先の8月15日は終戦80年という。戦争を体験した世代が段々いなくなってきて、戦争を知らない世代の時代になってきた。昔は「日本の一番長い日」など、太平洋戦争のTV映画が放映されていたが、最近はそれもなくなった。
戦争を知らない世代が多くなると、政局にも如実に反映される。先の参院選挙で参政党が躍進したのはその表れだろう。最近はドイツのAfDやフランスのRN(元FN)などの極右がいるので、正直日本でも時間の問題と思っていた。やっと出て来て票が集まったのは時代の趨勢だった。
それにしても明治の開国以来いろいろあったが、日本というか日本の先人が列強を相手に「良く頑張ったくれた!」と、つくづく畏敬と感謝の念を持つのである。
まず対アメリカである。ペリーの黒船で開国してしまったが、幸い本国で南北戦争が起きてくれたので、その脅威が去ったのはのはラッキーだった。代わりに来たのがロシアだった。対馬の租借請求から始まって、(緩衝地帯の)中国大陸を南下して日本に迫った。
最初は日清戦争だった。表向きは清国と日本の闘いだったが、実態は朝鮮を属国とする清国と独立を望む朝鮮、それを後押しする日本の闘いだった。日本も清国もロシアの脅威が背後にあったから、正に日露戦争の前哨戦だった。
その勝利で割譲されたのが満洲の一部などであった。よく「満州事変や国際連盟の脱退が太平洋戦争を招いた」という議論がある。しかし時は列強が集う植民地時代、アジアもオランダがインドネシア、英国がマレーシアと香港、アメリカがスペインからフィリッピンを譲り受け、フランスはベトナムを持っていた。何故日本だけが許されないのか、今同じ局面に対峙しても、(今の若い人も含めて)同じ決断を下すかも知れない。
特にロシアは当時10倍以上の国力格差があった。その中でまだ近代化して50年も経っていない日本が勝利を収めたのは奇跡に近かった。仮に日露戦争で負けていたら、日本(や韓国)は極東のウラジオストックになっていただろう。社会主義化で魚屋も八百屋も国有化され、私もこうして好き勝手に旅行する事もなかっただろう。
だから時の首相が又「反省」なんて、軽々しく言って欲しくなかった。国際的には靖国参拝も含めて差したる反応もなかったのが不幸中の幸いである。(いつも思うのだが)反省するであれば「一体そのどの部分なのか?」、特に政治家なら猶更はっきりしてもらいたい。
日本の外国との戦争は、今まで全て受け身であった。「ここままだったら国が危ない!」の動物的な生存本能だけでやってきたと言っても過言ない。そもそもロシア人や欧米人は弱肉強食の狩猟民族である。真珠湾の時もアメリカ側は電報は全て傍受していて、開戦の日時を知っていた。日本が先に手を出すのを待っていたのは今や公然とした秘密である。これは本当に恐ろしい。
「(戦争は)二度と繰り返しません」と広島の碑に書いてあるが、読み方は様々だ。私なら「(敗戦)は二度と繰り返しません」になる。「(戦争はしないようにしますが)その時は先人に習う」の心境である。
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