Sunday, 31 May 2026

浅草ロック座の国際貢献

 TVのアド街ック天国を見ていたら、「昭和レトロの街」で浅草がNO1に選ばれた。仲見世商店街だけでなく、庶民的な劇場も多い下町文化が評価されたようだ。思い出したのはロック座だった。

1970年代の半ばに、田中首相が訪れたインドネシアで大規模な反日運動が起きた。それを主導したのがインドネシア大学医学部の学生だった。大丸はじめ日系企業がその標的になったので、経団連も鎮静に動いた。そして「彼らを日本に呼んで日本を知ってもらおう!」という事になった。


「相手が学生なら此方も学生がいい」と、とある団体の代表を務めていた関係で呼ばれた。晴天の霹靂とはこの事だったが、費用はアメリカの財団が出すという。麻布にある事務所を訪れ、趣意書を渡すとすんなり通してくれた。古風な一軒家だったが、生まれて初めて日本家屋に土足で上がった。今から思えばそこはCIAの出先機関だった。

それから暫くして一行が日本にやってきた。そして公私に渡る交流を図ったのだったが、ある日彼らを浅草のロック座に連れて行った。何故そこにだったのか覚えていないが、外人をストリップで持て成すのが当時の社会慣行だったのかも知れない。

入ると舞台では艶めかしい女性が裸体を披露していた。それを見たインドネシアの学生は、奇声を上げて館内を走り狂ってしまった。きっと敬虔なイスラム教にはない初めての世界だったのだろう、その思いも掛けない爆発にはビックリした。

彼らが帰国すると、反日運動はピタッと止まったのは言うまでもない。今風に云えば、ロック座が日本の安全保障に大きく貢献した事になる。

余談だが、高校の国語の教師にHさんという人がいた。一年の半分を志賀直哉の暗夜行路につぎ込む変人だったが、彼は若い頃、浅草ロック座の脚本を書いていたと自慢していた。そう言えば、欽ちゃんの奥さんもそこのスターだった。

色々ご縁があった場所が、未だに残っているのは嬉しい限りである。

Friday, 29 May 2026

水俣病と漁師の話

暫く前に、病院の待合室で順番待ちをしていた時だった。目の前に新しい新聞があったので手にしてみた。それは朝日新聞だった。普段はめったに読まないし、慰安婦前後から教条的なタッチが肌に合わないから久しぶりだった。


その日は、水俣病の特集だった。多くの写真入りで、半世紀前に起きた事件を振り返り、未だに多くの患者が大変な日々を送っている様子を紹介していた。自分の中では既に過去のものになっていただけに、現実から目を背けていた罪悪感も湧いて来た。

その中に、ある漁師一家の話があった。大黒柱だった漁師は随分前に亡くなったが、その死因は特定されなかった。しかし家族は暫く前から、その症状が水俣病に似ていると気付いていた。ただそうは思っても、長い間それを口外する事はなかったという。

何故なら、その漁師一家は漁で生活していたからである。もしもひょっとして、水銀が入っていた魚を売っていた事が分れば、村では生きていけなくなる。彼は家族を守ったのかもしれない。

公害の怖さは、魚を食べた被害者がいる一方で、本来は同じ被害者なのに、魚を取った漁師を加害者にしてしまう。それまでは平和に暮らしていた村が、滅茶苦茶になった様子が伝わってきた。

Tuesday, 26 May 2026

暗殺の現場巡り

先日ホワイトハウスに銃を持った男が侵入し射殺された。一カ月ほど前にも、ホワイトハウス主催の晩さん会で発砲騒ぎがあったばかりである。2年前にはペンシルバニアの集会で、 トランプ大統領の右耳を銃弾か掠めたのは記憶に新しい。次から次へと続く暗殺計画に、国内の不吉な空気を感じる。

要人の暗殺は、時によって歴史の大きな転換点になる。安倍さんの時もそうだったが、自民党の求心力に陰りが出た。時を経てその現場に立つと、止まったままの時間を共有する不思議な感覚になる。

