Sunday, 23 August 2026

磯野浪平は54歳

夏の甲子園が終わり、智弁和歌山が5年ぶり4度目の優勝を果たした。もう殆どTVも観ることはないが、たまたま車を運転していたら、ラジオで閉会式が流れていた。

挨拶に立ったのは高野連会長であった。滔々と炎天下の長時間スピーチは、あまり評判が良くなかったという。でもその名セリフの一節が耳に残った。


彼は、「(甲子園が始まった)100年前の平均寿命は40歳程度だった。中でも16歳まで生きる事が出来たのはその半分だった。だから今の平和に感謝して、命を大切に生きて下さい!」と最後に締めた。

確かに言われてみれば、大正から昭和に差し掛かる頃の寿命は短かった。よく引き合いに出されるのが、サザエさんのお父さんである。頭の毛も薄かった磯野浪平は、ああ見えても54歳の設定だった。自身が学校を出て就職した頃も、定年は55歳だった。

戦争もないし、殆どの病は進化したクスリで治る時代になってきた。ややもすればその有難さを忘れがちになってしまう今日この頃、ひょんな事で諭されたのであった。

Thursday, 20 August 2026

痛風とドイツ人

 暫く前に、友人のKさんが痛風になった。「痛くて歩けない!」と言う。ゴルフに一緒に行こうと思っていた矢先で気の毒だった。

痛風はプリン体が足先に固まって発症する。甘いものやアルコールの取り過ぎ、中でもビールが良くないと言われている。

ただヨーロッパではあまり聞いたことがない。ビール大国のドイツでも、あれだけ毎日子供から大人まで飲んでいても、殆ど話題にならない。その理由は何なのか?


調べてみたら、水の違いが原因だと分かった。日本は軟水に対し、ドイツは硬水である。硬水はカルシウムやマグネシウムを多く含むので、血液をアルカリに保つ効果がある。その結果、尿酸の排泄を助けるのであった。

逆に軟水だと飲み易いがミネラル成分が少ない。だから体が酸性に成り易いのだった。

尤も軟水は飲み易いし、ビールの大瓶が平気で出てくるのが日本である。またラーメンのスープもそうで、(以前も書いたが)佐野や喜多方のラーメンが美味しいのは、軟水度が高い地域の水を使っているからである。

ヨーロッパで日本食を営むレストランは、硬水から軟水に変えて使っている。痛風になりたく無ければ、アルカリ性の飲料を取ればいいのだ。

Monday, 17 August 2026

目玉の魔除け

 フランス人に道を聞くと、必ず「あっちです」と親切に教えてくれる。ただ実際その通り行ってみると、半分以上は間違っている。それは仮に知らなくても、「知らない」と言えないからである。正直に言えば、自身の無知を曝け出すからである。

角川新書の若宮總著「イランの地下世界」を読んでいたら、イラン人も全く同じだと分かった。普段は気丈に自信過剰な程に生きている。だから「知らない」「分からない」といった、メンツを潰すようなに振る舞いは出来ない国民性という。

彼らが一番怖いのは、自身の弱さを見透かされる事である。一昨年ギリシャを旅した時、Matiという目玉をあしらったガラス細工の土産物があった。イランではテェシメ・ザフムと呼ぶそうだが、全く同じ物だった。

目玉は邪視除けに使われる。自身の弱みを他人から見透かせられないように、眼力で跳ね返す魔除けである。一方見透かした方は優位に立つ。その優劣が相互不信を引き起こし、同じ民族でも永遠に紛争が続く原因になっているそうだ。

考えれば馬鹿らしい、所詮は見栄の張り合いに思える。ただそこには、日本人とイラン人の違いがあるようだ。氏は

例えると、日本人は玉子で、イラン人は桃だという。玉子は殻は固いが、一度破ると中は柔らかい。反対に桃は最初は柔らかいが、芯の処に行くと固い。確かに言われてみれば思い当たる節がある。

唯一オーストラリアで出会ったモハードという男も、会うなり煙草を持って握手を求めてきた。ただ話していると、ノラリクラリとちっとも前に進まないばかりか、次の日も同じ騒音を出し続けて埒(らち)が明かなかった。今のアメリカとのやり取りでも、きっと同じような事が起きているのだろう。

それにしても戦争の終結は、ホルムズ海峡はどうなるのだう?ミサイルなんて使わなくても、目玉の眼力で何とか打開できないのだろうか?

