Saturday 20 July 2013

ハリマオ

昭和の初め、新天地を求めて日本から海外に渡る人は多かった。その中の一人、福岡県の床屋を営んでいた家族がフィリッピンに行こうと船に乗った。ところが途中で座礁、トレンガヌ(今のマレーシア)に落ち着いた。時は帝国が派遣を争う時代、家族は排日の嵐に巻き込まれ、7歳の少女が虐殺されるという悲劇が起きた。その兄はその日から人が変わったように復讐に燃え、ゲリラの親玉になった。本名は谷豊、後のハリマオであった。

その後、太平洋戦争前夜に陸軍中野学校の武官が彼に接触、マレー半島進出の南方工作を依頼した。ハリマオは現地で来る日に向け準備し、そのお蔭で進軍がスムーズに行ったという。ハリマオは開戦の翌年マラリアで死亡したが、戦後のTVドラマ「怪傑ハリマオ」で取り上げられたので、記憶に残る処となった。

昨今の会社はどこも国際人の養成とか云ってお金を掛けている。企業戦士と書いて企業戦死と読むと云うが、昔の人は裸一貫で凄かった。

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