その体験の最たるものが、ダラスのJFKだった。10数年前に訪れたが、JFKが被弾した場所の道路には×印が残っていた。オズワルドが狙撃したとされるビルも当時のまま保存されていた。ただそこから単発銃で狙うには余りに遠く、誰もが近くのグラッシーノールと呼ばれる小高い丘が怪しいという気持ちになる。

もう一つはヒットラーの(未遂だったが)暗殺現場である。場所はロシア国境に近いポーランドの「狼の巣」であった。ワルキューレ作戦と称したクーデター計画で、シュタウフェンブルク大佐が総裁大本営仕掛けた爆弾が爆発した。ヒットラーは一命を取り留め計画は失敗したが、防空壕などが現存する中、その現場は跡形もなくなっていた。

シュタウフェンブルクの家系を書いた「Secret Germany]」という本がある。彼は名門貴族の末裔で、ドイツを狂気から解放する崇高な使命感を持った人だった。

Sunday, 24 May 2026

ルイスの転換点

久しぶりに本屋に行くと、齋藤ジン氏の「世界秩序が変わる時」があった。評判がいいと知っていたが、既に15万部に達していた。遅ればせながら読ませてもらったが、ソロスに10億ドルを儲けさせた人だけあって、中々の観察眼だった。

本や自身のプライベートも含め、正直で氏の人柄も伝わる一筆書きは快かった。特に長らくアメリカで仕事をしているせいか、アメリカの底力を良く知っていた。確かにバブル前後の日本叩きは、戦後の占領地政策と似ていた。

「アメリカはカジノのオーナー」というフレーズも良く出て来る。ドルを握っているから仮に中国と戦争しても、決済通貨のドルを抑えてしまえば終わりである。それが中国とロシアの違いのようだ。

写真で見る氏は男なのか女なのか、氏はトランスジェンダーと告白していた。その件で、あの紳士風のベッセント財務長官もゲイだと知って驚いた。

「失われた30年」の元凶は、やはり社員を整理しなかった事だった。氏は「ゾンビ社員」とか「働かないオジサン」と呼んでいたが、思えばとても日本的な処置で、自分で自分の首を絞めていた事になる。そんな時代も終わり、やっと労働需給は逆転した。給与も上が始め「ルイスの転換点」を超えた。

その他、日本はBIS Viewでアメリカの FED Viewを読み違えた事や、銀行潰しの受け皿(法律)が未整備だった事など、今更ながらそうかと思った。

本書が出たのが2024年末であった。あの時の日経平均は39,894円であった。当時は80年代のバブル越えで湧いたが、今では63,339円に何と50%も上がっている。投資していたら、1年半で100万円が150万円、300万円が450万円になっていた。もっと早くこれを読んでいたら、随分と家計も助かった・・・。

Friday, 22 May 2026

日韓のシャトル外交

日韓のシャトル外交が続いている。前回は高市首相の奈良、今回は李大統領の安東と、開催場所にも工夫が施されている。兎角些細な事から感情に火が付くお国柄である。「近くて遠い国」とも言われるが、トップが頻繁に会えば少しは気心も通じるだろう。いい事なので温かく見守りたい。

韓国の対日感情を象徴するのが、戦争博物館の展示である。大きな都市に行くと、その国の戦争博物館を見る事にしているが、ソウルの規模は世界的にも大きい方である。何度か訪れたが、特に朝鮮戦争で使われた兵器が所狭しと並べられていた。

館内の展示は歴史を時系列で辿っているので分かり易い。韓国らしいのは、その内容が時の風潮で替わるのである。

例えば反日が続いた時は、秀吉、加藤清正の朝鮮出兵から植民地時代までの抗日一色だった。処が朴槿恵政権になった頃だっただろうか、敵は日本から北朝鮮に代わっていた。朝鮮戦争や、北のスパイが闇に紛れて上陸する恐怖を煽っていた。

