Sunday, 20 September 2026

古き良きパリの日本人

 書棚の本を整理していると、フランス関連の本が何冊か出てきた。最近の人が書いたパリ紀行はどれも女性っぽくて肌に合わない。一方ひと昔の、それも一握りのエリートの世界は希少で奥深い。


その一つが益田義信の「さよなら巴里」である。彼は三井物産の創始者、益田孝を祖父に持つ御曹司であった。父親も千代田火災、台湾精糖の経済人、男爵である。ただ当の本人は画家で、バロン薩摩のようにパリで遊んだ浪費家だった(ようだ)。

中でもモンパルナスのキャフェ、クーポールでの交友関係は、画家のフジタも出てきたり華やかだった。確かに当時のパリは世界から逃げてきた芸術家が沢山いて、モジリアニはイタリア人、シャガールはロシア人、ピカソはスペイン人、キリコはギリシャ人・・・。ヌイイに住んでいた福島繁太郎が、早い頃からルオーを見出す件も面白い。

もう一つは河盛好藏の「巴里好日」である。彼は昭和初期に京大を出て渡仏したフランス文学者であった。日本からまだ観光で行くような時代ではなかったにも拘わらず、エンジニア、ピアノ、大蔵省、数学者など、国費で渡った英才が集っていたのに驚かされる。

興味深かったのは、彼が頼ったのが在仏日本大使館に勤務するエリセーエフだった。エリセーエフは東大に留学した初のロシア人で、倉田保雄氏の「エリセーエフの生涯」で知っていた。

また河盛氏が66歳の時に懐かしのパリに戻ると、渡辺一夫夫妻が空港に迎えにきた話があった。渡辺氏はフランス文学界の大御所だが、個人的なご縁があって確かにあの頃パリに住んでおられたのを思い出した。

河盛氏は晩年、日本の大学でフランス語を教えて生活費に充てていた。崇高な学者は「去勢されたようだった」と語っていたが、パリと帰国後の世界の落差は分かるような気がした。

処で益田氏の本の中に、機内で出会った画家の宮本三郎氏の話が出てきた。世田谷博物館に彼の作品が展示されているというので、今度行ってみようと思っている。

Saturday, 19 September 2026

タイのロレンス

 先日、久しぶりにタイ料理を食べに行った。必ずしも好きと言う訳ではないが、日頃のマンネリ化した食生活にはちょっとした刺激だった。

タイ料理はココナッツミルクの甘さと唐辛子の辛さ、それにパクチが微妙なバランスで混ざり合っている。それは暑い処で口にするとよく分かるのだが、不思議と食欲を誘うのである。

タイには80年代の頃、仕事で良く行った。2~3か月おきに通っただろうか、蒸し暑い国だったので着ていた服が直ぐにダメになった。そこで現地の人が着ている開襟の上下に替えることにした。

たまたまホテルの前に洋服屋があったので、サイズを測ると翌朝には出来上がっていた。色は白だった。当時、英語の勉強と称して「アラビアのロレンス」のVHSに凝っていた頃だった。その影響もあり、アタッシュケースを持つとタイのロレンスになった気分になった。

仕事が終わると、夕方から仲間とよくゴルフに出掛けた。一日中冷房の部屋で過ごしているから、どうしても汗をかきたくなる。当時は雇用の為と称して、キャディーを一人3~4人付けるのが習わしだった。一人はバックを担ぐ女、一人は日傘を持つ女、一人はボールを探す女と、だから一組4人で廻ると10数人の大集団になった。正に王様ゴルフだった。

終わってから繰り出すのが、パッポン、タニヤの飲食街である。如何わしい店も多かったが、若かったので良く飲んだ。「タイは微笑の国」と言われる。正にそれを実感する場所でもあったり、やはり同じ儒教国は日本人のセンチメントに合っていた。

タイは、アジアの中で唯一植民地化されなかった国でもある。その訳は寛容で強かな国民性からきている。その例が新国王だろう。随分前に敬愛されていたプミポン国王が亡くなった。それを継いだのが長男だったが、彼は若い頃から女優を連れ廻すプレーボーイで、コロナ渦でも海外に逃避する問題児だった。それでも何とか君臨しているのは、その辺の国民性かと思っている。

ともあれ、当時の為替レートは1バーツが2円の時代だった。2時間マッサージしても800円だった。今では5円近くになっている。円高で日本から進出した企業も多く、威張り散らす日本人も多かった。そんな頃を思い出した。

Wednesday, 16 September 2026

天狗の男から去る女

 最近のAIはよく出来ている。ChatGPTに「XXに行くけど美味しいものある?」とか「XXの解説書は何がいい?」とか聞くと、それなりの答えが返ってくる。便利なので一日に何回も使っている。

