているから、ひょっとして北朝鮮か中国のスパイでは?と疑っていた。

そのスパイを取り締まるのが公安である。普段はあまりご縁がないが、意外な所でお目に掛った。

随分前になるが、国際会議で来日したフィリッピンの女性社長がいた。彼女を含め何人かの外国人を連れて東京駅で新幹線に乗ろうとした時だった。その人が突然姿を消した。後で分かったのは、公安に補導され職務質問を受けたのだった。派手な服装と水商売風の風貌がいけなかったのかも知れない。その時初めて「身近な所に公安っているんだ!」と知った。

佐々木譲氏の小説は警察モノが多いが、こうした海外を舞台にした作品はとても面白い。「エトロフ発緊急電」や「ベルリン飛行指令」「ストックフォルムの密使」など、随分と楽しませてもらった。

Saturday, 2 May 2026

カウラの脱走事件

収容所からの脱走は自由を求める。ただそうでない脱走もある。それがカウラの脱走事件だった。

カウラ(Cowra)はシドニーから内陸に300㎞も入った町である。太平洋戦争の時に、南方戦線で捕虜になった日本の軍人と民間人約1100名が収容されていた。そして1944年8月5日に脱走事件が起きた。

捕虜達は鉄条網を乗り越えはしたものの、戦う武器もないまま、300人を超える死傷者を出して鎮圧された。中には自害した人もいて、当時はそれを狂気と見做された。ただ次第に日本人の死生観が明らかなるに連れ、事件の全容が解明されたのである。

日本軍人には「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残す事勿れ」の教えがあった。そのため多くの兵士は、捕虜として生きている事に葛藤していた。もしも生きている事が日本の家族に分かれば、村八分や恩給の停止などで大きな迷惑が掛るからだ。

脱走は万歳突撃のような、死に場所を求めた最後の行為だった。まだ中学を出たか出ないで軍隊に入った若者にとっては、その理不尽を疑う事もなかった。

数年前にカウラを訪れた時、「鉄条網に掛かる毛布(Blankets on the wire)」というオーストラリア人が書いた本を読んでそれを知った。同じ頃にイタリア人捕虜も沢山いたが、彼らは只管戦争が終わるのを待って楽しく過ごしていたという。その対照的な生き方に、改めて複雑な思いがした。

収容所跡には、オーストラリア政府の手厚い配慮で日本人墓地と日本庭園があった。頭が下がる思いでお参りした。