Saturday, 15 August 2026

河野水軍のご縁

随分前に亡くなったが、テニス倶楽部に河野さんという人がいた。世話好きで、我が家に最初に来た犬も彼が世話してくれた。出身は広島の因島で、「田舎のお袋が送ってくれた蜜柑だ!」と、故郷の思い入れも大きかった。

ただ晩年は認知症を患った。いつからか、聞いてもいないのに自分史を滔々と話し始めた。「おかしいな?」と思って周りの人に聞くと、やはり痴呆が始まったという。ただ倶楽部の人は昔から知っている人ばかりだから、奥さんが朝連れてきて放していても安心だった。

驚いたのは、頭がおかしくなってもテニスのスコアだけはちゃんと数えられるのだった。「昨日のことは忘れても、昔の事はよく覚えている」と同じで、変に勇気付けられた記憶がある。

そんな彼を思い出したのが、今村翔吾の「海を破る者」だった。それは河野水軍の話で、鎌倉時代に伊予国(今の愛媛県)を拠点にした河野道有の話だった。中でも元寇の時の活躍を凄まじかった。そして(本当かどうか分からないが)あの河野さんと関係しているのではないか?と思った。

やはり俱楽部には村上さんという人もいた。彼も随分と前に亡くなってしまったが、こちらは列記とした村上水軍の末裔だった。風貌も如何にも海賊らしかった。

元寇は神風もあったが、もしも負けていれば今の日本はなかったかも知れない。時代劇の一冊に、救世主の末裔だった二人の故人を思い出した。

Thursday, 13 August 2026

他人の国で骨を埋める中国人

バンクーバー郊外の、Redwoodsという高級ゴルフ場に行った時だ。駐車場で車を止めると、隣のベンツから中国人の母親と中学生位の男の子が降りてきた。男の子はアディダスのゴルフウェアに身を包み、暫くして女子プロと思われる人に連れられコースに向かって行った。「金持ちの中国人とはこういう人なのか?」と思った。

バンクーバーの中国人は人口270万人の内54万人、つまり5人に1人を占めている。思い出すのは1997年の香港返還である。あの時、比較的豊かな香港人はアメリカやカナダに逃げた。ただ行ってみると仕事もなく、その後戻ってきた人も多かったから、その時「世の中そんなに甘くない」と思った。ただ中には成功した人もいて、典型的なのは今のバンクーバー市長である。公認会計士から身を起こし、中国系初の市長になった。


カナダの中国人は元来、19世紀に鉄道労働者やゴールドラッシュの炭鉱夫としてやってきた人だ。鉄道が完成しても残留を希望したため、仕事は洗濯、掃除、料理人と社会の底辺で生きてきた。今でもチャイナタウンに行くとその面影が残っている。薄暗く汚い街並みに大声が飛び交うレストラン、路上ではクスリ漬けの男が屯っていた。

ただ最近の中国系は随分と豊かになっている。ゴルフ場に来る人たちはその典型だろう。移民が中国本土からのお金持ちや、技術を持った知識層に代わっているからだ。ひょっとして今(習近平が追い掛けて)問題になっている、巨額な不正蓄財を持って海外逃亡した資産家も含まれているのかも知れない。

彼らの子供も勿論大学を出ると、IT、金融、医療といったホワイトカラーの仕事に就く。同世代の大卒の割合はカナダ人平均の倍近くもあるという。一方で偏見や差別も相変わらずで、中国系の若者の失業率や未婚率は、同世代のカナダ平均を上回っている。卒業しても厳しい現実が待っているのだ。

カナダは広大で自然豊かな国である。ただ一方で(日本から見ると)ひと気はなく気候も寒々しい。私なら「移住したいか?」と聞かれればNOである。いくらゴルフ場が奇麗でも、もっとゴチャゴチャして刺激があった方がいい。

しかも所詮は他人の国である。そんな処で帰るに帰れずに骨を埋める選択した中国人の強かさが印象的だった。

Tuesday, 11 August 2026

「武器よさらば」の舞台

記憶が蘇ってくると、そのロビー二(Rovini)はテニスの町だった。旅した夏も国際大会をやっていて、首都でもないのに道路が随分と整備されていた。だからフェデラーもヴァカンスではなく、その関係で訪れたのかも知れない。


ところでそこから100km程北西に行くとイタリアで、大きな港町トリエステ(Torieste)がある。私のお気に入りの一冊だが、ジュール・ベルンの「アドリア海の復讐(原題:Mathias Sandrof)の舞台である。

