Thursday, 4 December 2025

ヌルハチの骨壺

高市首相の台湾有事の発言で、中国が大きく反発している。台湾は中国の一部、その内政に口を出したのがいけなかったようだ。何か分かったような分からないような、ピンと来ないのが実感である。

習近平の台湾統一への執念はどこから来るのか? 個人的にはかねがね、故宮博物院ではないかと思っている。蒋介石が持ち去った60万点を超えるお宝である。北京にも博物館があるようだが、多分比べ物にならない規模だろう。

権威の象徴はお宝である。逆にお宝な無ければ権威は保てない。例えばそれは、フランスからルーブル美術館を、ロシアからエルミタージュ美術館を、英国から大英博物館を取ってしまう事を想像すれば、容易に理解できる。

お宝がない国は、権威の裏付けがないから不安定になる。今の中国は経済大国かも知れないが、その箔が欲しいのである。

余談だが、バルト三国には国立博物館なるものは一応あるが、ショーケースの中身は殆どないのに驚かされる。ソ連の時代に持って行かれたからである。権威の象徴がない国は心理的に弱く映る。ロシアをして、ウクライナに次いで又取りに行こうとする気にさせるのである。

インディ・ジョーンズの映画「魔宮の伝説」の冒頭に、ヌルハチの骨壺を取り合うシーンが出て来る。ヌルハチは清の初代皇帝である。そんな骨壺に命を賭ける中国マフィアを思い出した。

Sunday, 30 November 2025

ヤツメウナギ

先日、ウナギを絶滅危惧種にする規制案が否決された。うなぎの7割を輸入する日本にとってはホッとした。ただでさえ高いウナギである。もはやこれ以上になると、日本の食卓から消えるかも知れない。

ただ一口にうなぎと言っても、普段我々が口にする二ホンウナギ に対し、ヨーロッパのヤツメウナギは全くの別物である。それを一緒に議論するのがそもそも間違っている。

昔パリの中華料理店でウナギを食べた事がある。出て来たのは輪切りにした、まるでヘビのような産物だった。見た目にもグロテスクで歯ごたえも固く、太い骨も残っていたので途中で降参した記憶がある。それが正にヤツメウナギであった。

そうは言っても、ヨーロッパでは珍味に入るのかも知れない。「モンテクリスト伯」の小説の中に、そのヤツメウナギが登場する。時は19世紀のパリ、伯爵が客を招待し珍味で驚かすシーンである。

一つはロシアのボルガからチョウザメを、もう一つはナポリからヤツメウナギを取り寄せる。生きたまま運搬するため樽を特注し、チョウザメは12日、ヤツメウナギは8日かけてこれも特別仕立ての貨車で運んだ。その破格の費用と心遣いに、客は心酔して警戒を解くのであった。

処でヤツメウナギを出す店が目黒にあると分かった。一度は懲りたが、さぞかし日本の味付けも違うだろうから、いつか試してみようかと思っている。

Saturday, 29 November 2025

ウィンターノーズ

犬を飼い続けてかれこれ20数年になる。今の犬で5頭目になる。最初の2匹はラブラドールで、3頭目からゴールデン・レトリバーにした。ずっと2頭飼いを続けていたが、4頭目が胃捻転で早死にしてしまってから1頭に戻った。


犬と一緒に暮らしていると、今更ながらの発見がある。その一つが鼻の変色である。普段は黒い鼻が寒くなると白くなる。心配になって医者に聞くと、これは「ウィンターノーズです」と言う。冬になると紫外線から皮膚を守るメラニン色素が減るので、白っぽくなるようだ。人間もそうだが、季節の変わり目のお肌は敏感なのである。

それから春秋の毛の抜け代わりもある。人間で言えば衣替えである。この秋も10月に夏用の毛が落ちて、もっこりした毛が生えてきた。冬ものを買う訳でもなく、その生命力に感心させられる。

それから(人間もそうかも知れないが)、いい子に育つには兎に角、褒めるように心がけている。「待て」が出来た時は勿論、よく頭を撫でて「よしよし!」をしている。そうすると犬もリラックスして、もっといい子になろうとする。

否定的な言葉はなるべく使わないようにしている。ただ「あっち」と「終わり」は例外で、更なるおねだりを止めさせる時に使う。これを聞くと直ぐに諦める。

Tuesday, 25 November 2025

モンテクリスト伯の映画

 いま上映されている「モンテクリスト伯」を観に行った。最近何度目かの再読をし、十分予習をした矢先だった。しかし小説とは随分と異なる展開に、「これって違う!」を心に中で連発した。

まず冒頭のナポレオンの手紙だが、海で助けた女が持っていた。小説では船長が息を引き取る時にダンテスに手渡すので、全くの創作だった。

次にその手紙だが、手に入れた検事はそれを隠匿した。宛先がパリに住む父親だったからである。父親がナポレオン派と分かれば、王党派の彼の未来はない。それを恐れてダンテスを投獄するのだが、その大事な件が全く描かれていなかった。

