Thursday, 27 July 2017

ジェノサイトとVišegradの橋

サラエボから、同じボツニア・ヘルツゴビナのVišegradという世界遺産の町に向かった。市内を出るとき、ヒッチハイクの若い男女が居たので乗せた。聞くとフランス人の学生で、リール大学で社会学を専攻しているという。ヒッチハイカーを乗せるのは少々リスキーだ。昔、オーストリアでコックの見習いを乗せた処、途中で言葉が通じないのでトラブルになった事があった。以来、身なりのいい旅行者を選んでいる。車中、彼らは「セルビア人のジェノサイトが何故同じ人間として起きたのか?確かめに来た」と言っていた。テント一つで、これからベオグラードに行くと言うので途中で下した。

そのVišegradに向かう途中、Srebrenicaという村に寄った。ここは数あるジェノサイトの中でも最大の犠牲者が出た場所だ。走る事3時間、暑い中でやっと着くと、そこには最近出来たお墓があり、多くの人々がお参りに来ていた。1995年にセルビア軍がボツニア人8000人以上を殺害し、その数は第二次大戦のユダヤ人以来と云われている。そこからVišegradに行くには、セルビア国境を通るのが近道だ。しかし地元に人に聞くと、誰もが「遠回りしてもそこを通るな」と云う。本当の処は分からなかったが、結局倍近い距離を迂回して夕方Višegradに着いた。

Višegradにはドリーナ川に架かる立派な橋があった。早速橋の袂のホテルに入り、乾いた喉にビールを流し込んだ。知らなかったが、橋を有名にしたのが、ノーベル賞作家イボ・アンドリッチの「ドリーナの橋」だというので、早速取り寄せ読んでみた。美しい風景とは裏腹に、罪人を串刺しの刑にするリアルな描写から始まる小説だった。そう言えば、これも後から知ったが、このVišegradの町も、3000人のジェノサイトがあったという。先のSrebrenicaに先立つ事3年、そんな過去が信じられない程長閑だし、人々も落ち付いていたから未だに信じられない。それにしても、切り立った山間にエメラルドの湖が横たわる秘境であった。

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