Wednesday 21 December 2011

個人商店のない町

この国では身分証明書の事を、IDと云わずドキュメンツと呼ぶ。空港の入出国や銀行の窓口などで「ドキュメンツ!」と云われると、旧ソ連時代のKGBに催促されているような怖い響きがある。独立して20年経つが、こうした過去の面影がまだ多く残っている。

例えばお店である。普通、どこでもあるような八百屋、魚屋、パン屋、洋服、靴屋がこの国には殆どない。最初は気が付かないだけかと思っていたが、どこを探してもそうした個人商店がない。あるのは、市場か独立後に外資が披いた大型ショッピングモールだけである。社会主義は配給制なので、当然と云えば当然だが、これが味気のない街並みを作っている。もう一つは人の笑顔である。社会主義ではなるべく売らずに在庫を持った方が良かったので、サービス精神などといったものは当然なかった。未だに40歳以上のおばさんは、怖い顔で「次、何欲しいの?」といった命令調が絶えないのはそのためだ。

思えば学生時代、マルクス経済学を履修させられた。難解な学問に反して、終わってみればその実態はかくの如き非人間的な世界だった。歴史のイフではないが、もしもマルクスとソ連が生まれていなかったら、という思いに馳せるのである。

1 comment:

EM said...

20世紀を通じた壮大な社会実験がマルクス社会主義でしたが、それは見事に敗北しましたね。しかしそのお蔭で世界がはっきり色分けされ、権力が東西で拮抗したので、結果として日本は漁夫の利を得た訳でもありますね。

東西対立と云う基軸がなくなった世界はどこに漂流していくのでしょうか。米・中の対立がこれからのパラダイム形成の主軸になって行く気がしますが。それとも宗教的対立でしょうか?