ダンテスが復讐するのは、検事、銀行家、将軍の三人である。銀行家を偽情報で破綻させるのは正しかったが、あと二人の扱いが随分と違っていた。特に将軍は妻子に捨てられ、絶望の中で自ら命を絶つはずだった。しかし映画の後半では、ダンテスと剣を交えていた。これでアクション物に成り下がってしまった。

また最後は、アルベールとエデが結ばれるシーンで終わっていた。とんでもない話である。アルベールは絶望の中で家を捨て出て行くのであった。エデはもっと神秘的な女性で、ダンテスとの未来を暗示して幕を閉じる。そもそも彼女はギリシャ人なのに、フランス人女優が演じていた。間違った筋書きで、作品は二流のロマンス物になった。

昔クライブ・カッスラーの「サハラ(日本語:死の砂漠を脱出せよ)」という痛快な小説があった。これを映画化したのが大失敗で、以降カッスラーは怒って許可を出さなくなった。今回その話を思い出した。

上映が終わり、連れに「全然本とは違うよ!」と話していたら、後ろにいた女性が「そうなのよ!」と割り込んできた。全く知らない人だったが、知る人なら誰しもストレスが残ったのであった。

Monday, 24 November 2025

2013年8月の参院選

 家の片づけをしていると、昔の週刊文春が出て来た。2013年8月号で、参院選挙の結果が特集されていた。安倍政権下で自民党が圧勝し、民主党が大きく議席を減らした時だった。


写真には笑みを浮かべる安倍首相と、石破幹事長、高市政調会長が並んで写っていた。「10年ひと昔」とは良く言ったものである。あれから安倍さんが暗殺され、石破さんは失脚して高市女史の時代になった。ヒトの一生もそうだが、政治は特に一寸先は闇である。

安倍さんの時代は良かった。アベノミックスの三本の矢で経済の活性化があった。1万円そこそこだった日経平均が、あの頃からジワジワ上がり始めて今では5万円になった。多くの投資家は当時、やっと元が取れたと売り始めた頃でもあった。もしあの時に買っていたら、金融資産は5倍になったのである。

その明るさを象徴したのが「桜を見る会」であった。政財界のお歴々、各国の外交官や芸能界のスターが華を添え、新宿御苑で催された。一部の横槍で中止になったのはとても残念である。女の嫉妬は凄いと聞くが、オトコのやっかみも根が深い例だった。

日本人なら桜を嫌いな人は居ないし、桜に右も左もない。これから与党だけでなく共産党も入れた全党で、この日だけは皆日本人がひとつになって、楽しむ会として復活させたらいい。

処でその週刊誌に、大谷選手の記事が小さく載っていた。彼は当時19歳、日本ハムファイターズの3番手の投手として20球近く投げた時だった。その時も「二刀流が続けられるのか?」例によって批判的な内容だった。そんな悲観を跳ね返した彼も去る事ながら、記事を鵜吞みにしていた自分を恥じるのであった。

Friday, 21 November 2025

僕の信州ライフ(2)

 山で暮らしていると、都会にないサプライズがある。その一つが動物である。誰かに飼われているようなキジは、キーキーと煩く鳴いて歩き回っている。アライグマは可愛いお尻を振りながら去って行く。昔はよくサルもやってきた。サルは群れで行動する。いつぞや自宅のベランダに10匹程居座り、長い間対峙した事があった。

シカは寒くなると現れるが、ひと気を感じると直ぐに逃げてしまう。ただ先日車を走らせていたら、突然大きいシカ2頭が目の前を横切った。急いでブレーキを踏んで、泡やの衝突を回避した。

昨今各地で出没の熊もいる。ここの熊はGPSが付いているので、近くに現れそうになるとアンテナを持った循環員の人がやってくる。例外もあるので、犬の散歩の時は鈴を鳴らしている。

動物だけでなくヒトも少し違う。先日とあるオープンゴルフコンペに参加した時だった。同じ組で廻った人が、何を思ったか池に休むシラサギを追い払っていた。流石これには他のゴルファーも眉を潜めたが、後でその人はブドウ園の人だと分かった。職業柄とはいえ、これがまかり通る土地柄である。

狭い社会ながらの排他性もある。コロナの時に、他県のナンバーの車がよく被害にあった。本当に住んでいる人向きに「県内に住んでいます」のステッカーが売っていたが、勿論馬鹿らしくて買わなかった。

また近所でコロナに感染した人が出ると、投石や嫌がらせも出た。止む無く村を出て行った人もいたと聞き、田舎生活の難しさも知った。

Tuesday, 18 November 2025

エデの話

A.デュマの「モンテクリスト伯」は、読み直す度に新しい発見がある。物語はフィクションだが、所々に史実を織り交ぜているから、今でもその旧跡に触れられる。

例えばダンテスが10数年に渡って投獄されたイフ島がある。マルセイユ沖に浮かぶその島には、観光船で牢獄を見に行ける。訪れた人はダンテスとファリア神父の交流に思いを馳せるのである。そして今回もう一つ、出逢ったのはギリシャの城塞町のイオアニナ(Ioannina)であった。

ダンテス(モンテクリスト伯)の復讐劇には3人の男が登場する。その一人がフェルナンという元漁師である。彼はダンテスに無実の罪を着せた上に許嫁を奪ってしまう。そしてナポレオン戦争のドサクサに紛れて出世し、伯爵に上り詰めた。ただその陰には非道な軍歴があった。