考えればそこは、ひと昔前なら何時間あるいは何日もかけて辿り着いた世界である。それがボタン一つで瞬時に出てくる。登山に例えるなら、歩き始めた途端に山頂を極めるようなものだ。「こんな楽していいんだろうか?」と素朴な疑問が頭を過っている。

AIが進化すると「人間がAIにコントロールされる」とよく囁かれる。そんな心配は今に始まった事ではない。その象徴が60年代に上映された「2001年宇宙の旅」だろう。宇宙船に搭載したHALという人工知能が、宇宙飛行士を支配する話だった。原作のアーサー・クラークの直感が今の現実になっている。

思えば暫く前に、友人のA君がソニーのアイボを飼って居た頃が懐かしい。彼はマンションで動物を飼えないから、何十万円も出して新型のロボット犬を買った。「そんなの飽きるだろ!」という周囲の冷やかしを尻目に、毎年進化するアイボは本物の動物のようになっていった。

そんな頃はまだ良かった。最近の中国の人型ロボットは異常である。誰もが懸念するのが、それにAI頭脳が搭載された時である。唯でさえも共産主義は男女、経済格差のないフラットな社会を目指している。意思のないロボットはそれにピッタリだから、ロボット人民が生まれるのを恐れる。

でもAIの進化には楽観している。なぜなら人間には生存本能があるからである。人は間違っている方向に進んでいると察すると、揺り戻す動物的な本能が働く。例えばキューバ危機の米ソだったり、民主党政権から復権した自民党だったり、将又天狗になった男から去っていく女もそうかも知れない

パレートの法則の2:8に例えれば、20%の理性が80%の打算を抑えるのである。最終的に見えざる手によって、社会は自ずとあるべき姿に収れんする。尤もそこまで行き付くまでの紆余曲折があるだろうが・・・。

Saturday, 12 September 2026

遠山の金さんの時代

長英末期の物語は、色々思う処が多った。その一つが逮捕の切っ掛けである。探索に業を煮やした奉行は、彼を知る囚人を仮釈放して探させた。顔を変えて潜伏していた長英だったが、彼の発した「お頭!」の一言に反応してしまった。教訓としては、「怪しい処で知り合った人には、特に用心が要る」である。

二つ目は江戸の戒律である。彼は死亡の後に斬首され、乞食に運ばせた遺体は鳥葬に伏された。家族や支援者も連座させられた。中でも心を打たれたのが12歳の娘であった。遊郭に売られ、その遊郭も江戸の大火災に遭った。たった170年前だが、人々は死と隣り合わせ住んでいた。

三つ目がその逮捕に至った経緯である。南奉行の鳥居耀蔵という男が開国派を粛清し、長英もその巻き沿いを食った。北奉行の「遠山の金さん」こと金四郎が庶民の味方なら、鳥居は反対に悪代官だった。ただその鳥居も上が代わると失脚し最後は軟禁された。結果論だが、長英は脱獄せずに待っていたら自由を得られたかも知れない。

四つ目は岡っ引きである。江戸時代は今と違って防犯カメラがある訳ではない。その代わりに全国津々浦々まで、逃亡犯の似顔絵は行き渡っていた。その情報提供を行うのが岡っ引きであった。普段は普通の生活をしているから、ひと昔前なら忍者である。江戸はこうした密告で治安が保たれていた。

最後は寿命の話である。長英の逃亡は江戸から直江津を経て福島、米沢と続き、又江戸に戻り四国の宇和島を往復した。船も使ったがその殆どが徒歩だった。その距離にはビックリするが、街道は山道だから野宿もするし食べ物にも窮しただろう。肖像画を見る限り、彼は殆ど老人だが御年46歳だった。あんな生活をしていれば、寿命が短かかったのは当然だ。

Friday, 11 September 2026

高野長英と八ッ場ダム

吉村昭の「長英逃亡」を読んでいると、今でも身近に逃亡経路が残っている事が分かった。その一つが群馬県の中之条市の沢渡だった。雨で道路が心配されたが、早速行ってみることにした。

長英こと高野長英は江戸末期の蘭学者である。鎖国の批判本を書いた罪で投獄されるのだが、6年後に脱走に成功する。目指すは故郷の水沢(今の岩手県)だった。ただ追手の目もあったので、群馬や越後を迂回する事にした。その時通った一つが、嘗ての蘭学仲間がいた中之条の沢渡であった。


沢渡は鄙びた温泉町である。20年ほど間に一度訪れたが、殆ど変わってなかった。早速共同浴場でひと風呂浴び、馬鈴薯が入っているという長英蕎麦を味わった。蕎麦屋の裏手に高橋景作の墓碑があったので手を合わせた。彼は長英を匿った蘭学仲間の医者だった。

