Thursday, 28 August 2025

終戦80年に寄せて

先の8月15日は終戦80年という。戦争を体験した世代が段々いなくなってきて、戦争を知らない世代の時代になってきた。昔は「日本の一番長い日」など、太平洋戦争のTV映画が放映されていたが、最近はそれもなくなった。

戦争を知らない世代が多くなると、政局にも如実に反映される。先の参院選挙で参政党が躍進したのはその表れだろう。最近はドイツのAfDやフランスのRN(元FN)などの極右がいるので、正直日本でも時間の問題と思っていた。やっと出て来て票が集まったのは時代の趨勢だった。

それにしても明治の開国以来いろいろあったが、日本というか日本の先人が列強を相手に「良く頑張ったくれた!」と、つくづく畏敬と感謝の念を持つのである。

まず対アメリカである。ペリーの黒船で開国してしまったが、幸い本国で南北戦争が起きてくれたので、その脅威が去ったのはのはラッキーだった。代わりに来たのがロシアだった。対馬の租借請求から始まって、(緩衝地帯の)中国大陸を南下して日本に迫った。

最初は日清戦争だった。表向きは清国と日本の闘いだったが、実態は朝鮮を属国とする清国と独立を望む朝鮮、それを後押しする日本の闘いだった。日本も清国もロシアの脅威が背後にあったから、正に日露戦争の前哨戦だった。

その勝利で割譲されたのが満洲の一部などであった。よく「満州事変や国際連盟の脱退が太平洋戦争を招いた」という議論がある。しかし時は列強が集う植民地時代、アジアもオランダがインドネシア、英国がマレーシアと香港、アメリカがスペインからフィリッピンを譲り受け、フランスはベトナムを持っていた。何故日本だけが許されないのか、今同じ局面に対峙しても、(今の若い人も含めて)同じ決断を下すかも知れない。

特にロシアは当時10倍以上の国力格差があった。その中でまだ近代化して50年も経っていない日本が勝利を収めたのは奇跡に近かった。仮に日露戦争で負けていたら、日本(や韓国)は極東のウラジオストックになっていただろう。社会主義化で魚屋も八百屋も国有化され、私もこうして好き勝手に旅行する事もなかっただろう。

だから時の首相が又「反省」なんて、軽々しく言って欲しくなかった。国際的には靖国参拝も含めて差したる反応もなかったのが不幸中の幸いである。(いつも思うのだが)反省するであれば「一体そのどの部分なのか?」、特に政治家なら猶更はっきりしてもらいたい。

日本の外国との戦争は、今まで全て受け身であった。「ここままだったら国が危ない!」の動物的な生存本能だけでやってきたと言っても過言ない。そもそもロシア人や欧米人は弱肉強食の狩猟民族である。真珠湾の時もアメリカ側は電報は全て傍受していて、開戦の日時を知っていた。日本が先に手を出すのを待っていたのは今や公然とした秘密である。これは本当に恐ろしい。

「(戦争は)二度と繰り返しません」と広島の碑に書いてあるが、読み方は様々だ。私なら「(敗戦)は二度と繰り返しません」になる。「(戦争はしないようにしますが)その時は先人に習う」の心境である。

Friday, 22 August 2025

ウクライナと韓国併合

 ロシアとウクライナの戦争が転機を迎えている。トランプは自身のノーベル平和賞と引き換えに、ウクライナの領土割譲を志向している。国土は人の命そのもの、一度譲歩すれば更なる試練が待っている。それは歴史が証明しているし、況や個人の勲章とバーターは論外の気がする

ノーベル平和賞と言えば、(我々の世代ではないが)ポーツマス条約の仲介で受勲したルーズベルト大統領がいた。日露戦争の戦後処理を巡り、アメリカの東海岸で行われた賠償交渉である。日本からは小村寿太郎が主席で参加した。吉村昭の名著「ポーツマスの旗」にその件が詳しく書かれていたが、結果は日本が多くの犠牲を出しながら、一銭の賠償金も取れずに終わった。ルーズベルトは場所だけを提供して平和賞を得たのであった。

そもそも日露戦争は、日清戦争後の間隙を縫ってロシアが仕掛けてきた戦争である。当時は「オソロシア」なんて言われ、日本との国力の差は今の想像以上だった。本当に「先人は頑張ってくれた!」「あの勝利がなかったら今の日本はない!」と感謝しかない。

処でプーチンというかロシア人が、「何故そこまでしてウクライナに拘るか?」今まで中々分からなかったが、最近ふと思った節がある。それは日本と韓国の関係、特に韓国併合である。