場所はギリシャ北部のイオアニナである。土地の首領だったオスマン帝国のアリ・パシャは、15カ月に渡る抗戦の末に降伏した。ただ命は保証されたので出ていくと、司令官だったフェルナンの裏切りにあって殺害されたのである。

たまたま昨年のギリシャ旅行でその町を訪れた。迷路のような下町を抜けると、湖を望む高台にそのアリ・パシャのお墓があった。その時はまさか彼が物語の重要人物とは知る由もなかったが・・・。

ダンテスは残された娘を見つけ出し、身近に置いて復讐に備えた。そして機が熟すとパリで、娘の口からフェルナンの裏切りを告白させ、彼を破滅に導くのであった。

彼女の名前はエデ、絶世の美女としてパリの社交界でも話題になった。最後はダンテスと新たな旅立ちをする処で物語は終わるのだが、高貴でエキソチックな装いに、読者をして不思議な高揚感に誘うのであった。

Tuesday, 11 November 2025

僕の信州ライフ

早いものでもう立冬である。東京にいると季節感に疎くなるが、信州は暦通りである。昨年はその立冬(11月7日)に浅間山の初冠雪があった。今年は3日早かったが、先人の季節感覚と暦の正確さに驚かされる。

寒い時には、何といても温泉に浸かるのが一番である。家から30分程山に登った処に小さな秘湯がある。勿論源泉かけ流しである。特に予定のない日には朝から入る。最初は冷え切った手足がピリピリとして痛いが、暫くすると慣れてくる。山の中の露天なので、熊でも出てきたらどうしようかと心配しながら・・・。温泉に入ると夜になっても身体が暖かい。


家の暖はもっぱら暖炉で取っている。前年に仕込んだ丸太を斧で割って込めている。新しい木だと空気が弾けてパチパチと危ないし、火の着きも良くない。今年は昨年近所から沢山貰ったストックがあるので何とか凌げるだろう。ただ来年の事を思うと、そろそろ仕込まなくてはならない。チェーンソーは事故も多いので用心しながらやるが、全て生存本能が源になっている。

温泉が外なら内から温めるのが一日を締める晩酌である。五臓六腑に染み込む熱燗はまた格別である。ただ(叱られるかも知れないが)長野の酒は遠藤酒造や真澄は別にして余り美味しくない。やはり兵庫、京都、新潟の方がいい。原酒は冷たいが、菊水酒造の「五郎八」の濁り酒は、誰もが季節を感じる人気酒である。直ぐに店頭から消えてしまう。

信州の人々は空気がいいから平均寿命は長い。ただ健康寿命は短いと言われる。何処に行くの車を使う為である。また普段山間部に住んでいるせいか、会話も至って単刀直入である。そんな気遣のない話し方に時々驚く事もある。ただこれも厳しい自然の中で生きる土地柄だと、段々分かって来た今日この頃なのである。

Friday, 7 November 2025

WS第7戦

 WS第7戦、ドジャースが劇的な勝利を得た。途中まではブルージェイズがリードして、もう駄目かと思って諦めていた矢先だった。9回1点のビハインドからロハスがHRで追いつき、10回スミスのソロHRで初めてリードし逃げ勝った。

MVPに輝いた山本投手も然る事ながら、ロハスの本塁送球やヘルナンデスの捕手など、完ぺきな守備で勝ち取った奇跡であった。

第1戦から見ていて、ポイントは第3戦だった気がする。18回延長の末に、フリーマンのサヨナラHRでドジャースが競り勝ち2-1とリードした。ただあの時のドジャースには、優勝したかのような高揚感が出てしまった。これは良くなかった。実際その後第4戦、5戦と敗れてしまうのだったが、最後でよく持ち直したと思う。

そんな中で優勝の式典だったか、大谷選手が「来季の準備を・・・」みたいな挨拶をしていたのが印象的だった。心は既に来季の優勝へ、その切り替えの早さに異次元の凄さを感じた。

ともあれ、改めてスポーツの感動に酔った一週間だった。日本人の三人に1人はリタイア―組だから、朝からこの試合を見ていた人たちは多かった。飲み屋に行ってもゴルフ場に行っても、その興奮は抑えきれず解説者になっていた人が何と多い事か!誠に平和な国である。

選手の集中力と勝利への執念、仲間への信頼と団結、勝利の女神の微笑みなど伝わって来て、グッときた一週間であった。

Sunday, 2 November 2025

小泉セツの物語

 NHKの朝の連続テレビ小説「ばけばけ」が始まった。まだ観てはないが好評を博しているようだ。主人公は小泉八雲の妻セツである。

小泉八雲については、以前松江にある元住居の記念館を訪れた事があった。その時は左程気に留めなかったが、昨年の夏、彼が生まれたギリシャのレフカデ(Lefkada)島を訪れてから、急に身近な人になっている。