もしもその事が分かれば命は危ないし、家族も巻き添えになる。それを承知の上で、全国に散らばる多くの蘭学ネットワーク有志が彼を助けた。長英の人望も沙流ことながら、改めてその志の高さや鎖国への危機感が伝わってきた。

久しぶりに訪れた吾妻渓谷であった。八ッ場ダムが完成して立派な道路が出来ていた。巨大なダムは不便な地形を一変させ、水上バスも走る観光地になっていた。

思い出したのは、民主党の前原さんだった。彼は国交大臣になるとダムの差し止めを叫んだ。そのせいで工事が2年遅れたようだが、何故そんな事を言い出したのだろうか?今どう思っているのか、聞いてみたくなった。

Monday, 7 September 2026

子供時代の暗い過去

 東野圭吾の「悪意」は、名を馳せた作家を成功しなかった作家が殺す話である。二人は子供の頃からの知り合いであった。加害者の動機は、その子供時代の悪事を知る同僚の抹殺であった。その動機を隠すために、別のシナリオを組み立てて殺すといった、込み入ったストーリーであった。話としては面白いかも知れないが、捕まる事を前提に犯罪を犯す人なんていない。


この手の代表作は、何と言っても松本清張の「砂の器」だろう。物語は大成した音楽家の処に、自身を育ててくれた恩人との再会から始まる。しかし彼にとっては、今の輝かしい経歴に暗い過去は似合わないし、ましてそれを一から知る人は邪魔である。そこで殺人まで犯してしまうが、刑事が二人の繋がりを発見する件が面白い。

確かに都合の悪い過去を、他人が覚えているのは気持ちいいものではない。特にその人が大成し、社会的な地位を築けば築くほど、それは恐怖へと変わっていく。

まだ小学校に入るか入らないかの頃だった。よく家に子供たちが遊びに来た。ただ彼らが帰ると、引き出しに仕舞っておいたチョコレートがなくなっていた。それは何度か続き、そのうち犯人はK君だと分かった。

もしもそのK君が大人になって代議士か大会社の社長さんになって再会したらどうだろう?殺されることはないだろうが、訳もなく疎遠にされるのは容易に想像できる。

Sunday, 6 September 2026

富士山の女医さん

 TVを観ていたら、富士山の診療所の特集をやっていた。八合目にある無料診療所で、高山病などで多くの登山者が訪れていた。それをヒマラヤ登山の経験もある女医さんが対応していた。

彼女は急変を訴える患者に対し、「下山を勧めるのは簡単だが、何とか山頂を目指す気持ちに寄り添う」と言っていた。その前向きな治療は、同じクライマーだから分かる事かも知れないが、とても頼もしい医者だった。

登山者の多くはインバウンドで来る外国人である。昔新宿を歩いていると、外人から「登山用具を売っている店を知らないか?」と聞かれた。その人はやはり富士山に登るそうで、来日してから準備に入ったようだ。

そんな人たちが、八合目まで来て引き返すのは余程の無念だろう。大怪我をしたり、体力が消耗して担架で運ばれる人なら仕方ない。でも多少の頭痛だったら、我慢して頂上を目指すのは理に叶っている。そんな気持ちを察して、登はんを後押しする人の存在は大きい。

尤も引き返すのが理に叶っている事がもある。それは道を間違えた時である。来た道を戻るのは、下山して又昇るから体力を2倍使うことになる。だから誰もが躊躇するのだが、その勇気が事故を防ぐきっかけになる。

山登りは最近すっかりご無沙汰してしまった。このままだと富士山にもご縁のないまま終わってしまいそうだ。

Wednesday, 2 September 2026

東野圭吾にチャレンジ

 暫く前に東野圭吾さんが亡くなった。若い人なら誰もがファンの人気作家だった。売り上げだけでも、一億冊を超えているというから驚きである。

ただ最近の作家は軽くて薄い先入観がある。「どうせ読んでもガッカリするのがオチだろう!」と思っているから手にしない。でも世間の評価も気になったので、これを契機に片っ端から読み始めた。やはりその感はいがめない。

「容疑者Xの献身」は数学教師の偽装殺人である。好きな女の為に身代わりになる話で、事件後に第二の本当の殺人まで犯してしまう。直木賞も取った作品らしいが、普通なら女が事件を犯した時点で自首を勧めるのが定石だと思った。

「秘密」もそうだ。交通事故で亡くなった妻が生き残った娘の中に宿り、成人するまで夫と3人で生活する物語である。心温まる話だったが、やがて事故を起こした運転手の妻やその息子との交友が始まる。スウェーデンシンドロームではないが、被害者が加害者遺族に寄り添うなんてあるのだろうか?

