Sunday 16 February 2014

赤穂浪士を訪ねて

天気が良くなったので、残雪の都心に繰り出した。目指すは高輪の泉岳寺である。

時は元禄15年12月14日、大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした。泉岳寺には主君浅野内匠頭と47士が眠っている。改めて説明を聞くと、両国の吉良邸からここまで10Kmの道のりを歩き通したという。中には負傷した侍もいたが、3時間かけ今日みたいな雪道を、しかも草履を穿いてである。討ち入りも沙流ことながら、その後の気力は大したものだ。寺に着いて朝粥を食べたというが、その雰囲気が伝わってきた。

それから47士と思っていたら、墓は49人分あった。一人は萱野三平と言って事前に自害した侍、もう一人は寺坂吉右衛門と言って途中で居なくなった侍という。ただ墓があるということは一応参加したと見做されたのだろう。当日になって脱盟した毛利小平太などは忠臣蔵で有名だが、いろいろな人間模様があったようだ。それにしても、今日も多くの訪問客で賑わっていたのに驚いた。


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