帰ってから早速怪談シリーズを読んでみたが、中々よく書けていた。特に面白かったのが「むじな」である。ある時男が歩いていると、女がしゃがみ込んで泣いていた。「どうした?」と聞くと女が振り向き、目も鼻もないのぺらぼうだったのでビックリ、男は近くにあった蕎麦屋に飛び込んだオヤジに事情を話そうとすると、「こんな顔ですかい?」とそいつものっぺらぼうだった話である。

中学生の頃だったか、英語の教材にこの話が出て来た。MujinaやSoba seller(蕎麦屋)の英語に何かしっくり来なかった記憶がある。やはり日本の話は日本語で、今回改めて翻訳の素晴らしさも感じた。

処で彼の本名は生まれ故郷の島の名前を取って、ラフカディオ・ハーン(Kafcadio Hearn)である。島に渡るのには、回転式の浮き橋とモン・サン・ミシェルのような細い陸路を通る。島の入り口には胸像が建っていたが、美しい漁村だった。

彼の父親はアイルランド人の軍医で、駐在した時に島の娘と結婚して彼が生まれた。母親は地元のギリシャ人で、アラブの血も混じっていたという。そのコスモポリタン的な出自が、日本をして第二の郷里になったのも分る気がした。

勿論怪談などの情報源はセツだった。普段はご無沙汰している朝のテレビ小説だが、これを機会に観てみてもいいかと思っている。

Saturday, 1 November 2025

台湾有事には

高市さんが首相になり、外交で好スタートを切っている。トランプとの日米交渉も予想以上で、つくづく石破さんでなくて良かった。来週からの国会が本番だろうが、やはり国のトップは国民を代表する顔と品格、そして元気なエネルギーが大事だ。

そんな中、APECで日中首脳会談が行われた。相手は安倍さんの頃から続く習近平だったので、とても四つに組む処までは行かなかった。それは仕方ないにしても、また先方は台湾問題に釘を刺してきた。

実はその台湾だが、かつては日本の一部であった。真珠湾の時の電報「ニイタカヤマノボレ」も、富士山を凌ぐ台湾の新高山(現在は玉山)であった。人々はとても親日的で、昔とある外交官が「ここに骨を埋めてもいい」と語っていたのが印象的だった。

しかし個人的には台湾有事と日本有事ははっきり分けるべきだと思っている。それは1910年行われた韓国併合の反省から来ている。あの時の韓国は清の属国であった。清国も2年後に崩壊する末期で弱体化していた。何より(日露戦争に負けたとは言え)ロシアの脅威に晒されていた。

韓国はそんな状況下、日本に助けを求めてきた。その結果、日本は併合してインフラ投資を行い、教育制度や戸籍制度も整え、今まで名前しかなかった中で姓も与えたのであった。だから今の韓国の人には感謝されこそすれ、反日なんてとでもない話だと思っている。

ただ「韓国が落ちれば日本も危ない」の発想は、今の「台湾が落ちれば日本が危ない」と同じ論理である。地政学的にはどちらも隣国かも知れないが、長距離ミサイルの時代にあって、状況は当時と随分と変わっている。

歴史、特に戦争は繰り返してはならないなら、「台湾有事に日本やアメリカは関与してはならない」と思っている。酷なようだが、台湾は台湾自身が守るべき話である。それが(私なりに)先の戦争から得た教訓になっている。

Thursday, 30 October 2025

ルーブル美術館の強盗

 先週ルーブル美術館に強盗が入った。犯人はマリー・テレーズの首飾りなど9点を奪って逃げた。被害額は88百万ユーロ(155億円)というから大変な額である。

BBCによると「盗難品は既に分解された」という。だから犯人が捕まっても、原物を取り戻すは難しいと言う。本当に大事な宝石は、フランス中央銀行の地下26mの金庫に移しているらしいが、これから一般展示の仕方も少し変わるかも知れない。

尤もルーブル自体が盗難・略奪品で埋め尽くされているから、同情にも限りがある。有名なミロのビーナスやサモトラケのニケも、ギリシャから持ち帰っている。もしこれが長崎の対馬列島で盗まれた仏像のように、犯人が被害国の関係者だったら話が拗れるかも知れない。

処でパリ郊外のクリニャンクール(Clignancourt)に大きな骨董市がある。高価なアンティックからブロカントと呼ばれるガラクタまで、多くの店が軒を連ねていて、一日居ても飽きない場所である。その市は、別名泥棒市とも呼ばれている。

パリでは泥棒が多いから、いつも「これって盗難品じゃないか?」と疑っている。商品の仕入れは、オペラ座に近いドゥルオー(Drouot)通りにある競売場で行われる。毎日ジャンル別のセリが行われ、中には遺留品を一括出展するケースもある。

誰でも参加できるので、私も何回か手を挙げてみた事がある。落とすと直ぐにその場で支払いを済ませてモノを受け取れるので、とても簡単だ。

その骨董市は蚤の市(marche aux puces)と呼ばれている。正に読んで字の如しである。日本で定着している呼び方も、フランスが発祥のようだ。

Wednesday, 22 October 2025

モンテ・クリスト伯の復讐劇

そのサルコジ氏の収監の際に、持ち込んだ本が話題になっている。許された三冊の内、一冊がアレキサンダー・デュマの「モンテ・クリスト伯」だったという。本書は長編で文庫7冊にもなるが、何度読んでも飽きない古典である。確か皇太子様(今の天皇陛下)も昔、同じような事をおしゃっておられた。

