パリの娼館の本を読んでいたら、文豪バルザックも出入りしていたと書いてあった。バルザックは以前、モンマルトルのお墓を訪れてから特別な親近感がある。今回、「谷間の百合」や「ゴリオ爺さん」などを読み返してみたが、改めて感性豊かな人だ。
その彼の最大のエピソードは、18年間に渡るハンスカ夫人と恋である。ウクライナの片田舎に住む大富豪のマダムがバルザックの本を読み、2人の文通が始まった。パリとの距離は何と2300Kmもあった。バルザックは死ぬ3年前、病を押して彼女に会いに行った。当時は馬車で10日掛かったというが、車でも1日300Kmが限度なので、凄いスピードだった。
そして夫人が45歳の時に遂に2人は結婚したが、その5か月後にバルザックは息を引き取った。中公新書によると、臨終のバルザックをスケッチした画家は夫人の情夫で、臨終の際に隣の部屋でベットを共にしていたいう。著者の霧生和夫氏は、これこそバルザックの人間喜劇(La Comédie humaine)の陰惨な部分と称していた。人が信じられなくなる・・・。
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