Thursday 16 September 2021

言霊信仰って?

昔SNSもない頃、飲み会に行く度に会の名前を付けた事がある。そもそもは次回集まり易いと思ったのが切っ掛けである。例えば友人と神谷町で飲むと「神谷会」、居酒屋の三河屋で飲むと「みかわ会」、それが9月だったら「長月会」と・・・。すると不思議とメンバーが固定され、集まりに選民意識が働く。面白いのは次第に会の名前は独り歩きし始める事である。周囲に「今度XX会があるので」と云うと、必ず「それってどういう会なの?」と聞かれ、中には「俺も入れてくれよ!」と言いだす人が出て来る。その時は勿体ぶって「会のメンバーに聞いてみないと・・・」と焦らすのが常だったが、どうでもいい飲み会が、いつの間にかエクスクルーシブなステータスを得るので可笑しかった。

確かにそれは、人が多い割にはモノが不足していた時代だった。だから人は差別化を図るべく、他人が知らない世界を求めていたのかも知れないが、それは後になって分かった事である。今の日常の中でも、意外と知らずに騙されている事があるのではないか?最近そんな思いを強くしたのが、言霊(ことだま)信仰である。例えば昨今のコロナワクチン、政府は安全だと接種率の向上に努めている。ところがワクチンの死亡保険は4420万円だから、万が一を想定している。でも政府は「ショックでお亡くなる場合もありますが、その時は保険金が払われるのでご安心下さい」とは絶対言わない。当たり前である。言った瞬間に「政府は国民を殺そうとしているのか!」と反感を買うからだ。それは「政府は一部の犠牲も容認している!」に繋がる。 

実はこの「言霊信仰」は、日本史の井沢元彦の本「日本史真髄」に出ている言葉である。氏はこの他にも「ケガレ忌避信仰」や「怨霊信仰」など、日本人の心に潜む謎に迫っていて大変面白い。悪事を水に流す日本人と死んでも罪を許さない中韓の文化など、朱子学が分かるとお隣との違いも分かってくるようだ。また一度勤めた会社を退職すると二度と暖簾を潜れなかったり、昔は離婚した娘に敷居を跨がせなかったのも、そのケガレと関係ありそうだ。大作の「逆説の日本史」はとても全部は読み切れないが、昨年は宮脇淳子に凝ったように、今年は井沢元彦に傾注している。

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