物語はフランス革命を背景に、ぬれ衣を着せられダンテスの復讐劇である。孤島の刑務所から脱獄する件もあるので、今回もそれと重ねる人もいたが、流石にそれはないにしても、やはり「これか!」と思った。

復讐劇は洋の東西を問わず痛快である。シドニー・シェルダンの「ゲームの達人」や、日本なら差し詰め「忠臣蔵」であろう。特に日本の場合は、無念を自らの命を賭けて晴らす処が凄い。

処で最近では、トランプ大統領の復讐劇が話題になっている。嘗ての議事堂襲撃で自身を追い込んだのFBIの検察官や長官や、側近だったボルトン補佐官などへの報復に出ている。物凄い執念を感じるが、権力を盾にしているのであまり快くない。

そういう事で秋の夜長、サルコジ氏に肖って「モンテ・クリスト伯」をまた読んでみる事にした。来月はその映画も日本で公開されるようで楽しみだ。

Saturday, 18 October 2025

サルコジ元大統領の収監

大相撲のロンドン場所が披かれている。連日満員だそうで、力士を囲んでの記念撮影の盛り上がりが伝わって来る。ただこれは日本の報道で、本当に受け入れられているのか、よく分からない。

昔大相撲のパリ公演もあった。1995年10月だったが、フランスの核実験に反対した日本への腹いせに、化粧まわしが入ったシャルル・ドゴールの空港倉庫に放火される事件があった。相撲は日本の象徴だけに政治的なターゲットにもなり易い。今回は無事に終わってくれればいいが・・・。

処でひと昔前までは、「油で固めたポニーテール」と呼ばれたちょんまげと、フンドシ姿の裸男は低く見られた。ちょんまげは岩倉具視の欧州使節団で嘲笑されたので、アンシャンレジームの象徴でバッサリ切ってしまった。未だに温泉や銭湯でも、裸を他人と共有するのを恥ずかしがるのが欧州人である。

余談になるが、バブルの頃に日本の会社はヨーロッパにゴルフ場を作った。シャワールームの中央には、当然大きな風呂が備え付けられた。ただその国の文化に浸ってくると、日本人でも不思議に恥ずかしい気持ちになって入れなかった記憶がある。

必ずしも快く思っていなかったヒトの一人がサルコジ元大統領であった。彼は親日家のシラクさんから跡を継ぐと、それまで定番だったフランス国大統領杯を廃止してしまった。シラクさんは愛人が日本にいたとの噂が絶えなかったので、その当てつけにしても、あれはショックだった。

そのサルコジ氏が先週収監された。何やらリビアのガダフィ大佐からの多額の贈賄を得たとかで、フランスの元大統領としてはペタン氏に次いで二人目とか。ペタン元大統領はドイツの傀儡政権のお飾りで仕方ないにしても、これはとても不名誉な事である。サルコジ氏は昔から化粧品のロレアルのオーナー女性からの多額の資金提供も問題になっていたので、伏線があったのかも知れない。

Tuesday, 14 October 2025

川崎のストーカー事件

暫く前だが、川崎市でストーカーによって若い女性が殺害される事件があった。女性は事前に警察に何度か相談していたが、真面に警察では取り合わなかったという。流石に事件後、「捜査は不適切だった」のコメントが出されたが、時すでに遅しである。

ところで最近、近所で枝が折られる事件が発生した。4軒の家が被害に逢った。いつもは静かな町内だが、この時ばかりは奥さん達が集まり、「誰が何のためにやったのでしょう?」と大騒ぎになった。

早速「警察に報告しましょう!」になり、大挙して最寄りの警察署に押しかけた。ところが事情を話すると、「それは偶然ぶつかって折れてしまったかも知れません」、「ビデオの映像がないと、捜査する訳には行きません」、「区役所に相談して防犯カメラ設置を頼んだらどうでしょう」と言う。極めて消極的な対応で、一同肩透かしにあった気分になった。

結局各々の家で防犯カメラを設置する事で、今後に備える事にした。そこで思い出したのが先の川崎市の事件だった。きっとその女性も、こんな感じで遇らわれたのだろうと・・・。

警察が忙しいのも分かる。いちいち苦情が寄せられるたびに捜査本部を置くのも大変だ。ただ市民からすると、だからといって頼みになるのは警察を置いて他にいない。場合によっては命にも関わる。頼みにしていただけに今回の無力感は大きかった。

Wednesday, 8 October 2025

入試問題にチャレンジ

歳を取ってくると容姿は衰え、病気やお金の心配も募る。誰でも「歳は取りたくないなあ!」の気持ちになる。これからの人生もまだまだ登り坂で、それも坂は益々きつくなるから大変だ。

一方で自分の歩いて来た人生を振り返るのは、山の上から地上を見下ろすようで楽である。これこそ正に年寄りの特権かと思う。もう亡くなってしまったが親戚の叔父さんは晩年、家系図作りに精を出していた。「自分とは何者なのか?」、その探求は歴史好きの人には堪らなかったらしい。

