Monday 17 May 2021

林住期を生きる

今年も長野の山奥で過ごそうと思っている。自然は飽きないし、陽が昇ると目を覚まし陽が暮れると酒を飲んで床に就く。不思議に一日はあっという間に過ぎていく。何より気圧が低いのが快い。誰かが胎内と同じ環境と言っていたが、暫くいるとそれが段々分かってくる。そんな生活振りを見て旧友のMさんは、「それはヒンズー教の林住期を地で行っているね!」という。話を聞くと、古代インドでは65歳を過ぎると家族と離れ、森の中で修行と瞑想に耽るらしい。漢字を一つ間違えれば臨終期になってしまうが、今でいう終活の一種のようだ。

瞑想とは聞こえはいいが、晩年は自身の過去と向かい合わねばならない。上手く行った体験もあるが、思い出すのは殆ど失敗談である。若気の至りで不徳を重ねた付けを償うのは大変だ。出てくるのは後悔と恥ずかしさばかりで、今ならもっと上手くやれるのにと思っても時既に遅しである。色々な人の顔も浮かんでくる。先日も今から20年も前に自宅で行った桜の花見を思い出した。友人の一人が気を利かせ知り合いの若いサックス奏者を連れてきた。その人が素晴らしい演奏をして会に華を添えてくれたのだが、その時は「有難う」を言って帰って行った。ただ彼はプロだったので謝礼を包まなくては行けなったのではないか!そんな事にハッと気が付いた。死ぬまでこんな葛藤が続くのだろうか?正に人生は修行である。 

そんな事を考えていたら、ジョージ・オーウェルの「1984」の中に、ある老人が「年寄りになると、若い頃と同じ悩みをしなくて済む」みたいな話をしていた。確かに若い頃は仕事や恋愛で悩むことが多かった。これから先、俺の人生はどうなるのだろう?毎日そんな不安を持って生きていた気がする。幸いその心配は今もうないし、そう思うと気が少し楽になる。折角ここまで来たのだから、余り自身を責めないで生きて行きたいものだ。

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