Thursday 27 June 2019

東郷平八郎の墓参り

初めて訪れた多磨霊園は、実に立派な墓地だった。広大な敷地の手入れも良く、何より故人を祀るに相応しい厳粛さがあった。山本五十六司令長官のお墓の隣には、東郷平八郎元帥のお墓があった。手を合わせて、日本海海戦の勝利にお礼した。もしもあの時ロシアに敗れていたら、日本はソ連の属国になり赤化したかも知れない!その後に生まれた自身の生き方も大きく変っていたかも知れない?そんな確証を思い出した。

それは数年前に訪れたラトビアのリバウ(現在のLiepaya)であった。リバウは大西洋に面したロシアの不凍軍港で、バルチック艦隊はそこから出港した。当時はニコライ皇帝を迎え賑わった港町だったが、今では死んだようで、昔の軍施設のアパートは細々暮らす低所得者の住居になっていた。ソ連が引き揚げた町は経済が落ち込み、職の無い若者がカネをせびる姿が印象的だった。その彼らを今の日本と重ね併せたのだが、つくづくあの一戦は勝って良かった!!!

東郷さんのお墓の近くには、西園寺公望や高橋是清のお墓があった。西園寺さんは良く知らないが、高橋さんはロンドンで対ロシア戦の起債に成功した人だ。あのおカネがなかったら東郷さんの会戦もなく、あっさりロシアの軍門に下っていたかも知れない。その功績にお礼し手を合わせた。新渡戸稲造の彫刻も目に付いたが、接点がないので素通りし、小さかったが近くの上原謙こと池端家のお墓に向かった。「いつも加山さんの歌を楽しませて頂いています」と墓前に報告し、最後は小泉信三博士の墓を探した。やっとたどり着いたお墓はやはり品があって他とは違った。博士とは、子供の頃に握手した事がある。それは戦災で熔けてくっ付いた指の手だったが、氏の威厳に圧倒されて驚く処ではなかった。そんな霊園の偉人巡りだったが、やはりお墓はどこか気持ち悪く、また行こうという気はしない。

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