Saturday, 10 June 2023

日銀の評価損

株価が上がり続けている。日経平均も3万円を超え、バブル以降の最高値を更新している。実感と随分とかけ離れているだけに何か気持ち悪い。 

株価を押し上げているのは外人買いという。堅調な企業業績と株価の割安感で見直しが入ったという。先日投資の神様のバフェットが、日本の商社株などに言及したのも大きい。確かにこの円安だから、ドルベースにすると相当の割安感があるのだろう。それにしてもどこまで今の上昇が続くのだろう?

心配なのは突然のバブル崩壊ある。ウクライナなどの国際情勢も然る事ながら、やはり国内の金融政策の転換が気になる。日銀総裁の交代で現実味がグッと増してきた。金利が上がれば当然ドル安になるから、外国人投資家は売り株価の下落が始まる。

 何より恐ろしいのは、日銀の抱える国債の評価損である。一説には1%の金利上昇で28兆円の含み損が出ると言われている。当然利払いも増える。0.25%の金利上昇で1.3兆円の利払い増と云うので、12兆円の自己資金は一挙に枯渇し債務超過になるらしい。先日アメリカのデフォルト回避が話題になったが、対岸の火事どころではない。

 よく「日本の国債は対外債務がないから大丈夫」とか「個人資産の2000兆円と国債残高の1000兆円は相殺できる」なんて乱暴な事をいう人がいる。ただそうなれば年金は無くなるし医療保険も効かなくなり、国民生活は大混乱するのは必至である。いつまでも国債や株を買い続けるのは不可能だし、かと云って金利は上げられない。そのジレンマをどう解決するのか?とても他人事ではない。

Wednesday, 7 June 2023

ナヴァロンの嵐のロケ地

ウクライナでダムが決壊し大洪水になっている。戦争とはいえ、ロシアの追い詰められ手段を選ばない姿が見えてくる。ただダムはそう簡単には壊れないとも識者は言う。

思い出すのは映画「ナヴァロンの嵐(Force 10 From Navarone)」である。
連合軍が旧ユーゴスラビアのダムを爆破し、水の力でドイツの侵入を防ぐ話である。若き日のハリソン・フォードも登場し、パルチザンとチェトニックの抗争など面白い作品だった。 

 ただ此方はアリステラ・マクリーンのフィクションである。彼の想像力には予々感心するが、その時もダムは最初の爆破ではびくともしなかった。ただ時間が経つにつれ、水圧で徐々にヒビが入り最後は決壊したのであった。 

 映画のロケに使われたダムは見た事がないが、何年か前にバルカン半島を旅した時、その決壊で流された橋を通った事がある。 

 その日はノーベル賞の「ドリナの橋」で有名なボツニア・ヘルツゴビナので町を出発し、一路アドリア海を目指して南下した。モンテネグロに入り暫くすると、物凄い長さと高さの橋に出会った。それがタラ川に架かるDjudjevic 橋だった。全長365m高さ170mもあり、映画に出てきた橋だった。 

橋は戦前に出来たというから驚きだ。戦時中に設計に携わったエンジニアがそれを破壊しようとした。後にそれが判明しイタリア軍にその橋で殺害された逸話もある。今ではバンジージャンプのメッカになっているらしいが、渡り終え下を見てゾッとした記憶がある。

Monday, 5 June 2023

2022年のエドガー賞

昨年度のアメリカミステリー作家賞(エドガー賞)に選ばれたジェイムズ・ケストレルの「真珠湾の冬(Five Decembers)」は大変面白い小説だ。

物語はホノルルの刑事が太平洋戦争に前後して殺人事件を追う話である。舞台はハワイから香港、日本へと移り、主人公も時代に翻弄されながら、最後は本懐を全うするのであった。 

 日本人として親しみを感じるのは、彼は戦時中の4年間を東京で保護され生き延びた事だった。本当に当時そんな事が出来たのだろうか?と思う節もあるが、流れが自然なので許してしまう。昔何かの本で、東京にいたアメリカ人捕虜がB29の落とす爆弾を見上げていた話を思い出した。

戦争が終わると横浜からミズーリで帰国する件や、野沢温泉まで旧知の女性を慕って行くシーンは、何とも当時を彷彿とさせノスタルジックであった。勿論主人公の真摯な女性関係が、作品をよりウェットにしたのは言うまでも無い。

Tuesday, 30 May 2023

Boeingのジェット船

先日佐渡に行った。二泊三日の旅だった。嘗て栄えた金山や国鳥の朱鷺などを見て廻った。今から60年以上前、小学校に入るか入らない頃に親に連れられて行ったので2回目の訪問である。その時は船に酔った記憶だけが残っている。

流石今の高速船は早かった。新潟港から佐渡の両津港まで1時間で行けた。勿論揺れもしないので快適だった。ところがその船を見てビックリ、船首にBoeingと書いてある。調べるとベトナム戦争の時に使ったミサイル艇が原点らしい。海運大国の日本だから、自前の高速艇もあるだろう!こんな小型艇までアメリカから買わされたかと思うと、複雑な気分になった。 

 思い出したのは国産機のスペースジェットである。20年以上かけて官民一体となって開発してきたのに、遂に先ごろ三菱重工が開発を断念した。詳しい事は分からないが、日本の航空産業の再建を快く思わないアメリカの横槍だったのでは?と思ってしまう。

