Friday 22 July 2011

チャイコフスキーと「白鳥の海」

チャイコフスキー (Tchaikovsky) のバレー組曲「白鳥の湖」は、その切なく激しい旋律で世界中の人に愛されている。白鳥ことオデットが舞う鬱そうとした森は、いかにも厳寒のロシアらしい・・・・とずっと思っていた。

実はこれが作曲されたのは、現在のエストニアのハプサル(Haapsalu)という海沿いの避暑地であった。当時サンクストぺテルスブルグに住んでいたチャイコフスキーは、夏になると汽車でこの地の遠戚を訪ねた。この曲を書いたのは、1875年の夏、彼が35歳の時であったが、27歳の時にピアノ曲「ハプサルの思い出」も書いているので毎年来ていたようだ。現在その路線は廃止されており、駅だけが当時の面影を残している。

チャイコフスキーはこの年の始め、有名なピアノ協奏曲第1番を発表しているし、3年後にはバイオリン協奏曲も書いている。私生活ではあまり恵まれず、仕事一筋の精力的な人のようだった。また旅行好きで、ウクライナ、スイスなど廻っては曲の着想を得ていた。ハプサルの海沿いに置かれているベンチに座ると、曲の1節が聞こえて来る。ただ今もって、どうしてここからあの曲が生まれたか、全く想像できない。

1 comment:

E.M said...

そちらの辺りは、ドイツや近世はロシアの影響下にあったのですね。この間の船旅で良くわかりました。西洋史もただ年代を追うだけでなく、経験した事、行った場所から見直すと興味深いですね。