「ダイイングアイ(Dying Eye)」は交通事故を起こしたひき逃げ犯二人が、カネと社会的地位と交換に身代わり犯になる話である。最後は死んだ被害者の怨念で事件は明るみに出るのだが、普通は警察の実況見分や事情聴取の過程でバレそうなものである。

「夜明けの街で」は中年男が不倫する話である。中年の妻子持ちが女にアプローチされれば、「変だな?」と思うのが常である。それをズルズルと利用され、女の事件のわき役に使われる。結局他殺でなく自殺だったり、中年女が自身にナイフで突き刺すなんて出来るのだろうか?

「変身」は脳移植された男が、ドナーの性格に変身して行く話である。その過程で殺人までしてしまうのだが、これはジェイソン・ボーンからヒントを得たのだろうか?

ただ「悪意」は良かった。有名作家になった男が、やはり作家の元同級生に殺害される事件である。加害者はその犯行の筋書きを作るのだが、それは本当の動機を隠すためであった。彼は中学時代に不良仲間に入って悪行を働いた心の闇があった。その闇を消すのは分かるが、果たして他人まで消す動機になるのだろうか?

「探偵ガリレオ」シリーズもあった。殺人はプラズマ、衝動波、超音波、ナトリウム、ネオジウム磁石など、理科系のトリックで行われる。福山正治のドラマは面白いかも知れないが、そんな専門知識を使えばすぐにバレそうなものである。

こんなケチばかり付けていると若い人に嫌われる。それを承知でもう少し頑張ってみたい。ここまでやっと10冊ちょっと、全部で100冊もあるというので先は長い。

Monday, 31 August 2026

セルビアの突出部(バルジ)

セルビアのムラディッチ元軍司令官が死亡したニュースがあった。Butcher of Bosnia(ボスニアの虐殺者)と呼ばれた男は、90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、ジェノサイト(民族浄化)の主犯だった。その記事をみて、旅の記憶が次第に蘇ってきた。

あれは10年ほど前だったか、舞台になったスレブレニツァ(Srebrenica)の町を訪れた。サラエボの町を出る時、ヒッチハイカーのフランス人カップルを乗せた。彼らはセルビアの首都ベオグラードに行くという。途中で下したがそんな位置関係の場所だった。

着くとそこはアーリントンのように一面、真新しい墓標が並んでいた。8000本以上はあっただろうか、1995年にセルビア人によって殺害されたボスニア人が眠っていた。まだ事件が起きて20年しか経ってないから、遺体を回収した倉庫も生々しかった。

それにしても何故、このような場所で大量殺戮があったのか?その時は考える余裕もなかった。ただこうして時間が経ち、改めてその場所や地形を見ると次第に様子が分かってきた。

そこはドリナ川を隔てセルビア国境まで20㎞の町だった。事件の背景にはユーゴスラビアが解体して、アルメニアとクロアチアが独立し、セルビアも領土を確定しようと焦っていた時期だった。

ただ突然昔の国境が現れても、困るのは住民だった。その一つがボスニア・ヘルツェゴビナの東部に住むセルビア人だった。彼らを排斥しようと紛争が起き、1200人が殺害される事件が起きた。

それから3年後、今度は逆にそのセルビア人を保護しようと、セルビア軍(正確にはセルビア人によるローカル軍)がボスニア人の排斥に乗り出した。ひょっとして先の報復もあったのかも知れない。それがジェノサイトの始まりだった。

住民の構図はウクライナのクリミアやドネツクに似ている。その8割はロシア人である。ロシアはその同胞を保護する名目で侵攻した。

場所は明らかにボスニア・ヘルツェゴビナ領内であった。ただ今回地図を見て分かったのは、そこはセルビアがボスニア・ヘルツェゴビナ側に半島のように突出した特殊な場所だった。言わばベルギーのバストーニュのようなバルジだった。その複雑な地形が越境に影響したのは容易に想像できる。

スレブレニツァの墓地を見て、次の目的地である世界遺産のドリナ橋に行こうとした時だった。直線距離だと1時間位かと思って山道に入ろうとすると、「この先は危ないから迂回しろ!」と止められた。来た道を戻って遠回りしたのだが、今になって分かったのは、直進すればそのバルジのセルビア領を通る事になった。地雷もまだ残っているし、セルビアから果たしてボスニア・ヘルツェゴビナに戻れたかも分からない。

ボスニア人はイスラム教、セルビア人は正教徒、ヘルツェゴビナはキリスト教である。バルカン半島では、この三つ巴の構図が微妙なバランスを保っている。

Saturday, 29 August 2026

イランのコネ社会

 全米オープンテニスを前に、フェデラー選手を迎えたイベントが催された。久々に見る彼の雄姿と、現役時代と変わらないプレーに多くの人が酔った。

シングルスはロディックと、ダブルスはマッケンローとアガシを交えて行われた。いずれも全米選手権に名を刻む優勝者で、その演出はとても豪華だった。当時を彷彿とさせるプレーを見て、ファンも元気を貰っているのが伝わってきた。

