フランス人に道を聞くと、必ず「あっちです」と親切に教えてくれる。ただ実際その通り行ってみると、半分以上は間違っている。それは仮に知らなくても、「知らない」と言えないからである。正直に言えば、自身の無知を曝け出すからである。
角川新書の若宮總著「イランの地下世界」を読んでいたら、イラン人も全く同じだと分かった。普段は気丈に自信過剰な程に生きている。だから「知らない」「分からない」といった、メンツを潰すようなに振る舞いは出来ない国民性という。
彼らが一番怖いのは、自身の弱さを見透かされる事である。一昨年ギリシャを旅した時、Matiという目玉をあしらったガラス細工の土産物があった。イランではテェシメ・ザフムと呼ぶそうだが、全く同じ物だった。
目玉は邪視除けに使われる。自身の弱みを他人から見透かせられないように、眼力で跳ね返す魔除けである。一方見透かした方は優位に立つ。その優劣が相互不信を引き起こし、同じ民族でも永遠に紛争が続く原因になっているそうだ。
考えれば馬鹿らしい、所詮は見栄の張り合いに思える。ただそこには、日本人とイラン人の違いがあるようだ。氏は
例えると、日本人は玉子で、イラン人は桃だという。玉子は殻は固いが、一度破ると中は柔らかい。反対に桃は最初は柔らかいが、芯の処に行くと固い。確かに言われてみれば思い当たる節がある。
唯一オーストラリアで出会ったモハードという男も、会うなり煙草を持って握手を求めてきた。ただ話していると、ノラリクラリとちっとも前に進まないばかりか、次の日も同じ騒音を出し続けて埒(らち)が明かなかった。今のアメリカとのやり取りでも、きっと同じような事が起きているのだろう。
それにしても戦争の終結は、ホルムズ海峡はどうなるのだう?ミサイルなんて使わなくても、目玉の眼力で何とか打開できないのだろうか?

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