Sunday, 30 November 2025

ヤツメウナギ

先日、ウナギを絶滅危惧種にする規制案が否決された。うなぎの7割を輸入する日本にとってはホッとした。ただでさえ高いウナギである。もはやこれ以上になると、日本の食卓から消えるかも知れない。

ただ一口にうなぎと言っても、普段我々が口にする二ホンウナギ に対し、ヨーロッパのヤツメウナギは全くの別物である。それを一緒に議論するのがそもそも間違っている。

昔パリの中華料理店でウナギを食べた事がある。出て来たのは輪切りにした、まるでヘビのような産物だった。見た目にもグロテスクで歯ごたえも固く、太い骨も残っていたので途中で降参した記憶がある。それが正にヤツメウナギであった。

そうは言っても、ヨーロッパでは珍味に入るのかも知れない。「モンテクリスト伯」の小説の中に、そのヤツメウナギが登場する。時は19世紀のパリ、伯爵が客を招待し珍味で驚かすシーンである。

一つはロシアのボルガからチョウザメを、もう一つはナポリからヤツメウナギを取り寄せる。生きたまま運搬するため樽を特注し、チョウザメは12日、ヤツメウナギは8日かけてこれも特別仕立ての貨車で運んだ。その破格の費用と心遣いに、客は心酔して警戒を解くのであった。

処でヤツメウナギを出す店が目黒にあると分かった。一度は懲りたが、さぞかし日本の味付けも違うだろうから、いつか試してみようかと思っている。

Saturday, 29 November 2025

ウィンターノーズ

犬を飼い続けてかれこれ20数年になる。今の犬で5頭目になる。最初の2匹はラブラドールで、3頭目からゴールデン・レトリバーにした。ずっと2頭飼いを続けていたが、4頭目が胃捻転で早死にしてしまってから1頭に戻った。


犬と一緒に暮らしていると、今更ながらの発見がある。その一つが鼻の変色である。普段は黒い鼻が寒くなると白くなる。心配になって医者に聞くと、これは「ウィンターノーズです」と言う。冬になると紫外線から皮膚を守るメラニン色素が減るので、白っぽくなるようだ。人間もそうだが、季節の変わり目のお肌は敏感なのである。

それから春秋の毛の抜け代わりもある。人間で言えば衣替えである。この秋も10月に夏用の毛が落ちて、もっこりした毛が生えてきた。冬ものを買う訳でもなく、その生命力に感心させられる。

それから(人間もそうかも知れないが)、いい子に育つには兎に角、褒めるように心がけている。「待て」が出来た時は勿論、よく頭を撫でて「よしよし!」をしている。そうすると犬もリラックスして、もっといい子になろうとする。

否定的な言葉はなるべく使わないようにしている。ただ「あっち」と「終わり」は例外で、更なるおねだりを止めさせる時に使う。これを聞くと直ぐに諦める。

Tuesday, 25 November 2025

モンテクリスト伯の映画

 いま上映されている「モンテクリスト伯」を観に行った。最近何度目かの再読をし、十分予習をした矢先だった。しかし小説とは随分と異なる展開に、「これって違う!」を心に中で連発した。

まず冒頭のナポレオンの手紙だが、海で助けた女が持っていた。小説では船長が息を引き取る時にダンテスに手渡すので、全くの創作だった。

次にその手紙だが、手に入れた検事はそれを隠匿した。宛先がパリに住む父親だったからである。父親がナポレオン派と分かれば、王党派の彼の未来はない。それを恐れてダンテスを投獄するのだが、その大事な件が全く描かれていなかった。

ダンテスが復讐するのは、検事、銀行家、将軍の三人である。銀行家を偽情報で破綻させるのは正しかったが、あと二人の扱いが随分と違っていた。特に将軍は妻子に捨てられ、絶望の中で自ら命を絶つはずだった。しかし映画の後半では、ダンテスと剣を交えていた。これでアクション物に成り下がってしまった。

また最後は、アルベールとエデが結ばれるシーンで終わっていた。とんでもない話である。アルベールは絶望の中で家を捨て出て行くのであった。エデはもっと神秘的な女性で、ダンテスとの未来を暗示して幕を閉じる。そもそも彼女はギリシャ人なのに、フランス人女優が演じていた。間違った筋書きで、作品は二流のロマンス物になった。