ハプスブルグ家から独立を目論むハンガリー人(マジャール人)の物語で、デュマの「モンテ・クリスト伯」を焼き直しした復讐劇である。

物語はそのトリエステで、謎の暗号を持った伝書鳩が見つかってしまう処から始まる。アンテキルト博士の名で復讐する彼が現れたのがドブロブニクだったり、フィクションと現実と混ざり合っていて面白い。

また北東に行くとスロベニアに入る。その国境の山奥にコバリド(Kobarid)という小さな村がある。そこに第一次大戦の「カポレット(Caporetto)の戦い」の記念館があると言うので行ってみた。

戦いはオーストリアにドイツが加わった連合軍がイタリアに勝利する。その混乱を描いたのがヘミングウェーの「武器よさらば」だった。

映画ではアメリカのイタリア義勇兵をゲイリー・クーパーが演じていた。愛人との逃避行もあってロマンティックな作品でもあった。

映画で見たシーンを思い浮かべ、両軍が対峙した山岳地帯に残る輸送路や塹壕の跡を歩くと、砲弾が飛び交った当時が蘇ってきた。戦跡巡りのオタクとしては、ノルマンジーやワーテルロー並みに感慨深かった。

Monday, 10 August 2026

フェデラーのヴァカンス

Facebookは余り使っていない。ただ時々知り合いが投稿するので見たりはする。今日は友達登録してあるフェデラーから、ヴァカンスの報告が入った。

場所はクロアチアのロビーニ(Rovini)だった。どこかと思ったら、昔泊まったプーラ(Pula)という大きな港町の近くだった。その時のホテルが、ハプスブルグ最後の皇帝ヨーゼフ一世も泊まったホテルだと聞き、痛く感激した。

クロアチアはアドリア海に面し、多くのローマ遺跡が残る素晴らしい国である。バルカン半島の中でも一番垢抜けして治安もいい。それでいて物価は安いしワインも美味しいので、知り合いのドイツ人は毎年キャンピングカーで訪れている。

その日の前日は、有名な観光地ドゥブロブニクを経って北上した。夕方になったので、名もない港町で泊まることにした。ところがホテルらしきものはないので、レストランの主人に聞くと、「俺の家の部屋が空いている。30ユーロで学生割引だ!」とお世話になった。

ところが翌朝、お金を支払おうとしても店は閉まっている。暫く椅子に座って困っていると、水着姿の可愛らしい少女がやってきて「どうした?」と聞く。事情を話すと「今日は日曜日だから起きてこないよ!」と言う。仕方がないので、部屋に手紙とお金を置き、鍵を内側から差して出発した。

火照った体を冷やそうと、入った海は5分も浸かっていられないほど冷たかった。フェデラーもそんな所で泳いでいたが、旅の記憶が蘇ってきた。

Saturday, 8 August 2026

カナダのゴルフ場

 カナダでゴルフをした。ヴァンクーバーの郊外約70㎞程の町に宿を取った。東京で言えば高崎や宇都宮になろうか、この70㎞という距離感は万国共通で、都心から日帰りゴルフで来れるギリギリの場所になる。だからそこから先は、料金がグッと安くなるのである。

カナダのゴルフ場数は世界4位である。因みに1位は勿論アメリカだが、2位は日本である。国土は広いから田舎でも沢山のゴルフ場がある。例えば人口1万人以下の町でも(9ホールだが)立派なゴルフ倶楽部があるし、車で1時間圏内なら数知れない。

ゴルフのスタイルは、オーストラリアと殆ど同じである。予約はネットか電話で取り、着くとプロショップでお金を払ってスタートする。混んでいる週末などは現地の人と一緒になるが、皆さんとてもフレンドリーだ。中国人や韓国人が多い国だからか、現地に住んでいる日本人によく間違えられる。

唯一違うのが距離表示である。オーストラリアだとメートルだが、カナダはヤードである。英国やアメリカもヤードなので、何故オーストラリアだけがそうなのか分からない。また手引きカートはオーストラリアだとPull buggyと呼ぶが、カナダはPull cart だった。

料金は日本とあまり変わらない。立派な倶楽部だと1万円は超えるが、平均すると6~9千円程度で埼玉の奥地や群馬並みである。4千円のパブリックもあったが、流石にボールはよく無くなる。

