スペインの日本人と言えば、差し詰め今ならサッカーの久保建英選手であろう。流暢なスペイン語で、あれならサッカーを辞めても語学で生きていける。
古くは仙台藩が1613年に送った慶長遣欧使節団があった。ローマ教王に謁見した後、スペインのセビーリャに移った。訪れたセビーリャ大聖堂で、彼らも祈っていたかと思うと急に身近になった。帰国の時になってキリスト教禁止令が出たため、8~11人がセビーリャ郊外のコリア・デル・リオ(Coria del Rio)の町に踏み止まった。
記念碑があると言うので寄ってみると、公園の一角にサムライ像と皇太子が植樹した桜の木があった。今でもハポン(日本)姓の人が残っているという。ただ町は鄙びていて、桜の木も枯れんばかりで複雑な気分になった。
もう一つ、それに先立つ事30年前の1582年に九州のキリスタン大名が送った大正遣欧使節団もあった。こちらはポルトガルだったが、4人の少年が過ごしたリスボンのサン・ロケ教会にも行ってみた。以前彼らが出港した長崎の記念碑に行った事を思い出した。
ただ立派な教会や当時の勢いを見るにつけ、秀吉があの時「キリスト教を禁止したのは大正解だった!」との思いを強くした。あのまま放置していたら、今頃フィリピンや南米になっていたに違いない。
その他、スペイン内戦に参加して死亡したジャック白井や、ポルトガルの寒村で過ごした檀一雄もいた。帰ってから早速その時に書いた「火宅の人」を読んでみたが、娘の檀ふみが「生前はとても読めなかった」というのが良く分かった。
No comments:
Post a Comment