昔クライブ・カッスラーの「サハラ(日本語:死の砂漠を脱出せよ)」という痛快な小説があった。これを映画化したのが大失敗で、以降カッスラーは怒って許可を出さなくなった。今回その話を思い出した。

上映が終わり、連れに「全然本とは違うよ!」と話していたら、後ろにいた女性が「そうなのよ!」と割り込んできた。全く知らない人だったが、知る人なら誰しもストレスが残ったのであった。

Monday, 24 November 2025

2013年8月の参院選

 家の片づけをしていると、昔の週刊文春が出て来た。2013年8月号で、参院選挙の結果が特集されていた。安倍政権下で自民党が圧勝し、民主党が大きく議席を減らした時だった。


写真には笑みを浮かべる安倍首相と、石破幹事長、高市政調会長が並んで写っていた。「10年ひと昔」とは良く言ったものである。あれから安倍さんが暗殺され、石破さんは失脚して高市女史の時代になった。ヒトの一生もそうだが、政治は特に一寸先は闇である。

安倍さんの時代は良かった。アベノミックスの三本の矢で経済の活性化があった。1万円そこそこだった日経平均が、あの頃からジワジワ上がり始めて今では5万円になった。多くの投資家は当時、やっと元が取れたと売り始めた頃でもあった。もしあの時に買っていたら、金融資産は5倍になったのである。

その明るさを象徴したのが「桜を見る会」であった。政財界のお歴々、各国の外交官や芸能界のスターが華を添え、新宿御苑で催された。一部の横槍で中止になったのはとても残念である。女の嫉妬は凄いと聞くが、オトコのやっかみも根が深い例だった。

日本人なら桜を嫌いな人は居ないし、桜に右も左もない。これから与党だけでなく共産党も入れた全党で、この日だけは皆日本人がひとつになって、楽しむ会として復活させたらいい。

処でその週刊誌に、大谷選手の記事が小さく載っていた。彼は当時19歳、日本ハムファイターズの3番手の投手として20球近く投げた時だった。その時も「二刀流が続けられるのか?」例によって批判的な内容だった。そんな悲観を跳ね返した彼も去る事ながら、記事を鵜吞みにしていた自分を恥じるのであった。

Friday, 21 November 2025

僕の信州ライフ(2)

 山で暮らしていると、都会にないサプライズがある。その一つが動物である。誰かに飼われているようなキジは、キーキーと煩く鳴いて歩き回っている。アライグマは可愛いお尻を振りながら去って行く。昔はよくサルもやってきた。サルは群れで行動する。いつぞや自宅のベランダに10匹程居座り、長い間対峙した事があった。

シカは寒くなると現れるが、ひと気を感じると直ぐに逃げてしまう。ただ先日車を走らせていたら、突然大きいシカ2頭が目の前を横切った。急いでブレーキを踏んで、泡やの衝突を回避した。

昨今各地で出没の熊もいる。ここの熊はGPSが付いているので、近くに現れそうになるとアンテナを持った循環員の人がやってくる。例外もあるので、犬の散歩の時は鈴を鳴らしている。

動物だけでなくヒトも少し違う。先日とあるオープンゴルフコンペに参加した時だった。同じ組で廻った人が、何を思ったか池に休むシラサギを追い払っていた。流石これには他のゴルファーも眉を潜めたが、後でその人はブドウ園の人だと分かった。職業柄とはいえ、これがまかり通る土地柄である。

狭い社会ながらの排他性もある。コロナの時に、他県のナンバーの車がよく被害にあった。本当に住んでいる人向きに「県内に住んでいます」のステッカーが売っていたが、勿論馬鹿らしくて買わなかった。

また近所でコロナに感染した人が出ると、投石や嫌がらせも出た。止む無く村を出て行った人もいたと聞き、田舎生活の難しさも知った。

Tuesday, 18 November 2025

エデの話

A.デュマの「モンテクリスト伯」は、読み直す度に新しい発見がある。物語はフィクションだが、所々に史実を織り交ぜているから、今でもその旧跡に触れられる。

例えばダンテスが10数年に渡って投獄されたイフ島がある。マルセイユ沖に浮かぶその島には、観光船で牢獄を見に行ける。訪れた人はダンテスとファリア神父の交流に思いを馳せるのである。そして今回もう一つ、出逢ったのはギリシャの城塞町のイオアニナ(Ioannina)であった。

