Friday, 12 December 2025

リガの鉄十字勲章

 「オデッサファイル」の続編にはガッカリさせられたが、折角なので50年前の原作を読み直してみた。これで3〜4回目になるだろうか?相変わらずの濃厚さに吸い込まれた。

冒頭にリガの収容所が出て来る。ラトビアの首都リガに行った時にはそんな形跡はなかった。それもそのはず、ソ連が迫った時に取り壊してしまった。当時のカイザーバルトと呼ばれる収容所のユダヤ人は、チェコのテレジン収容所から送られてきたと言う。テレジンには何年か前に行ったので土地勘が働いた。

テレジンはプラハの北方50㎞に作られ、更に辺鄙な場所に移送すための仮置き施設だった。半分町のような風景に、まだ戦争の初期だった事もあり、アウシュビッツのような最終処理場とは随分と趣きを異にしていた。

ラトビアの西にリアパーヤという港町もある。バルチック艦隊が出港した港として有名であるが、その郊外を走ると貨車がポツンと保存されていた。囚人を運んだ家畜用の貨車であった。ただでさえも寒々しい土地で、当時を彷彿とさせる迫力があった。今回もそんな光景を思い浮かべ小説と重ね合わせた。

オデッサはナチSSの逃亡組織、ファイルはその名簿である。戦後イスラエルのモサドの追求で、アイヒマンなど南米に逃れた残党の捕獲に繋がった。

ただ小説の主人公は同じドイツ人であった。彼は偶然手に入れたユダヤ人の遺稿から、軍人だった父親が、同じドイツ将校に殺害された事実を知るのであった。その意味で物語は親殺しの復讐であった。

決め手になったのが、柏葉と剣付の騎士鉄十字勲章であった。鉄十字の叙勲は30万人と多いが、柏葉に剣をあしらった勲章になると少なかった。殺された父親はそれを付けていた事で、死亡日から犯人を特定したのであった。

因みにこの受勲者は全部で159名、日本人で唯一の受勲したのが山本五十六だった。

Tuesday, 9 December 2025

オデッサファイルの続編

紀伊国屋に行くと、フレデリック・フォーサイスの新書があった。大ファンだけに「あれ?まだ出していたの」と期待も半分、何か腑に落ちない気持ちで買ってみた。タイトルは「Revenge of ODESSA」であった。前作の「The ODESSA file」から、かれこれ50年以上も経っていた。

主人公のMillerも孫に代わり、どんな展開になるかと思いきや、結局アクション物に毛が生えた普通の本だった。当のフォーサイスも今年の6月に亡くなっていて、著作は共著の作家が書いたのは明らかだった。前作はナチの名簿ファイルに辿り着く仕掛けが面白く、緊張感があっただけにガッカリした。

著名な作家の名前を借り、共著形式で続けるケースは多い。いい例がシドニー・シェルダンである。今出版されている半分はTilly Bagshaweという女流作家との共著である。彼の初期の作品から読み進んでいくと、途中からその共著に突き当たる。ただその落差は大きく、それに気付いてからは止めている。

若い頃に夢中で読んだクライブ・カッスラーもそうであった。海を舞台に難破船を探すシリーズはどれも素晴らしく、主人公のDirk Pittは憧れの人だった。ただいつの頃からか、色々な作家との共著に代わった。すると全く別物になったので止めてしまった。

日本ではあまりないケースかと思うが、欧米では何故か虎の威を借りた出版がまかり通っている。あまり上手く行っていない気がする。

Thursday, 4 December 2025

ヌルハチの骨壺

高市首相の台湾有事の発言で、中国が大きく反発している。台湾は中国の一部、その内政に口を出したのがいけなかったようだ。何か分かったような分からないような、ピンと来ないのが実感である。

習近平の台湾統一への執念はどこから来るのか? 個人的にはかねがね、故宮博物院ではないかと思っている。蒋介石が持ち去った60万点を超えるお宝である。北京にも博物館があるようだが、多分比べ物にならない規模だろう。

権威の象徴はお宝である。逆にお宝な無ければ権威は保てない。例えばそれは、フランスからルーブル美術館を、ロシアからエルミタージュ美術館を、英国から大英博物館を取ってしまう事を想像すれば、容易に理解できる。

お宝がない国は、権威の裏付けがないから不安定になる。今の中国は経済大国かも知れないが、その箔が欲しいのである。

余談だが、バルト三国には国立博物館なるものは一応あるが、ショーケースの中身は殆どないのに驚かされる。ソ連の時代に持って行かれたからである。権威の象徴がない国は心理的に弱く映る。ロシアをして、ウクライナに次いで又取りに行こうとする気にさせるのである。

インディ・ジョーンズの映画「魔宮の伝説」の冒頭に、ヌルハチの骨壺を取り合うシーンが出て来る。ヌルハチは清の初代皇帝である。そんな骨壺に命を賭ける中国マフィアを思い出した。

Sunday, 30 November 2025

ヤツメウナギ

先日、ウナギを絶滅危惧種にする規制案が否決された。うなぎの7割を輸入する日本にとってはホッとした。ただでさえ高いウナギである。もはやこれ以上になると、日本の食卓から消えるかも知れない。

ただ一口にうなぎと言っても、普段我々が口にする二ホンウナギ に対し、ヨーロッパのヤツメウナギは全くの別物である。それを一緒に議論するのがそもそも間違っている。

昔パリの中華料理店でウナギを食べた事がある。出て来たのは輪切りにした、まるでヘビのような産物だった。見た目にもグロテスクで歯ごたえも固く、太い骨も残っていたので途中で降参した記憶がある。それが正にヤツメウナギであった。