ところでそのアガシ選手だが、強力なフォアハンドを武器に全米では2回のタイトルを取った。プライベートでも華やかで、ブルック・シールズと別れたかと思ったら、今度はグラフ選手と結婚した。今では2人のお子さんに恵まれ、幸せに暮らしているようだ。


処で彼の父親はボクサーで、イランからの移民である。アガシ自身はアメリカで生まれている。そんなイラン系がアメリカでは75万人いるようだが、先日のW杯で大勢の抗議デモの人が会場に押し寄せて問題になった。

彼らは自国の選手を応援するのでなく、現政権の出先として逆に非難していた。パーレビ時代の国旗を振って抗議する姿に、同じイラン人が二分されたようで複雑な思いで見ていた。

「イランの地下世界」の著者若宮氏のよれば、イランはコネ社会で、コネのない人は賄賂を使う。だから公の利益より個人の利益が優先されるので、個人崇拝の土壌が出来てカリスマ(独裁者)を生むという。社会は必然的に協調より対立、収れんより拡散するのも、その辺の事情があるようだ

アガシ選手はもう生粋のアメリカ人だから関係ないかも知れない。ただそんな故国をどう思っているのか、いつか聞いてみたい気がする。

Tuesday, 25 August 2026

マッシュルーム殺人事件

先日オーストラリアのメルボルン郊外で、3年前に起きた事件の判決が出た。それは50歳の女が、元夫やその両親などを自宅に招き、キノコ料理を振る舞ったところ、食中毒を起こして3人が死亡した事件だった。

現地ではMashroom murder(マッシュルーム殺人)と呼ばれた。判決は女の有罪を認め、33年の懲役になった。林真須美のカレーライス殺人事件を思い出し、「女は料理で復讐する!」は万国共通かと思った。

処で何故そんなローカルなニュースが目に留まったかというと、事件が起きたLeongathaという町は、この1月にゴルフに行った倶楽部の近くだった。メルボルンから80km程離れた郊外の牧草地で、家々も点々とするド田舎だった。ゴルフ場も起伏が激しく、おまけに小雨が降ってきて凍える中で廻った記憶がある。

ところで日本にいると中々分からないが、マッシュルームは旬のご馳走だから、それで人を呼ぶのは立派な持て成しになる。

バルト三国に居た頃、暇を持て余して毎日パブで飲んでいた。段々パブ仲間も出来て、その中に60歳位のスイス人の男がいた。いつもワイン一杯を嗜む静かな人で、エストニア人の奥さんと別れ、一人娘を頼って住んでいた。

彼の趣味はマッシュルーム狩りだった。春になると森に入り採って来るので、ある日「食べに来ないか?」と呼んでくれた。独り住まいの寂しいアパートだったが、採りたてマッシュルームは単にドレッシングで和えただけなのに、本当に美味かった。

Sunday, 23 August 2026

磯野浪平は54歳

夏の甲子園が終わり、智弁和歌山が5年ぶり4度目の優勝を果たした。もう殆どTVも観ることはないが、たまたま車を運転していたら、ラジオで閉会式が流れていた。

挨拶に立ったのは高野連会長であった。滔々と炎天下の長時間スピーチは、あまり評判が良くなかったという。でもその名セリフの一節が耳に残った。


彼は、「(甲子園が始まった)100年前の平均寿命は40歳程度だった。中でも16歳まで生きる事が出来たのはその半分だった。だから今の平和に感謝して、命を大切に生きて下さい!」と最後に締めた。

確かに言われてみれば、大正から昭和に差し掛かる頃の寿命は短かった。よく引き合いに出されるのが、サザエさんのお父さんである。頭の毛も薄かった磯野浪平は、ああ見えても54歳の設定だった。自身が学校を出て就職した頃も、定年は55歳だった。

戦争もないし、殆どの病は進化したクスリで治る時代になってきた。ややもすればその有難さを忘れがちになってしまう今日この頃、ひょんな事で諭されたのであった。

Thursday, 20 August 2026

痛風とドイツ人

 暫く前に、友人のKさんが痛風になった。「痛くて歩けない!」と言う。ゴルフに一緒に行こうと思っていた矢先で気の毒だった。

痛風はプリン体が足先に固まって発症する。甘いものやアルコールの取り過ぎ、中でもビールが良くないと言われている。

ただヨーロッパではあまり聞いたことがない。ビール大国のドイツでも、あれだけ毎日子供から大人まで飲んでいても、殆ど話題にならない。その理由は何なのか?