学生時代にスリップする人もいる。大学受験で一発合格を勝ち得たW君は、当時の試験問題にチャレンジしたという。わざわざ国会図書館まで出かけ、入試問題をコピーして持ち帰って試してみた。半世紀を経て同じ問題に対峙し、結果は「とても無理!」と笑ってしまったという。

その話を聞いて、私もW君に肖って専門だった経済学の教科書を取り出してみた。昔書き込んだメモや下線が残っていたが、消費と投資需要、ケインズ型消費関数やハロッド・ドーマー・加速度原理など、およそ現実の世界も知らずに分かるはずもなく当時を哀れんだ。どうやって単位を取ったのか、本当に信じられない思いである。

処で(何度もこのブログで書いたが)、好きな映画に「心の旅路」がある。忘れていた記憶を辿る内に、過去の自身に出逢う感動作である。英語のタイトルはランダム・ハーベスト(Random Harvest)である。「少しずつ刈り取る」の意味かと思うが、茨の人生を振り返って、(その殆どは失敗ばかりだったが)後悔と反省を肴に楽しむ今日この頃なのである。


Tuesday, 30 September 2025

林さんの失言

自民党の総裁選挙が迫っている。小泉さんと高市さんがリードしているようだが、個人的には林さんがいいと思っている。豊かな経験と温厚そうな人柄で、安心して任せられる気がする。

その林さんだが、先日「2万円の支給は私だったらやらない」と失言して問題になった。本人は直ぐに発言を撤回したが、評論家の田崎史郎さんによると、「夜の番組だったので、一杯は入っていたのじゃないかな?」と勘繰っていた。

酒が入るとヒトは饒舌になる。今はセクハラで干されているキャスターの反町さんも、明らかに普段と違う様子の時があった。自分で勝手に盛り上がっている雰囲気に、「彼は飲んでるな?」と確信した。見る人が見ると分かるのであった。

もう夜の付き合いも無くなったが、若い頃は毎日のように飲みに行った。酒の失敗も一つや二つでは済まない。だから飲めない人を見ると、真面目な人に映るから困ったものである。

今の若い人はあまり飲まないらしい。会社の宴会も少なくなったようだし、ビール会社もノンアルの売り上げが伸びているという。もうストレスをアルコールで解消する時代ではないのかも知れない。

Friday, 26 September 2025

限界効用逓減の法則

経済学の理論に「限界効用逓減の法則」がある。「同じ財を繰り返し消費するほど、追加で得られる満足度は次第に小さくなる」消費の原理である。

よく引き合いに出されるのがビールの味である。最初の一杯に比べ、二杯目に味わう感動は少なくなる。三杯目となると更に落ち、後は惰性状態に陥る例である。

男女の仲もそうだ。最初に会った時は新鮮だが、次第にほとぼりも冷めていく。そして三年目の浮気を経て、きみまろの言う「あれから40年」の世界に入っていくのであった。

同じものを食べても、見たい映画を観ても、好きな旅行に行っても、その感動は段々薄れていく。まあ歳だから仕方ないかと諦めているが、この効用逓減の原因の一つが、変らぬ消費性向である。

例えば食べ物だが、(私の場合は)寿司やトンカツが好きなので、迷うとその店に入ってしまう。本や映画も歴史物が好きだから、決して鬼滅の刃みたいなアニメや恋愛ものは観ない。(連れ添った伴侶は仕方ないにしても)同じ事ばかり繰り返していれば、感動が逓減するのは当然であろう。

一方で「収穫逓減の法則」もある。「同じ土地に改良を加えて収穫量を増やそうとしても、その増加量は次第に少なくなる」生産側の原理である。

飲食店で味の改良をしてお客が増えても、自ずと客席は限られているので販売額は頭打ちになる。自動車会社が同じ車を売り続けても、販売数はどこかで伸びなくなる。だから生産者は消費者が飽きないように、店を改装したりモデルチェンジを繰り返すのである。

この成長の波はとても大事で、それに乗る事が唯一の抗生剤かと思っている。例えばiPhoneの使い方であるが、何年か前に覚えたLINEや、先日もAirDropなる機能を知った事は大きかった。食べ物も新しい店がオープンしたと覗いて行くと意外な発見があるものだ。

着るものはもっと大事である。高いお金を出す必要はないが、常にオシャレに気を付けて新しい服を着ると身が引き締まる。哲学者サルトル曰く、「人は他人に見られて初めて自身の存在を得る」からである。

何の事はない、オシャレをして街に出て店を廻り、企業努力の恩恵に預かればいいのである。そうすれば逓減して横ばいになっていた効用も、少しは右肩上がりになるかも知れないのである。

Wednesday, 17 September 2025

ヨーロッパには熊がいない

毎日のように熊による被害が報告されている。山道で遭遇するだけでなく、最近では家のガラスを割って入ってくるそうだ。幸いそんな怖い思いをした事はないが、ヒトとの共存を考えさせられる。