日本は1910年に韓国を併合をした。今でも韓国人はそれに大きな抵抗感を持っているようであるが、当時の韓国は清朝の属国であった。今風に言えば地政学の緩衝地帯だったので、韓国人は清国に従属するか、日本に付いて独立するかを選択しなくてならなかった。結果は日本の明治維新に感化され、独立に呼応した人が日本を選んだ。

今の韓国は言うまでもなく、立派に成長した独立国である。ただ仮に(昔あったように)北朝鮮が中国と共に攻めてきたら、その時日本はどうするのか?アメリカの要請で、一時的に韓国の保護を司る事はないのだろうか?歴史は繰り返すと言うが、兄弟(兄は日本で弟は韓国)の時代もあったし、日本人からしてもあまり抵抗がない部分の気もするのである。

尤も韓国はウクライナと違って資源(魅力)がない国である。そんな国を守ってどうするという議論もあるし、何よりそれは韓国人のプライドが許さないと願っている。

ロシアがウクライナを旧一体国と感じるのは時代錯誤である。この思い込みを誰がどうやって、修正解消するのか本当に大事だと思う。ウクライナが落ちれば、次はポーランドか国境を接するバルト三国である。今とても大事な時に差し掛かっている

Friday, 15 August 2025

科捜研のカラス

しばらく前に、カラスの連続不審死があった。朝起きると家の前の道路に、死んだカラスが横たわっていた。次の日もそしてまた次の日も、時には二羽、中には息も絶え絶えのものもあった。

カラスを快く思っていない人は多いから、そんな人が毒を盛ったのだろうか?近所でも大騒ぎになり、私服の警察官がやって来た。 彼は「誰かがどこかで殺して、ここまで運んだ可能性もある」という。そう言えば不審な車が止まっていた事を思い出し、流石プロの観察は違うと感心した。それにしても一体誰が何のために・・・?

「電線に触れて感電死したかも知れない」というので、東京電力もやってきた。ただ調べたがその形跡はなかった。そうこうしている内に、念のため一羽を検査してみることになった。テレビでも有名な科捜研だったが、結局化学物質は発見されなかった。

めったにない怪事件に、近所の井戸端会議は盛り上がった。サリンのような猛毒だったら人への影響もあるし、子供が触ったら感染するとか、心配は募る一方であった。そして「仮の防犯カメラを設置して様子を見てみましょう」という事になった。 

しかしその防犯カメラをきっかけに、パッタリと不審死が止まった。やはり近所の誰かが見ていて危険を悟ったのだろう、という結論になった。

昔は八咫烏と言えば神話の象徴、守り神だった。それが今では嫌われ者になっている。石原慎太郎さんが「キドニーパイにして食べちゃえ」みたいな冗談を言っていたのを思い出す。気持ち悪い出来事だったが、こんな事で町内が大騒ぎする平和な日本なのであった。

Sunday, 10 August 2025

ピンチョスとガストロノミー

最後に食の話で〆としたい。旅はいつも緑ミシュランを片手に、レンタカーで名所旧跡を廻るスタイルである。その為、宿やレストランも行き当たりばったりになる。ビールとワインさえあれば、必然的に食は二の次である。大好きなスパゲティボロネーゼなら毎日でも大丈夫である。

そうは言ってもスペインは食の宝庫、友人が楽しそうに語っていたサン・セバスティアンのバル巡り前評判通りだった。旧市街の狭い路地には、昼から営業しているバルが犇めいていた。フランスパンの上にオリーブ味の魚貝が乗ったピンチョスや、タパスと呼ばれる小皿料理も視覚的にも楽しかった。

特にそのピンチョスが美味しかったのが、ブルゴス(Burgos)というカスティーリャ時代の首都であった。偶然入ったバルがミシュランの星付きで、ムール貝やシャンピニオンのピンチョスやカニスープなど、それは美味かった。

またラ・マンチャ地方にバルデペナスというワインの集積地の町に泊まった時だった。広場のバルでビールを頼むと、イワシやサラミのピンチョスが付いて来た。暫くして常連客は、タップから注ぐワインを注文するのに気付いた。早速頼んでみるとそれはサングリア風で、お蔭でその軽いタッチがラ・マンチャの風景とセットになっている。

「ポルトガル料理は不味い」の先入観もあった。やはり干したタラを練ったコロッケはパサパサして、どうしてレモンを掛けないのか不思議だった。ただ土地柄魚貝はとても新鮮で、特にリスボンの魚市は素晴らしかった。