ただオーストラリアに比べると華やかさに欠ける。気候が北海道に似て、夏でも肌寒いせいだろうか?終わってからクラブハウスで談笑する人も心持ち少ない。中国語やハングルが飛び交う雰囲気はカナダである。

こんな話を友人にしたら、「毎日ゴルフやっていて飽きなかったの?」と聞かれた。確かにその通りかも知れない。でも自然を除けば然したる観光地もないから、これに勝る楽しみはない。どこも倶楽部も初めて訪れる新鮮さもあるし、始まるといつの間にかスコアメイクに没頭してしまう。

Friday, 7 August 2026

W杯に冷めた人々

7月はサッカーのW杯で盛り上がった。中でも(決勝で敗れはしたものの)メッシを中心とするアルゼンチンの逆転劇は凄かった。準々決勝の対スイス戦でも準決勝のイングランド戦でも、前半に失点したが後半追いついて逆転した。素人目には、終盤まで殆どシュートを打たなかったのも、コースを読ませない戦術に映った。

それにしても、これだけ世界の人が熱狂するスポーツも珍しい。この時ばかりは、右も左も敵も味方もない。普段は眠っていた愛国心に火が点く。毎日W杯が続けば、世界はもっと平和になるかも知れない。

バンクーバーの町でも、7月5日に行われたブラジルvsノルウェー戦の盛り上がりは凄かった。中心街の飲食店が立ち並ぶ一角では、野外に置かれたTVに若者が群がっていた。その殆どがブラジル応援団だった。近年カナダへの移民が増えているせいかも知れない。

ただ意外とそうでない人も多い。その前日は主催国の地元カナダとモロッコの一戦だった。放映は土曜日のお昼時のゴールデンタイムだった。その日は郊外のゴルフ場にいたが、クラブハウスでは誰もTVを見ている人がいない。レストランの女性に「応援しないの?」と聞いても肩を竦めるだけである。

そう言えば、決勝のスペインvsアルゼンチン戦もそうだった。近くのパブに途中から入ってみたが、盛り上がりはなかった。

思い出したのは、2017年のウィンブルドンテニスの決勝戦である。たまたまバルカン半島を旅していて、クロアチアのプーラという町の近くのパブに入ると、フェデラーと地元の英雄チリッチ戦をやっていた。パブでは勿論それを生中継していたが、客の殆どが無関心であった。その時はとても不思議に思えた。

7月はテニスのウィンブルドンや、ゴルフの全英オープンもあり忙しい月だった。TVで見る限りどれも例年並みに賑わっていた。大谷選手のMLBも閑古鳥が鳴いているかと思いきや、いつもの盛況があった

日本はモノカルチャーだから中々分かり難いが、世界の関心は意外にばらけている。特に田舎に行けばW杯も殆ど他人事になる。

Thursday, 6 August 2026

セウタの移民騒動

 先日スペイン領土に、モロッコから6万人が押し寄せる騒動があった。場所はスペインの飛び地であるのセウタ(Ceuta)だった。「そんな所あったっけ?」と思って調べたら、確かにモロッコ半島の小さな一角だった。

スペインは歴史的な背景から来るのだろうか、意外な所に領土を持っている。有名なのはアフリカのカナリア諸島である。(行った事はないが)そこのテネリフェ島で一昨年、ゴルフのアマチュア選手権が開催された。日本から参加した女性から初めてその名前を聞いて知った。


騒動の原因はスペイン政府が、不当滞在の移民50万人に1年の滞留許可を与える発表をしたことにある。ただでさえも若者の失業率の高さ(35%)が問題になっているモロッコである。若者が飛びついた理由も頷けた。

映像で見る限り雲霞のごとく、着の身着のまま海を泳いで渡る姿は壮絶であった。ここまで追い詰められた若者も命を懸けてだったのだろう、60名近い人が死亡した。

余談だが昨年の夏にスペイン一周をした時、南端のカディスという港からフェリーでモロッコに渡ろうとした。ただ往復の切符も購入し、いざ乗船という時に「待った」が掛かった。乗っていた「EUのレンタカーでは入れない」という。結局料金を払い戻して諦めたが、後から考えると不安定な治安の中で行かなくて正解だった。

またスペインとアフリカを隔てるのがジブラルタル海峡だが、何とスペイン側の町ジブラルタルは英国領だった。

スペインからジブラルタルに入る山のトンネルには、国境があって仰々しかった。その時に時間も押していたので引き返したが、ビザなしで簡単行き来できることが後で分かり、行っておけば良かったと悔しんだ。