 船内では、黒木亮の「トリプルA」を読んだ。90年代前半の金融危機を描いた話である。その前に読んだ「獅子の如く」と違って実名が多いので、少しは臨場感があった。色々当時を思い出したが、S&PやMoodyの格付会社の背後には、やはりアメリカ政府の大きな力を感じた。

80年代に台頭した日本の銀行証券を潰しに掛かったのだろう。アメリカは時に産業界と政府の人の行き来が盛んだから、利害が一致した時のモメンタムは大きい。敗戦して78年が経ったが、まだまだあちこちで戦後が続いている。

Monday, 29 May 2023

企業戦士は命懸け

黒木亮(本名金山)の本に、彼がロンドン赴任の前に実の父に会いに行く件がある。岸信夫氏ではないが、就職の時に戸籍を見せられ、初めて自身が養子だった事を知った。中々ドラマティックで、彼が長距離ランナーとして大成した理由も分かったり、養父との絆を改めて強くした。

会いに行ったのは、海外に出ると生死が危ぶまれるからだった。事実暫くして、彼は飛行機の車輪トラブルやロンドン爆破テロに遭遇した。企業戦士だから死とは背中合わせは宿命なのかも知れないが、その心構えは間違っていなかった。

思えば似たような経験が生涯二度あった。一度目はマレーシアである。その日は首都のクアラルンプールから東海岸のクアンタンまで、海上の天然ガス基地の視察に出かけた。生憎の雨でツアーを企画したペトロナスの人は、「今日は着いてもヘリが飛べるか分かりません」と言っていた。

延々小型バスに揺られウトウトとしていた時だった。バスがカーブでスリップしグルグルと廻った。気が付くと崖の中腹で止まっていて、もう一回転していたら下まで転落していた。其の日は引き返すのかと思って居たら、何もなかったかのようにツアーは続行された。マレーシア人の能天気さにも驚いた。

二度目はパリである。当時はアルジェリア系イスラム組織のテロが頻発していた頃だった。今の銃撃事件ほどは激しくなかったが、時々パリでも爆破が起きた。其の日はいつものように凱旋門を通って車を走らせていた。会社に着くと、その通勤路でゴミ箱が爆発したニュースが報じられていた。数分遅れていたら巻き込まれていた。

尤もNYの9.11で命を落とした人は多いし、交通事故に遭ったりスパイ容疑で拘束される人もいる。企業戦士だから仕方ないのだろうが。

Thursday, 25 May 2023

インバウンドあれこれ

コロナも解禁し、海外からの観光需要も回復して来た。嬉しい反面、また行楽地で混雑が始まるかと思うと複雑な気分になる。

そんな中、ガイドを始めた友人のHさんが面白い事を言っていた。それはフランス人観光客の人気スポットである。京都や奈良かと思いきや、なんと最近は岡山の犬島や直島という。島全体が現代アートに包まれ、フランス人の好きな草間彌生などのオブジェが置かれているそうだ。

 外国人が日本の価値を見出し、日本人が再認識するケースは多い。典型的なのは浮世絵だが、高尾山もミシュランに載ってから急に人が増えた。昔何かのTV番組で、北海道の寒村を取材していた。名もない食堂のドアを開けるとフランス人夫妻が食事をしていた。遥々こんな所まで来るのは新鮮な魚介を食べるためと聞いて、流石食に敏感な国民は違うと思った。暫くして真似してみたが、確かに知床や室蘭辺りの魚は旨かった。

日本が気に入って住み付く人も増えている。不動産が安いからだろう。特に中国人が多いらしい。治安の良さ、綺麗な空気、美味しい食など、日本は住み易いようだ。 

先日もとあるオープンコンペに出ると、中国人女性と一緒の組になった。中年の彼女は横浜で仕事をしているが、最近はリゾートの別荘で過ごす時間が増えたという。子供もいないので、郁々は日本の介護施設に入る計画という。「中国人が生魚を食べ出すと日本人が寿司を食べられなくなる!」ではないが、老後の施設まで心配になってきた。

Wednesday, 24 May 2023

人影の石

広島で行われたG7が無事終わった。当初参加が危ぶまれたバイデン大統領も来たし、何よりゼレンスキー大統領の参加はインパクトが大きかった。非核化に向けたメッセージにグッと重みがついた。これで岸田内閣の支持率も上がったようだ。

一行が初日に向かった先は原爆資料館だった。そこで強烈な印象を与えたのが「人影の石」だっという。ゼレンスキー大統領もそれが今のウクライナと重なったスピーチをしていた。

 私は子供頃、短い期間だが広島に住んでいた。当時はその「人影の石」はまだ爆心地のままの場所にあった。それは住友銀行広島支店の玄関に座っていた人が、原爆の閃光で影の部分だけ直射を免れたものだった。子供心にも強烈なショックを受けた記憶がある。今では資料館に移設されたと知り、改めて当時の事を思い返した。 

日本で戦争の記憶をオフィシャルに残しているのは、この広島と靖国神社の遊就館ぐらいではないだろうか。これも国民性なのか、憲法改正にみる歴史観もそうだが、戦争をタブー視しているからその痕跡が殆ど残していない。これは本当に残念である。

逆に海外を廻ると、沢山の日本の遺留品に出逢うから驚いてしまう。特にアメリカの持ち帰り品の多さは凄い。ワシントンDCのスミソニアン博物館、サウスカロライナの海兵隊記念館やテキサスの太平洋戦争記念館など、オーストラリアの首都にある戦争博物館やシンガポールも多い。正に外から見ると日本が見えて来るのだが、今からでも遅くないので歴史の収集をして欲しいと願う。