Wednesday, 6 August 2025

リカルドのユダヤ人祖先

 トランプ関税でよく話題になるのが、リカルド(David Ricardo)の比較優位論である。比較優位性の高い産業に特化して、低い分野は他国から輸入した方がトータルで利益を得る考えである。賃金や物価が高いアメリカで、これから自国生産に舵を切るの発想はとても尋常とは思えない。

そのリカルドは古典派経済学の大御所であるが、父親はオランダから英国に渡ったユダヤ人であった。先日ポルトガルに行って分かった事だが、オランダのユダヤ人の祖先はポルトガル人だった。

レコンキスタ(イスラム排斥)が終わった15世紀のイベリア半島では、キリスト教による国家統一が始まった。そこで問題になったのがユダヤ教であった。1400年後半に異端審問所が作られ、ユダヤ教の取り締まりや隠れキリスタンの発掘が始まった。

ポルトガルもその例外ではなかったが、航海に欠かせない天文学や、金融の中枢を担うユダヤ人が抜けて国力が低下したスペインを見ていたので、最初は黙認していた。しかしスペインに遅れる事50年、その異端審問所が出来ると様子が一変し、ユダヤ人は一掃されたのである。

国を追われ、亡命先はスペインと対立していた新興国のオランダが多かった。その中の一人がリカルドの祖先であった。

今の世界経済は比較優位論が通用する程単純ではないが、赤字を保護主義で補うのは昔の話である。移民政策も(ユダヤ人を)排斥すると国力が低下した歴史に学ぶべきだ。

Sunday, 3 August 2025

セルバンテスとレパント海戦

スペイン中部のラ・マンチャ(La Mancha)地方は、ドン・キホーテ(Don Quijote)一色だった。何処に行っても、土産物屋にはロシナンテに乗るドン・キホーテとサンチョの人形があった。著者のセルバンテスが泊まった宿も小さな博物館になっていて、マドリッドからのツアー客がそこでお茶を飲み、近くの風車群を廻っていた。

400年経っても色褪せない古典の力は凄いものがある。、英国のストラトフォード・アポン・エーボンはシェークスピア、軽井沢の堀辰雄もいたが、凡そその比ではないだろう。

セルバンテスは24歳の時にレパント海戦に参加した。結果は負傷した挙句、オスマンの捕虜になり、帰国してからも新天地アメリカへ願いも却下されて左遷になった不運な人だった。ただその失意と貧困がユーモラスな「ドン・キホーテ」を生んだというから、何が幸いするか分からない。

昨年ギリシャを廻った時、レパント海戦の舞台になったコリント湾(旧名レパント湾)を通った。もしこの一戦でスペインが破れていたら、長年頑張って来たレコンキスタも水泡に帰して、イベリア半島はまたイスラムに逆戻りしていたかも知れない。広い海峡には、本土とペロポネソス半島を繋ぐ全長で3kmもする見事な橋が架かっていた。

折角なので、その「ドン・キホーテ」を図書館で借りて読んでみた。スペイン文学の権威、牛島信明氏による新訳でとても読み易かった。風車や羊の群れに突っ込み、醜い下女を姫と慕い、カネは持たない騎士魂と宿のオヤジとのトラブルなど、今風にも通用するコミカルさがあった。ただ如何せん長編で途中で飽きが来てしまった。

ドン・キホーテと聞けば、渋谷のディスカウントショップを思い浮かべる時代である。本物に触れて少し軌道修正された。


Friday, 1 August 2025

モスクワ上空を飛ぶ

ロシアとウクライナの戦争が始まると、日本からヨーロッパに行く飛行機のルートが変わった。今までロシア上空を通っていたのが、行きはアラスカ周り、帰りは中東の南周りになった。

例えばJALで東京からマドリードに行くには、ロンドンまで14時間を飛び、更に(乗り換えを含めなくても)計16時間半は掛かる。復路はドーハなどの中東経由になるから、更に時間を要する。長い時間機内で過ごすのは、若い人なら兎も角、年配者にとっては辛いものがある。

ところが中華航空(Air China)だけは例外であった。北京からモスクワ・ミンスク上空を通るので、11時間(複は10時間)と短い。日本〜北京を入れてもJALに比べて2時間は短い。改めて中国とロシアの特殊な関係を知らされた。

時間は短いし、しかも安価というので仕方なくその便を選んだが、地上ではミサイルが飛び交っているかと思うと不安である。それでなくても先月ロシア国内線の旅客機が墜落したり、2014年にはウクライナ上空でマレーシア航空機が誤って撃墜された事件もあった。

中華航空は食事は不味く、映画サービスは故障するし乗客のマナーも悪い。加えて北京空港の職員の態度は横柄で不快になった。便利だけど懲り懲りで、もう二度と乗る事はないだろう。