Saturday 21 August 2021

二本松の戦い

仔犬を引き取りにまた福島に行った。これで春から3回目の磐城旅行である。そんな事もあり、今まで殆ど知らなかった戊辰戦争も大分身近になってきた。今回は会津への進撃の前哨戦になった白河、二本松を訪れてみた。特に二本松藩の戦いはあっさり半日で終わってしまったので、会津が動揺したと何かに書いてあった事もあり是非行ってみたかった。ところが行ってみると山間に佇む静かな町には、小高い山の上に城壁跡が残る以外、何も観光スポットがなかった。戊辰戦争の死者数は1万人当たり50人と、会津藩の150人に次ぐ大きな犠牲者を出した割にはその痕跡もなかった。

戊辰戦争は板垣退助率いる新政府軍が最新の武器で破竹の進撃を続け、当初は抵抗を試みた奥羽越列藩同盟も徐々に道を開けるようになった。その中で最後まで戦いに抜いたのが二本松藩だった。結局老以下全員が討ち死にしたが、渡部由輝の「数学者が見た二本松戦争」によると、それは日本の藩で唯一だったという。初めは図書館で借りて読んだが、中々面白い本だったのでアマゾンで取り寄せようとしたところプレミアムが付いて5000円もしたので諦めた。やはりその道の人の目の付け所が違うなと思った。降参した藩士が翌日から最前線に送られ、昨日までの同志と対峙する当時の様子が何とも生々しく、行くも地獄、帰るも地獄の厳しさが伝わってきた。 

それにしても、鳥羽伏見の戦いで新政府軍と旧幕府軍の決着は付いていたのに、どうして戊辰戦争が始まったのだろうか?色々書物を読むうちに、それは長州の怨念のように思えてきた。長州藩は禁門の変で処分を受けたのにも拘わらず、第二次長州征伐で更なる追い打ちを掛けた会津が許せなかったのではないだろうか。そう言えば、新政府軍の東征大総督だった有栖川宮熾仁親王も、許嫁の和宮を徳川に取られた恨みが討伐の大きな動機になった。歴史は個人の思惑、私情を追うと分かり易い。

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