ダンテス(モンテクリスト伯)の復讐劇には3人の男が登場する。その一人がフェルナンという元漁師である。彼はダンテスに無実の罪を着せた上に許嫁を奪ってしまう。そしてナポレオン戦争のドサクサに紛れて出世し、伯爵に上り詰めた。ただその陰には非道な軍歴があった。

場所はギリシャ北部のイオアニナである。土地の首領だったオスマン帝国のアリ・パシャは、15カ月に渡る抗戦の末に降伏した。ただ命は保証されたので出ていくと、司令官だったフェルナンの裏切りにあって殺害されたのである。

たまたま昨年のギリシャ旅行でその町を訪れた。迷路のような下町を抜けると、湖を望む高台にそのアリ・パシャのお墓があった。その時はまさか彼が物語の重要人物とは知る由もなかったが・・・。

ダンテスは残された娘を見つけ出し、身近に置いて復讐に備えた。そして機が熟すとパリで、娘の口からフェルナンの裏切りを告白させ、彼を破滅に導くのであった。

彼女の名前はエデ、絶世の美女としてパリの社交界でも話題になった。最後はダンテスと新たな旅立ちをする処で物語は終わるのだが、高貴でエキソチックな装いに、読者をして不思議な高揚感に誘うのであった。

Tuesday, 11 November 2025

僕の信州ライフ

早いものでもう立冬である。東京にいると季節感に疎くなるが、信州は暦通りである。昨年はその立冬(11月7日)に浅間山の初冠雪があった。今年は3日早かったが、先人の季節感覚と暦の正確さに驚かされる。

寒い時には、何といても温泉に浸かるのが一番である。家から30分程山に登った処に小さな秘湯がある。勿論源泉かけ流しである。特に予定のない日には朝から入る。最初は冷え切った手足がピリピリとして痛いが、暫くすると慣れてくる。山の中の露天なので、熊でも出てきたらどうしようかと心配しながら・・・。温泉に入ると夜になっても身体が暖かい。


家の暖はもっぱら暖炉で取っている。前年に仕込んだ丸太を斧で割って込めている。新しい木だと空気が弾けてパチパチと危ないし、火の着きも良くない。今年は昨年近所から沢山貰ったストックがあるので何とか凌げるだろう。ただ来年の事を思うと、そろそろ仕込まなくてはならない。チェーンソーは事故も多いので用心しながらやるが、全て生存本能が源になっている。

温泉が外なら内から温めるのが一日を締める晩酌である。五臓六腑に染み込む熱燗はまた格別である。ただ(叱られるかも知れないが)長野の酒は遠藤酒造や真澄は別にして余り美味しくない。やはり兵庫、京都、新潟の方がいい。原酒は冷たいが、菊水酒造の「五郎八」の濁り酒は、誰もが季節を感じる人気酒である。直ぐに店頭から消えてしまう。

信州の人々は空気がいいから平均寿命は長い。ただ健康寿命は短いと言われる。何処に行くの車を使う為である。また普段山間部に住んでいるせいか、会話も至って単刀直入である。そんな気遣のない話し方に時々驚く事もある。ただこれも厳しい自然の中で生きる土地柄だと、段々分かって来た今日この頃なのである。

Friday, 7 November 2025

WS第7戦

 WS第7戦、ドジャースが劇的な勝利を得た。途中まではブルージェイズがリードして、もう駄目かと思って諦めていた矢先だった。9回1点のビハインドからロハスがHRで追いつき、10回スミスのソロHRで初めてリードし逃げ勝った。

MVPに輝いた山本投手も然る事ながら、ロハスの本塁送球やヘルナンデスの捕手など、完ぺきな守備で勝ち取った奇跡であった。

第1戦から見ていて、ポイントは第3戦だった気がする。18回延長の末に、フリーマンのサヨナラHRでドジャースが競り勝ち2-1とリードした。ただあの時のドジャースには、優勝したかのような高揚感が出てしまった。これは良くなかった。実際その後第4戦、5戦と敗れてしまうのだったが、最後でよく持ち直したと思う。

そんな中で優勝の式典だったか、大谷選手が「来季の準備を・・・」みたいな挨拶をしていたのが印象的だった。心は既に来季の優勝へ、その切り替えの早さに異次元の凄さを感じた。