歴史家の宮脇淳子さんは、この書き換えを許容する国民性を「ファンタジー世界の住人」と呼んでいた。時の政権が都合のいいように歴史を弄るのである。「(韓国人は)ゴールポストを動かす」と言われたり、韓流ドラマが受けるのもその辺と関係している気がする。

日本製品の不買品運動や慰安婦像など、謂れのない批判はとても不快であった。もう繰り返して欲しくないので、今の関係が続いてくれればいいが・・・。

Tuesday, 19 May 2026

スパゲティーの話

 グルメ話の最後はスパゲティーである。ヨーロッパを旅すると、殆どランチはスパゲティーそれもボロネーゼにしている。ひき肉にオリーブ油で味付けしたこの一品は、当たり外れがない。

因みに今まで一番美味かったのが、意外にもマケドニアの首都スコピエだった。スコピエはソ連時代の銅像が建ち並ぶ荒廃した町だった。でもマザーテレサの生家を出た処で、小さなレストランのボロネーゼは格別だった。

トマトソースのナポリタンもいい。昔から日本の洋食屋の定番で、日本風にアレンジした味は喫茶店で生き続けている。

そのナポリタンだが、やはり本場のナポリの味に勝るものはなかった。郊外にあるポンペイの遺跡を見て、噴火したベスビオス山に登った。その帰り道、偶然立ち寄ったレストランで食べたナポリタンは最高だった。美味し過ぎて大皿二皿を平らげた。

またボンゴレという魚介類が入ったパスタもある。此方はバルセロナ郊外の漁村で食べた味が忘れられない。

一方ヨーロッパで一番不味いスパゲティーは、何とフランスのパリである。何処も茹で過ぎるからパスタはグニャグニャになる。こればかりはフランス人とイタリア人の味覚の違いを感じるのである。

Saturday, 16 May 2026

皇室典範改正のタブー

皇室典範の改正が進んでいる。男系男子の継承に限りがある中、女性天皇や旧宮家の復活が議論の的になっている。昔なら側室の子供が沢山いたので、こんな問題にはならなかった。皇室にはタブーが多いから、嘸かし関係者も大変だろう。

実はあえてそのタブーが許されるなら、第三の可能性もあると思っている。それは皇居に建つ楠木正成像に関係する。

楠木正成は鎌倉幕府打倒に貢献した武士である。後醍醐天皇に尽した英雄として、子供の頃に「青葉茂れる桜井の」の歌も聞かされた。でも何故その像が明治になって建てられたかがポイントである。

というのも、南北朝時代から江戸末期の孝明天皇まで、天皇はずっと北朝の血を継いでいたからである。ところが楠木正成は列記とした南朝の侍である。

つまりそこから導かれる解は、〜孝明天皇=北朝、明治天皇〜=南朝の構図である。従って「明治天皇は孝明天皇の子ではない」になる。では明治天皇は何処から来たのか?そして北朝の血を引く人たちは何処に行ったのか?が次の疑問になる。

話は飛ぶが、ダン・ブラウンの「ダヴィンチコード」にも似たような話があった。物語の最後に、ソフィーと称する普通の女性が村人に囲まれるシーンがある。彼女はキリストとマグダラのマリアの血を引く末裔として、何世代にも渡って保護されてきたのであった。

そう考えると、明治天皇になった若者やその祖先も、400年に渡る時代を経て保護されてきたと考えるのが妥当である。また維新で追放された北朝の人達も、今でも何処かに保護されながら暮らしているに違いない。

所詮は兄弟で袂を別った南北朝である。どちらも天皇家には変わりない。一時は失脚した北朝の末裔には男系男子もいるだろうし、南朝の旧宮家よりよっぽど筋を得ている気がしている。

Thursday, 14 May 2026

ラーメンの話

TV番組ではやたらに食べ歩きが多い。製作費が安いからだろうが、見ていると「美味そうだなあ!」と食べたくなってくる。その代表格がラーメンである。

日本人でラーメンを嫌いな人は殆どいない。だから仲間内でラーメン談議が始まると物凄く盛り上がる。「あの店が美味いの不味いの」と。普段は食に無頓着な男たちが、こぞって自慢話を始めるから可笑しい。その時だけは皆さん本当に生き生した顔になる。


