Tuesday 30 August 2011

リバウの汽笛

1904年10月15日、現ラトビアのリエパヤ(Liepāja、旧名はリバウ)をバルティック艦隊が極東に向け出航した。港には時のロシア皇帝、ニコライ2世も簡閲に来た。艦隊はアフリカの喜望峰を廻り、遥々7ヶ月かけて対馬沖に到着した。待っていたのは東郷長官率いるの連合艦隊、翌年5月27日の一戦で大敗を帰し壊滅した。小国日本が大勝利を収めた日本海海戦であった。


リエパヤはその後もソ連最大の軍港として存続し、1994年にソ連が引き揚げるまで冷戦で大きな役割を果たした。日本海海戦から100年以上経った今、そのリエパヤはどうなっているのだろうと行ってみた。そこには荒れ果てた軍施設と、廃墟かと思うアパートにひっそり暮らす人々、撤退時に破壊した海岸線の防衛施設の残骸等々、大国の成れの果てだけが残っていた。唯一変わらないのは、船を保護した理想的な内海であった。


忌まわしい過去と決別したい属国の気持ちもあるのか、案内所で聞いてもバルティック艦隊のことなど誰も知らない。ビールを飲んでいると若い男が話しかけてきた。父親が軍に居たが失職して移って来たというカザフスタン人だった。ここでも、まだカザフスタンよりマシなようだ。それにしてもあの時日本が負けていたら、今頃自分もロシアの属国で暮らしていたのだろうか?そんな想いを巡らせたのであった。

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