ともあれ、改めてスポーツの感動に酔った一週間だった。日本人の三人に1人はリタイア―組だから、朝からこの試合を見ていた人たちは多かった。飲み屋に行ってもゴルフ場に行っても、その興奮は抑えきれず解説者になっていた人が何と多い事か!誠に平和な国である。

選手の集中力と勝利への執念、仲間への信頼と団結、勝利の女神の微笑みなど伝わって来て、グッときた一週間であった。

Sunday, 2 November 2025

小泉セツの物語

 NHKの朝の連続テレビ小説「ばけばけ」が始まった。まだ観てはないが好評を博しているようだ。主人公は小泉八雲の妻セツである。

小泉八雲については、以前松江にある元住居の記念館を訪れた事があった。その時は左程気に留めなかったが、昨年の夏、彼が生まれたギリシャのレフカデ(Lefkada)島を訪れてから、急に身近な人になっている。

帰ってから早速怪談シリーズを読んでみたが、中々よく書けていた。特に面白かったのが「むじな」である。ある時男が歩いていると、女がしゃがみ込んで泣いていた。「どうした?」と聞くと女が振り向き、目も鼻もないのぺらぼうだったのでビックリ、男は近くにあった蕎麦屋に飛び込んだオヤジに事情を話そうとすると、「こんな顔ですかい?」とそいつものっぺらぼうだった話である。

中学生の頃だったか、英語の教材にこの話が出て来た。MujinaやSoba seller(蕎麦屋)の英語に何かしっくり来なかった記憶がある。やはり日本の話は日本語で、今回改めて翻訳の素晴らしさも感じた。

処で彼の本名は生まれ故郷の島の名前を取って、ラフカディオ・ハーン(Kafcadio Hearn)である。島に渡るのには、回転式の浮き橋とモン・サン・ミシェルのような細い陸路を通る。島の入り口には胸像が建っていたが、美しい漁村だった。

彼の父親はアイルランド人の軍医で、駐在した時に島の娘と結婚して彼が生まれた。母親は地元のギリシャ人で、アラブの血も混じっていたという。そのコスモポリタン的な出自が、日本をして第二の郷里になったのも分る気がした。

勿論怪談などの情報源はセツだった。普段はご無沙汰している朝のテレビ小説だが、これを機会に観てみてもいいかと思っている。

Saturday, 1 November 2025

台湾有事には

高市さんが首相になり、外交で好スタートを切っている。トランプとの日米交渉も予想以上で、つくづく石破さんでなくて良かった。来週からの国会が本番だろうが、やはり国のトップは国民を代表する顔と品格、そして元気なエネルギーが大事だ。

そんな中、APECで日中首脳会談が行われた。相手は安倍さんの頃から続く習近平だったので、とても四つに組む処までは行かなかった。それは仕方ないにしても、また先方は台湾問題に釘を刺してきた。

実はその台湾だが、かつては日本の一部であった。真珠湾の時の電報「ニイタカヤマノボレ」も、富士山を凌ぐ台湾の新高山(現在は玉山)であった。人々はとても親日的で、昔とある外交官が「ここに骨を埋めてもいい」と語っていたのが印象的だった。

しかし個人的には台湾有事と日本有事ははっきり分けるべきだと思っている。それは1910年行われた韓国併合の反省から来ている。あの時の韓国は清の属国であった。清国も2年後に崩壊する末期で弱体化していた。何より(日露戦争に負けたとは言え)ロシアの脅威に晒されていた。

韓国はそんな状況下、日本に助けを求めてきた。その結果、日本は併合してインフラ投資を行い、教育制度や戸籍制度も整え、今まで名前しかなかった中で姓も与えたのであった。だから今の韓国の人には感謝されこそすれ、反日なんてとでもない話だと思っている。

ただ「韓国が落ちれば日本も危ない」の発想は、今の「台湾が落ちれば日本が危ない」と同じ論理である。地政学的にはどちらも隣国かも知れないが、長距離ミサイルの時代にあって、状況は当時と随分と変わっている。

歴史、特に戦争は繰り返してはならないなら、「台湾有事に日本やアメリカは関与してはならない」と思っている。酷なようだが、台湾は台湾自身が守るべき話である。それが(私なりに)先の戦争から得た教訓になっている。