旅はそのサラエボから始まった。日本から乗り継ぎを経て20時間、クロアチアの首都ザグレブで予約していたレンタカーを借りた。今回はオペルのアストラだった。早速近くのガソリンスタンドに寄り地図を買った。ナビより、言葉の分からない地域ではこの地図が一番役に立つ。それを頼りに走ること400㎞、ボツニア・セルツゴビナの国境を越え、夕方にサラエボに着いた。
サラエボは盆地に位置する大きな町だった。俗に言う「スナイパー通り」を只管センターに向かい、探し歩く事2軒目の宿が空いていたので泊まることにした。主人はトルコ人だった。車を置いて街に出ると、殆どがイスラム風の店だった。翌朝、早速サラエボ事件の現場に行ってみた。それはスパイナー通りから路地に入った一角だった。皇太子の馬車が狙撃された現場に立つと、数年前に訪れたダラスのJFK暗殺ポイントに立った事を思い出した。どちらも車の速度を落とした処を狙われたようだ。変哲の無い通りだが、歴史のターニングポイントに暫し佇み、犯人の心境に思いに馳せた。
サラエボの市内は新旧の建物が混在していた。20数年前のサラエボ包囲で多くの建物が破壊されたからだ。それも4年も続いたというから驚きだった。冬季オリンピックの後だが、良く持ち応えた。市民の命を繋いだトンネルが空港近くに残っているというので、やっと探し当てて訪れてみた。今では数メートルしか残していない観光地だったが、改めて当時の緊張感が伝わってきた。
市内には正教の新たな教会も建っていた。正教とは攻撃したセルビア人の宗教だが、市内のセルビア人も多く被害に遭ったかというから良く分からない。その教会のキリスト像は三本の指を翳していて、何か変な気がした。戦争博物館にも行ったが、こちらはパネルだけで、何も展示されていなかった。まだそれどころではないのかも知れない。
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