そうは言っても、ヨーロッパでは珍味に入るのかも知れない。「モンテクリスト伯」の小説の中に、そのヤツメウナギが登場する。時は19世紀のパリ、伯爵が客を招待し珍味で驚かすシーンである。

一つはロシアのボルガからチョウザメを、もう一つはナポリからヤツメウナギを取り寄せる。生きたまま運搬するため樽を特注し、チョウザメは12日、ヤツメウナギは8日かけてこれも特別仕立ての貨車で運んだ。その破格の費用と心遣いに、客は心酔して警戒を解くのであった。

処でヤツメウナギを出す店が目黒にあると分かった。一度は懲りたが、さぞかし日本の味付けも違うだろうから、いつか試してみようかと思っている。

Saturday, 29 November 2025

ウィンターノーズ

犬を飼い続けてかれこれ20数年になる。今の犬で5頭目になる。最初の2匹はラブラドールで、3頭目からゴールデン・レトリバーにした。ずっと2頭飼いを続けていたが、4頭目が胃捻転で早死にしてしまってから1頭に戻った。


犬と一緒に暮らしていると、今更ながらの発見がある。その一つが鼻の変色である。普段は黒い鼻が寒くなると白くなる。心配になって医者に聞くと、これは「ウィンターノーズです」と言う。冬になると紫外線から皮膚を守るメラニン色素が減るので、白っぽくなるようだ。人間もそうだが、季節の変わり目のお肌は敏感なのである。

それから春秋の毛の抜け代わりもある。人間で言えば衣替えである。この秋も10月に夏用の毛が落ちて、もっこりした毛が生えてきた。冬ものを買う訳でもなく、その生命力に感心させられる。

それから(人間もそうかも知れないが)、いい子に育つには兎に角、褒めるように心がけている。「待て」が出来た時は勿論、よく頭を撫でて「よしよし!」をしている。そうすると犬もリラックスして、もっといい子になろうとする。

否定的な言葉はなるべく使わないようにしている。ただ「あっち」と「終わり」は例外で、更なるおねだりを止めさせる時に使う。これを聞くと直ぐに諦める。

Tuesday, 25 November 2025

モンテクリスト伯の映画

 いま上映されている「モンテクリスト伯」を観に行った。最近何度目かの再読をし、十分予習をした矢先だった。しかし小説とは随分と異なる展開に、「これって違う!」を心に中で連発した。

まず冒頭のナポレオンの手紙だが、海で助けた女が持っていた。小説では船長が息を引き取る時にダンテスに手渡すので、全くの創作だった。

次にその手紙だが、手に入れた検事はそれを隠匿した。宛先がパリに住む父親だったからである。父親がナポレオン派と分かれば、王党派の彼の未来はない。それを恐れてダンテスを投獄するのだが、その大事な件が全く描かれていなかった。

ダンテスが復讐するのは、検事、銀行家、将軍の三人である。銀行家を偽情報で破綻させるのは正しかったが、あと二人の扱いが随分と違っていた。特に将軍は妻子に捨てられ、絶望の中で自ら命を絶つはずだった。しかし映画の後半では、ダンテスと剣を交えていた。これでアクション物に成り下がってしまった。

また最後は、アルベールとエデが結ばれるシーンで終わっていた。とんでもない話である。アルベールは絶望の中で家を捨て出て行くのであった。エデはもっと神秘的な女性で、ダンテスとの未来を暗示して幕を閉じる。そもそも彼女はギリシャ人なのに、フランス人女優が演じていた。間違った筋書きで、作品は二流のロマンス物になった。

昔クライブ・カッスラーの「サハラ(日本語:死の砂漠を脱出せよ)」という痛快な小説があった。これを映画化したのが大失敗で、以降カッスラーは怒って許可を出さなくなった。今回その話を思い出した。

上映が終わり、連れに「全然本とは違うよ!」と話していたら、後ろにいた女性が「そうなのよ!」と割り込んできた。全く知らない人だったが、知る人なら誰しもストレスが残ったのであった。

Monday, 24 November 2025

2013年8月の参院選

 家の片づけをしていると、昔の週刊文春が出て来た。2013年8月号で、参院選挙の結果が特集されていた。安倍政権下で自民党が圧勝し、民主党が大きく議席を減らした時だった。


写真には笑みを浮かべる安倍首相と、石破幹事長、高市政調会長が並んで写っていた。「10年ひと昔」とは良く言ったものである。あれから安倍さんが暗殺され、石破さんは失脚して高市女史の時代になった。ヒトの一生もそうだが、政治は特に一寸先は闇である。

安倍さんの時代は良かった。アベノミックスの三本の矢で経済の活性化があった。1万円そこそこだった日経平均が、あの頃からジワジワ上がり始めて今では5万円になった。多くの投資家は当時、やっと元が取れたと売り始めた頃でもあった。もしあの時に買っていたら、金融資産は5倍になったのである。

その明るさを象徴したのが「桜を見る会」であった。政財界のお歴々、各国の外交官や芸能界のスターが華を添え、新宿御苑で催された。一部の横槍で中止になったのはとても残念である。女の嫉妬は凄いと聞くが、オトコのやっかみも根が深い例だった。

日本人なら桜を嫌いな人は居ないし、桜に右も左もない。これから与党だけでなく共産党も入れた全党で、この日だけは皆日本人がひとつになって、楽しむ会として復活させたらいい。

処でその週刊誌に、大谷選手の記事が小さく載っていた。彼は当時19歳、日本ハムファイターズの3番手の投手として20球近く投げた時だった。その時も「二刀流が続けられるのか?」例によって批判的な内容だった。そんな悲観を跳ね返した彼も去る事ながら、記事を鵜吞みにしていた自分を恥じるのであった。