素人考えだが、それは水の違いではないだろうか?日本は軟水に対し、ドイツは硬水である。硬水はカルシウムやマグネシウムを多く含むので、血液をアルカリに保つ効果がある。だから尿酸が出来難い。

逆に軟水だと飲み易いがミネラル成分が少ない。体が酸性に成り易いのはその為かも。

尤も軟水は飲み易いし、ビールの大瓶が平気で出てくるのが日本である。またラーメンのスープもそうで、(以前も書いたが)佐野や喜多方のラーメンが美味しいのは、軟水度が高い地域の水を使っているからである。

プラスマイナスもあるし、中々誘惑には勝てないから、上手く付き合うしかないだろう。

Monday, 17 August 2026

目玉の魔除け

 フランス人に道を聞くと、必ず「あっちです」と親切に教えてくれる。ただ実際その通り行ってみると、半分以上は間違っている。それは仮に知らなくても、「知らない」と言えないからである。正直に言えば、自身の無知を曝け出すからである。

角川新書の若宮總著「イランの地下世界」を読んでいたら、イラン人も全く同じだと分かった。普段は気丈に自信過剰な程に生きている。だから「知らない」「分からない」といった、メンツを潰すようなに振る舞いは出来ない国民性という。

彼らが一番怖いのは、自身の弱さを見透かされる事である。一昨年ギリシャを旅した時、Matiという目玉をあしらったガラス細工の土産物があった。イランではテェシメ・ザフムと呼ぶそうだが、全く同じ物だった。

目玉は邪視除けに使われる。自身の弱みを他人から見透かせられないように、眼力で跳ね返す魔除けである。一方見透かした方は優位に立つ。その優劣が相互不信を引き起こし、同じ民族でも永遠に紛争が続く原因になっているそうだ。

考えれば馬鹿らしい、所詮は見栄の張り合いに思える。ただそこには、日本人とイラン人の違いがあるようだ。氏は

例えると、日本人は玉子で、イラン人は桃だという。玉子は殻は固いが、一度破ると中は柔らかい。反対に桃は最初は柔らかいが、芯の処に行くと固い。確かに言われてみれば思い当たる節がある。

唯一オーストラリアで出会ったモハードという男も、会うなり煙草を持って握手を求めてきた。ただ話していると、ノラリクラリとちっとも前に進まないばかりか、次の日も同じ騒音を出し続けて埒(らち)が明かなかった。今のアメリカとのやり取りでも、きっと同じような事が起きているのだろう。

それにしても戦争の終結は、ホルムズ海峡はどうなるのだう?ミサイルなんて使わなくても、目玉の眼力で何とか打開できないのだろうか?

Saturday, 15 August 2026

河野水軍のご縁

随分前に亡くなったが、テニス倶楽部に河野さんという人がいた。世話好きで、我が家に最初に来た犬も彼が世話してくれた。出身は広島の因島で、「田舎のお袋が送ってくれた蜜柑だ!」と、故郷の思い入れも大きかった。

ただ晩年は認知症を患った。いつからか、聞いてもいないのに自分史を滔々と話し始めた。「おかしいな?」と思って周りの人に聞くと、やはり痴呆が始まったという。ただ倶楽部の人は昔から知っている人ばかりだから、奥さんが朝連れてきて放していても安心だった。

驚いたのは、頭がおかしくなってもテニスのスコアだけはちゃんと数えられるのだった。「昨日のことは忘れても、昔の事はよく覚えている」と同じで、変に勇気付けられた記憶がある。

そんな彼を思い出したのが、今村翔吾の「海を破る者」だった。それは河野水軍の話で、鎌倉時代に伊予国(今の愛媛県)を拠点にした河野道有の話だった。中でも元寇の時の活躍を凄まじかった。そして(本当かどうか分からないが)あの河野さんと関係しているのではないか?と思った。

やはり俱楽部には村上さんという人もいた。彼も随分と前に亡くなってしまったが、こちらは列記とした村上水軍の末裔だった。風貌も如何にも海賊らしかった。

元寇は神風もあったが、もしも負けていれば今の日本はなかったかも知れない。時代劇の一冊に、救世主の末裔だった二人の故人を思い出した。

Thursday, 13 August 2026

他人の国で骨を埋める中国人

バンクーバー郊外の、Redwoodsという高級ゴルフ場に行った時だ。駐車場で車を止めると、隣のベンツから中国人の母親と中学生位の男の子が降りてきた。男の子はアディダスのゴルフウェアに身を包み、暫くして女子プロと思われる人に連れられコースに向かって行った。「金持ちの中国人とはこういう人なのか?」と思った。