個人的には、手軽に楽しめる丸源「肉そば」のファンである。ゆずスープに柔らかい肉が絶妙に絡み、何とも言えない味を醸し出している。麺に手を付ける前に、そのスープを一口二口と吟味するが、「この味だ!」と帰って来たような気分になる。

でも昔、寒い日にお腹が減って食べたラーメンに勝るものはない。正に「空腹こそ最大のご馳走」である。そして仕事帰りに散々梯子して、最後の〆として随分とお世話になった。

ミシュランガイドに初めて載ったラーメン屋にも行った。新宿の店に並んで待つ事1時間、不味くはなかったが、そこまでして行く処ではなかった。食の性格上、あまり凝り過ぎるのも良くない。やはり分須相応の弁えが大事で、「下町中華」の域を超えてはならない。

いつからかラーメンの決め手は水だと分かった。喜多方や佐野そして新潟など、美味いのは軟水の地であった。以来東京でどんなに頑張っても、(店主には申し訳ないが)余り期待しない事にしている。

Wednesday, 13 May 2026

レストランの勝手格付け

グルメの話しになると余りあり過ぎて、どこから攻めていいのか分からない。思い出したのは、知人のJC氏である。彼は趣味でレストラン巡りをしている内に、勝手格付けの本を出した美食家である。その名も「絶対行ってはいけない有名店、行かなきゃいけない無名店」であった。

当時はミシュランもない頃だったので、異色の辛口本だった。20年も前なのでもう紹介してもいいだろう。例えば有名店とされる吉祥寺の焼き鳥「いせや」や麻布の蕎麦屋「更科」を、ケチョンケチョンにこき下ろした。


一方で文京区の寿司「鮨すず木」など、無名店の発掘に励んだ。鮨すず木は何度か訪れたが、確かに美味しかった。

その中にロシア料理の店で、ご本人も出資した「ゴルバジェフ」があった。時あたかもソ連が崩壊した直後だった。日本を訪れた元大統領のゴルバジェフ氏が、自分の名前がレストランに冠していることに激怒し閉鎖に追い込まれた。

それはさて置き、その勝手格付は引き継いで借用させて頂いている。行った先ごとに、その感想を★、★★、★★★の三段階で評価する。こうすると記憶の片隅に残り、店主と真剣に向かい合える。

例えばお寿司だと、梅が丘の「美登里寿司」は安くて美味しいが、全て予約制かつ90分の時間制限、何より最近ではカウンターでアラカルトを堪能出来ないから★★に下げた。昔鳴らした「勘六」も、ガランとして値段だけは昔のままだから★である。一方友人と時々通う築地の「寿司清」は、いつも活気があってネタも新鮮だから★★★にしている。

Friday, 8 May 2026

東京のグルメ三昧

ゴールデンウィークが終わった。各地の行楽地や高速道路は大変な賑わいだった。現役のサラリーマン諸氏には、さぞかしお疲れとお察し申し上げる。

随分前から、この繁忙期は東京から出ない事にしている。そして普段は疎遠なグルメを堪能する。何より美味しいものを食べると幸せな気分になる。知らない味に接すると、五感が刺激され新たな発見に繋がる。


そういう事で今回も随分と贅沢した。まず初めは「根津のはん亭」である。暫く前にゴルフで一緒に廻った人が谷中の人だった。「谷中銀座は外人ばかりです」と話していたのを思い出し、昔よく通った串揚げの名店に行ってみる事にした。かれこれ30年ぶりだったが、古風な店構えは昔のままで懐かしかった。味はとても洗練されていて、コースの12本を広島の銘酒「誠鏡」で堪能した。