熊の本物と出会った事はないが、グレゴリーペックの「小鹿物語」やディカプリオの「レヴェナント」の映画を見て、代替実感している。特に前者の犬との格闘シーンはどうやって撮ったのか、白黒だけに迫力があった。

そんな矢先、友人のYさんと話していたら、「ヨーロッパには熊がいない」と言う。山歩きを趣味としているYさんは、だから夏になると安心してヨーロッパアルプスのハイキングをするという。

本当かと思って調べてみたが、確かに英国、ドイツ、フランスなどでは絶滅して生息していなかった。ただロシアは国のシンボルだから勿論多いし、北欧にもいるから、正しくは「西ヨーロッパには熊がいない」であった。これは意外だったが、考えてみればサルもそうだった。

日本に来てサルが温泉で寛ぐ姿を見に来るのは、決まってヨーロッパの人である。「何でわざわざそんなサルを?」と思っていたが、サルは熱帯地方の生き物で、ヨーロッパには生息していないようだ。今ではサルは日本の立派な観光資源である。熊も工夫次第によっては、射殺されない第二の人生があるかも知れない。

ところでF・フォーサイスの短編小説に、「アイルランドにヘビはいない」がある。インド人の青年が元上司のアイルランド人に復讐しようと、インドからヘビを持ち込んだ。ヘビの毒牙で復讐には成功するのだが、アイルランドにはヘビが生息しない処から、犯人が分かってしまう話だった。ヘビは何処にでもいるかと思っていたので、これも意外だった。


Thursday, 11 September 2025

ガソリン税について

随分前から、ガソリンの暫定税率が問題になっている。「暫定」というなら恒久的に続くのはおかしいし、また消費税との二重課税もどう考えても腑に落ちない。暫定部分の25円/lが下がれば消費者にとってはとても助かる。ここは野党に頑張ってもらいたいと思っている。

その二重課税は、探せば同じような例は他にもある。例えば株式の配当金だが、配当は投資家が受け取る際には20%の源泉が差し引かれる。ところが支払う企業サイドでも、既に純利益に対して所得税を支払っているので、二度払いではないか?と思う。課税対象が異なるという理屈かも知れないが、何か癪全としない。

年金への課税も同様である。そもそも年金は現役時代の給与の積み立ての取り崩しである。給与は既に所得として課税されたので、これも二度払いの気がしている。

そうは言っても税制は国の柱、盤石を支える尤もらしい理屈があるのだろう。パズルのように一つ駒を動かせば全体に波及するから、中々専門家でないと踏み込めない世界である。自民党税調の宮沢さんに、素人議員が簡単に返り討ちに遭うのも分かる気がする。ここは政府(役所)を信じるしかないと正直半分諦めている。

ところで余談だが、高い高いと思っていた日本のガソリンは、ヨーロッパを旅してみて、随分と安い事が分かった。例えばスペインだと、レギュラーで1.8ユーロ/l(円換算すると300円/l)もした。東京で165円、長野でも180円程度だから、半分とまでは行かないまでも、日本はこの円安の時代においてかなり頑張っているのであった。

Tuesday, 9 September 2025

ケーブルカーの事故

先週リスボンでケーブルカーが脱線する事故があり、乗っていた乗客14名が死亡した。2カ月前に、同じ路線のケーブルカーに乗ったばかりだったのでゾッとした。

リスボンのケーブルカーは、日本の都電をひと回り小さくした大きさである。黄色のレトロ感が何とも可愛らしく、16世紀の古い街並みによくマッチしている。だから乗客は寿司詰めでも、遊園地の乗り物に揺られているような感覚になる。

車両は建物に衝突して止まったようだ。そのまま下まで突っ込んでいたら、大通りを走る車を巻き込んだ大事故になっていたかと思うと、それだけが不幸中の幸いであった。

リスボンだけでなく北大西洋に面するイベリア半島の町の多くは、そんな起伏の激しい岩山に築いている。日本人から見ると、それはとてもダイナミックで力強い。岩山は海に向かって落ち込んでいるから、もう後がない感覚である。逃げ場のない土地に住む民族が、海に活路を見出したのは容易に想像できた。

Thursday, 4 September 2025

鴨居玲とラ・マンチャの町

TVの「開運!なんでも鑑定団」は面白い番組だ。時々見ているが、いつも鑑定結果にビックリ意気消沈する喜怒哀楽が、何とも人間臭くていい。作家と作品を巡る蘊蓄も素晴らしく、「改めてお宝を見てみると・・・」の件まで来ると、一つ勉強させてもらった気分になる。

ところで最近、再放送だったらしいが、鴨居玲という画家の作品が出されていた。薄暗い女性を描いた作品で、取得額の300万円に対し1000万円の評価額が付いて会場騒然となった。
鴨は「自分の滅びゆく自画像」をモチーフにする画家という。内面の葛藤は嘸かし激しかったようで、素人が見ても嘸かし迫力ある生き様が伺える。

気になったので調べてみたら、彼は若い頃、スペインのバルデペナス(Valdepenas)で2年に渡りアトリエを構えていた事が分かった。バルデペナスといえばラ・マンチャ地方の町で、この夏に泊まったばかりだった。ただあの太陽が煌々と降り注ぐ土地から、どうしてかくも暗く陰湿な作品を描くようになったのか?こればかりはとても不思議である。

