Friday 3 April 2020

マッカーサーの息子

その病院船が出港したノーフォークには、マッカーサー記念館(MacArther memorial )があった。かつての英雄の足跡を偲ぶ館だが、行ってみると訪れる人も疎らでひっそりとしていた。「老兵はただ消えゆくのみ(The old soldier only leaves)」の言葉通りに、今では本当に忘れられた人に思えた。

マッカーサーは戦後、次期大統領の有力候補としてアイゼンハウァーと競った。二人の運命を分けたのが朝鮮動乱だった。寝耳に水のある朝、北が38度線を越えて南下を始めた。東京にいた彼はあわてて指揮を取ったが、在韓米軍はあっという間に押し戻された。たがその後の反撃が功を奏し、今度は38度線を越えて中国国境に迫った。一気呵成の中国軍も劣勢に立たされ、あと一歩で勝利の時に本国から待ったが掛かった。梯子を外されたマッカーサーは、その後も日本寄りの発言で本国から、またある失言で日本国民からも見放されてしまい、政治家としてのピリオドを打たれた。

記念館にはフィリッピンや東京などで、家族を帯同して過ごした痕跡が数多く残っていた。家族思いの彼には一人息子がいた。マッカーサーの父も軍人だったので、息子もその血を引き継ぐのかと思いきや、彼は音楽家の道を選んだ。マッカーサーという偉大な名前も重荷になったのか、その後は名前も代えてNYで生きたという。その事がとても心に残った。

ジョン・トーランドの「朝鮮戦争」の副題は「勝利なき戦い」である。トランプも朝鮮に深入りしようとしないのはこの徹を踏まない為の気がする。

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