2軒目は話題になっている「焼肉きんぐ」である。テレビで黒柳徹子さんが肉を好んで食べていた。それを見て、「そういえば焼肉なんか何年も行ってないな!」と決めた。焼肉きんぐは時間制の食べ放題、飲み放題、久しぶりの肉は美味かった。肉はアンチエージング効果もあるので再チャレンジしてみたい。

3軒目はイタリアンである。家の近くにイタリア人がやっている店がある。これも久しぶりだったが、やはりモッツーラのピザや生ハムは本格的だった。

4軒目はとんかつである。渋谷の和幸もいいが、今回は青山の「まい泉」にした。風呂屋を改装した広々とした空間がとても心良い。とんかつ専門のこじんまりした店は、量が多いせいか胃に応える。その点チェーン店の和幸やまい泉はさっぱりしていて、お値段も手ごろなので気に入っている。ご飯との相性も良く、食べ終わると何とも言えない充実感に浸る。

Tuesday, 5 May 2026

スパイと公安

日本にも日本人スパイがいた事を思い出し、佐々木譲の「帝国の弔砲」を読み直した。

物語は、満洲に渡った子供がロシアで教育を受け、ロシアのスパイとして日本に送り込まれる大作である。オークニー島の「座って待っていたスパイ」と同様、普段は普通の生活をしているが、ある時同志がやってきてそのベールを脱ぎ、要人暗殺を企てるのであった。

これを読んでから、近所で職業不詳の人を見ると、「ひょっとしてスパイじゃないか?」と思うようになった。

この話を千葉に住むM君にすると、彼も「近所にいつもカーテンが下がっている家がある」という。グーグルマップでもボカシが入っているから、ひょっとして北朝鮮か中国のスパイでは?と疑っていた。

そのスパイを取り締まるのが公安である。普段はあまりご縁がないが、意外な所でお目に掛った。

随分前になるが、国際会議で来日したフィリッピンの女性社長がいた。彼女を含め何人かの外国人を連れて東京駅で新幹線に乗ろうとした時だった。その人が突然姿を消した。後で分かったのは、公安に補導され職務質問を受けたのだった。派手な服装と水商売風の風貌がいけなかったのかも知れない。その時初めて「身近な所に公安っているんだ!」と知った。

佐々木譲氏の小説は警察モノが多いが、こうした海外を舞台にした作品はとても面白い。「エトロフ発緊急電」や「ベルリン飛行指令」「ストックフォルムの密使」など、随分と楽しませてもらった。

Saturday, 2 May 2026

カウラの脱走事件

収容所からの脱走は自由を求める。ただそうでない脱走もある。それがカウラの脱走事件だった。

カウラ(Cowra)はシドニーから内陸に300㎞も入った町である。太平洋戦争の時に、南方戦線で捕虜になった日本の軍人と民間人約1100名が収容されていた。そして1944年8月5日に脱走事件が起きた。

捕虜達は鉄条網を乗り越えはしたものの、戦う武器もないまま、300人を超える死傷者を出して鎮圧された。中には自害した人もいて、当時はそれを狂気と見做された。ただ次第に日本人の死生観が明らかなるに連れ、事件の全容が解明されたのである。

日本軍人には「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残す事勿れ」の教えがあった。そのため多くの兵士は、捕虜として生きている事に葛藤していた。もしも生きている事が日本の家族に分かれば、村八分や恩給の停止などで大きな迷惑が掛るからだ。

脱走は万歳突撃のような、死に場所を求めた最後の行為だった。まだ中学を出たか出ないで軍隊に入った若者にとっては、その理不尽を疑う事もなかった。

数年前にカウラを訪れた時、「鉄条網に掛かる毛布(Blankets on the wire)」というオーストラリア人が書いた本を読んでそれを知った。同じ頃にイタリア人捕虜も沢山いたが、彼らは只管戦争が終わるのを待って楽しく過ごしていたという。その対照的な生き方に、改めて複雑な思いがした。

収容所跡には、オーストラリア政府の手厚い配慮で日本人墓地と日本庭園があった。頭が下がる思いでお参りした。