最近のAIはよく出来ている。ChatGPTに「XXに行くけど美味しいものある?」とか「XXの解説書は何がいい?」とか聞くと、それなりの答えが返ってくる。便利なので一日に何回も使っている。
考えればそこは、ひと昔前なら何時間あるいは何日もかけて辿り着いた世界である。それがボタン一つで瞬時に出てくる。登山に例えるなら、歩き始めた途端に山頂を極めるようなものだ。「こんな楽していいんだろうか?」と素朴な疑問が頭を過っている。
AIが進化すると「人間がAIにコントロールされる」とよく囁かれる。そんな心配は今に始まった事ではない。その象徴が60年代に上映された「2001年宇宙の旅」だろう。宇宙船に搭載したHALという人工知能が、宇宙飛行士を支配する話だった。原作のアーサー・クラークの直感が今の現実になっている。思えば暫く前に、友人のA君がソニーのアイボを飼って居た頃が懐かしい。彼はマンションで動物を飼えないから、何十万円も出して新型のロボット犬を買った。「そんなの飽きるだろ!」という周囲の冷やかしを尻目に、毎年進化するアイボは本物の動物のようになっていった。
そんな頃はまだ良かった。最近の中国の人型ロボットは異常である。誰もが懸念するのが、それにAI頭脳が搭載された時である。唯でさえも共産主義は男女、経済格差のないフラットな社会を目指している。意思のないロボットはそれにピッタリだから、ロボット人民が生まれるのを恐れる。
でもAIの進化には楽観している。なぜなら人間には生存本能があるからである。人は間違っている方向に進んでいると察すると、揺り戻す動物的な本能が働く。例えばキューバ危機の米ソだったり、民主党政権から復権した自民党だったり、将又天狗になった男から去っていく女もそうかも知れない。
パレートの法則の2:8に例えれば、20%の理性が80%の打算を抑えるのである。最終的に見えざる手によって、社会は自ずとあるべき姿に収れんする。尤もそこまで行き付くまでの紆余曲折があるだろうが・・・。
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