バンクーバーの中国人は人口270万人の内54万人、つまり5人に1人を占めている。思い出すのは1997年の香港返還である。あの時、比較的豊かな香港人はアメリカやカナダに逃げた。ただ行ってみると仕事もなく、その後戻ってきた人も多かったから、その時「世の中そんなに甘くない」と思った。ただ中には成功した人もいて、典型的なのは今のバンクーバー市長である。公認会計士から身を起こし、中国系初の市長になった。


カナダの中国人は元来、19世紀に鉄道労働者やゴールドラッシュの炭鉱夫としてやってきた人だ。鉄道が完成しても残留を希望したため、仕事は洗濯、掃除、料理人と社会の底辺で生きてきた。今でもチャイナタウンに行くとその面影が残っている。薄暗く汚い街並みに大声が飛び交うレストラン、路上ではクスリ漬けの男が屯っていた。

ただ最近の中国系は随分と豊かになっている。ゴルフ場に来る人たちはその典型だろう。移民が中国本土からのお金持ちや、技術を持った知識層に代わっているからだ。ひょっとして今(習近平が追い掛けて)問題になっている、巨額な不正蓄財を持って海外逃亡した資産家も含まれているのかも知れない。

彼らの子供も勿論大学を出ると、IT、金融、医療といったホワイトカラーの仕事に就く。同世代の大卒の割合はカナダ人平均の倍近くもあるという。一方で偏見や差別も相変わらずで、中国系の若者の失業率や未婚率は、同世代のカナダ平均を上回っている。卒業しても厳しい現実が待っているのだ。

カナダは広大で自然豊かな国である。ただ一方で(日本から見ると)ひと気はなく気候も寒々しい。私なら「移住したいか?」と聞かれればNOである。いくらゴルフ場が奇麗でも、もっとゴチャゴチャして刺激があった方がいい。

しかも所詮は他人の国である。そんな処で帰るに帰れずに骨を埋める選択した中国人の強かさが印象的だった。

Tuesday, 11 August 2026

「武器よさらば」の舞台

記憶が蘇ってくると、そのロビー二(Rovini)はテニスの町だった。旅した夏も国際大会をやっていて、首都でもないのに道路が随分と整備されていた。だからフェデラーもヴァカンスではなく、その関係で訪れたのかも知れない。


ところでそこから100km程北西に行くとイタリアで、大きな港町トリエステ(Torieste)がある。私のお気に入りの一冊だが、ジュール・ベルンの「アドリア海の復讐(原題:Mathias Sandrof)の舞台である。

ハプスブルグ家から独立を目論むハンガリー人(マジャール人)の物語で、デュマの「モンテ・クリスト伯」を焼き直しした復讐劇である。

物語はそのトリエステで、謎の暗号を持った伝書鳩が見つかってしまう処から始まる。アンテキルト博士の名で復讐する彼が現れたのがドブロブニクだったり、フィクションと現実と混ざり合っていて面白い。

また北東に行くとスロベニアに入る。その国境の山奥にコバリド(Kobarid)という小さな村がある。そこに第一次大戦の「カポレット(Caporetto)の戦い」の記念館があると言うので行ってみた。

戦いはオーストリアにドイツが加わった連合軍がイタリアに勝利する。その混乱を描いたのがヘミングウェーの「武器よさらば」だった。

映画ではアメリカのイタリア義勇兵をゲイリー・クーパーが演じていた。愛人との逃避行もあってロマンティックな作品でもあった。

映画で見たシーンを思い浮かべ、両軍が対峙した山岳地帯に残る輸送路や塹壕の跡を歩くと、砲弾が飛び交った当時が蘇ってきた。戦跡巡りのオタクとしては、ノルマンジーやワーテルロー並みに感慨深かった。

Monday, 10 August 2026

フェデラーのヴァカンス

Facebookは余り使っていない。ただ時々知り合いが投稿するので見たりはする。今日は友達登録してあるフェデラーから、ヴァカンスの報告が入った。

場所はクロアチアのロビーニ(Rovini)だった。どこかと思ったら、昔泊まったプーラ(Pula)という大きな港町の近くだった。その時のホテルが、ハプスブルグ最後の皇帝ヨーゼフ一世も泊まったホテルだと聞き、痛く感激した。

クロアチアはアドリア海に面し、多くのローマ遺跡が残る素晴らしい国である。バルカン半島の中でも一番垢抜けして治安もいい。それでいて物価は安いしワインも美味しいので、知り合いのドイツ人は毎年キャンピングカーで訪れている。

その日の前日は、有名な観光地ドゥブロブニクを経って北上した。夕方になったので、名もない港町で泊まることにした。ところがホテルらしきものはないので、レストランの主人に聞くと、「俺の家の部屋が空いている。30ユーロで学生割引だ!」とお世話になった。

