Saturday 18 December 2021

会津のローマ市民碑

外国の武勇に感動して碑を贈ったのは、アラモ砦の日本人だけではなかった。この夏、会津若松を訪れた際に、ドイツとイタリアから贈られた変った碑を見つけた。

場所は白虎隊のお墓がある飯盛山の一角であった。一つは1928年にムッソリーニがローマ市民の名前で送ったイタリア碑、もう一つは1935年にドイツ大使館の大佐が建てた碑である。特にイタリアの碑は立派で、何やらポンペイ遺跡から発掘した石柱という。どちらの国も三国同盟の友好を形にしたのだろうか、それにしても当時の様子が伺える一コマだった。

白虎隊については、(以前このブログでも書いたが)自刃したのは20名である。総勢は343名で戦死が33名、つまり残りの290名は生き延びたのであった。確かに自刃した事は痛ましいが、物語を誇張した感がどうしても付きまとう。

事実、明治になって会津藩は廃藩となり、人々は下北半島の寒村に移住させられた。つまり記念碑を建てた頃の人は会津とは縁も所縁もない人だったのではないか?自刃場所を観光スポットとしている今もそうだが、関係ないからこそ戦意高揚に利用出来たのではないか、そう思えてくるのである。

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