ところが翌朝、お金を支払おうとしても店は閉まっている。暫く椅子に座って困っていると、水着姿の可愛らしい少女がやってきて「どうした?」と聞く。事情を話すと「今日は日曜日だから起きてこないよ!」と言う。仕方がないので、部屋に手紙とお金を置き、鍵を内側から差して出発した。

火照った体を冷やそうと、入った海は5分も浸かっていられないほど冷たかった。フェデラーもそんな所で泳いでいたが、旅の記憶が蘇ってきた。

Saturday, 8 August 2026

カナダのゴルフ場

 カナダでゴルフをした。ヴァンクーバーの郊外約70㎞程の町に宿を取った。東京で言えば高崎や宇都宮になろうか、この70㎞という距離感は万国共通で、都心から日帰りゴルフで来れるギリギリの場所になる。だからそこから先は、料金がグッと安くなるのである。

カナダのゴルフ場数は世界4位である。因みに1位は勿論アメリカだが、2位は日本である。国土は広いから田舎でも沢山のゴルフ場がある。例えば人口1万人以下の町でも(9ホールだが)立派なゴルフ倶楽部があるし、車で1時間圏内なら数知れない。

ゴルフのスタイルは、オーストラリアと殆ど同じである。予約はネットか電話で取り、着くとプロショップでお金を払ってスタートする。混んでいる週末などは現地の人と一緒になるが、皆さんとてもフレンドリーだ。中国人や韓国人が多い国だからか、現地に住んでいる日本人によく間違えられる。

唯一違うのが距離表示である。オーストラリアだとメートルだが、カナダはヤードである。英国やアメリカもヤードなので、何故オーストラリアだけがそうなのか分からない。また手引きカートはオーストラリアだとPull buggyと呼ぶが、カナダはPull cart だった。

料金は日本とあまり変わらない。立派な倶楽部だと1万円は超えるが、平均すると6~9千円程度で埼玉の奥地や群馬並みである。4千円のパブリックもあったが、流石にボールはよく無くなる。

ただオーストラリアに比べると華やかさに欠ける。気候が北海道に似て、夏でも肌寒いせいだろうか?終わってからクラブハウスで談笑する人も心持ち少ない。中国語やハングルが飛び交う雰囲気はカナダである。

こんな話を友人にしたら、「毎日ゴルフやっていて飽きなかったの?」と聞かれた。確かにその通りかも知れない。でも自然を除けば然したる観光地もないから、これに勝る楽しみはない。どこも倶楽部も初めて訪れる新鮮さもあるし、始まるといつの間にかスコアメイクに没頭してしまう。

Friday, 7 August 2026

W杯に冷めた人々

7月はサッカーのW杯で盛り上がった。中でも(決勝で敗れはしたものの)メッシを中心とするアルゼンチンの逆転劇は凄かった。準々決勝の対スイス戦でも準決勝のイングランド戦でも、前半に失点したが後半追いついて逆転した。素人目には、終盤まで殆どシュートを打たなかったのも、コースを読ませない戦術に映った。

それにしても、これだけ世界の人が熱狂するスポーツも珍しい。この時ばかりは、右も左も敵も味方もない。普段は眠っていた愛国心に火が点く。毎日W杯が続けば、世界はもっと平和になるかも知れない。

バンクーバーの町でも、7月5日に行われたブラジルvsノルウェー戦の盛り上がりは凄かった。中心街の飲食店が立ち並ぶ一角では、野外に置かれたTVに若者が群がっていた。その殆どがブラジル応援団だった。近年カナダへの移民が増えているせいかも知れない。

ただ意外とそうでない人も多い。その前日は主催国の地元カナダとモロッコの一戦だった。放映は土曜日のお昼時のゴールデンタイムだった。その日は郊外のゴルフ場にいたが、クラブハウスでは誰もTVを見ている人がいない。レストランの女性に「応援しないの?」と聞いても肩を竦めるだけである。

そう言えば、決勝のスペインvsアルゼンチン戦もそうだった。近くのパブに途中から入ってみたが、盛り上がりはなかった。

思い出したのは、2017年のウィンブルドンテニスの決勝戦である。たまたまバルカン半島を旅していて、クロアチアのプーラという町の近くのパブに入ると、フェデラーと地元の英雄チリッチ戦をやっていた。パブでは勿論それを生中継していたが、客の殆どが無関心であった。その時はとても不思議に思えた。

7月はテニスのウィンブルドンや、ゴルフの全英オープンもあり忙しい月だった。TVで見る限りどれも例年並みに賑わっていた。大谷選手のMLBも閑古鳥が鳴いているかと思いきや、いつもの盛況があった

日本はモノカルチャーだから中々分かり難いが、世界の関心は意外にばらけている。特に田舎に行けばW杯も殆ど他人事になる。