バルデペナスは人口3万人程のワインの町、スペイン屈指のテーブルワインの産地とあって、街に入る街道にはワイン樽がオブジェとして並んでいた。町の中心地には歴史を感じさせるバールがあって、タップから注ぐサングリア風が土地柄を物語っていた。鴨も毎日これを飲んでいたのだろうか。

Thursday, 28 August 2025

終戦80年に寄せて

先の8月15日は終戦80年という。戦争を体験した世代が段々いなくなってきて、戦争を知らない世代の時代になってきた。昔は「日本の一番長い日」など、太平洋戦争のTV映画が放映されていたが、最近はそれもなくなった。

戦争を知らない世代が多くなると、政局にも如実に反映される。先の参院選挙で参政党が躍進したのはその表れだろう。最近はドイツのAfDやフランスのRN(元FN)などの極右がいるので、正直日本でも時間の問題と思っていた。やっと出て来て票が集まったのは時代の趨勢だった。

それにしても明治の開国以来いろいろあったが、日本というか日本の先人が列強を相手に「良く頑張ったくれた!」と、つくづく畏敬と感謝の念を持つのである。

まず対アメリカである。ペリーの黒船で開国してしまったが、幸い本国で南北戦争が起きてくれたので、その脅威が去ったのはのはラッキーだった。代わりに来たのがロシアだった。対馬の租借請求から始まって、(緩衝地帯の)中国大陸を南下して日本に迫った。

最初は日清戦争だった。表向きは清国と日本の闘いだったが、実態は朝鮮を属国とする清国と独立を望む朝鮮、それを後押しする日本の闘いだった。日本も清国もロシアの脅威が背後にあったから、正に日露戦争の前哨戦だった。

その勝利で割譲されたのが満洲の一部などであった。よく「満州事変や国際連盟の脱退が太平洋戦争を招いた」という議論がある。しかし時は列強が集う植民地時代、アジアもオランダがインドネシア、英国がマレーシアと香港、アメリカがスペインからフィリッピンを譲り受け、フランスはベトナムを持っていた。何故日本だけが許されないのか、今同じ局面に対峙しても、(今の若い人も含めて)同じ決断を下すかも知れない。

特にロシアは当時10倍以上の国力格差があった。その中でまだ近代化して50年も経っていない日本が勝利を収めたのは奇跡に近かった。仮に日露戦争で負けていたら、日本(や韓国)は極東のウラジオストックになっていただろう。社会主義化で魚屋も八百屋も国有化され、私もこうして好き勝手に旅行する事もなかっただろう。

だから時の首相が又「反省」なんて、軽々しく言って欲しくなかった。国際的には靖国参拝も含めて差したる反応もなかったのが不幸中の幸いである。(いつも思うのだが)反省するであれば「一体そのどの部分なのか?」、特に政治家なら猶更はっきりしてもらいたい。

日本の外国との戦争は、今まで全て受け身であった。「ここままだったら国が危ない!」の動物的な生存本能だけでやってきたと言っても過言ない。そもそもロシア人や欧米人は弱肉強食の狩猟民族である。真珠湾の時もアメリカ側は電報は全て傍受していて、開戦の日時を知っていた。日本が先に手を出すのを待っていたのは今や公然とした秘密である。これは本当に恐ろしい。

「(戦争は)二度と繰り返しません」と広島の碑に書いてあるが、読み方は様々だ。私なら「(敗戦)は二度と繰り返しません」になる。「(戦争はしないようにしますが)その時は先人に習う」の心境である。

Friday, 22 August 2025

ウクライナと韓国併合

 ロシアとウクライナの戦争が転機を迎えている。トランプは自身のノーベル平和賞と引き換えに、ウクライナの領土割譲を志向している。国土は人の命そのもの、一度譲歩すれば更なる試練が待っている。それは歴史が証明しているし、況や個人の勲章とバーターは論外の気がする

ノーベル平和賞と言えば、(我々の世代ではないが)ポーツマス条約の仲介で受勲したルーズベルト大統領がいた。日露戦争の戦後処理を巡り、アメリカの東海岸で行われた賠償交渉である。日本からは小村寿太郎が主席で参加した。吉村昭の名著「ポーツマスの旗」にその件が詳しく書かれていたが、結果は日本が多くの犠牲を出しながら、一銭の賠償金も取れずに終わった。ルーズベルトは場所だけを提供して平和賞を得たのであった。

そもそも日露戦争は、日清戦争後の間隙を縫ってロシアが仕掛けてきた戦争である。当時は「オソロシア」なんて言われ、日本との国力の差は今の想像以上だった。本当に「先人は頑張ってくれた!」「あの勝利がなかったら今の日本はない!」と感謝しかない。

処でプーチンというかロシア人が、「何故そこまでしてウクライナに拘るか?」今まで中々分からなかったが、最近ふと思った節がある。それは日本と韓国の関係、特に韓国併合である。

日本は1910年に韓国を併合をした。今でも韓国人はそれに大きな抵抗感を持っているようであるが、当時の韓国は清朝の属国であった。今風に言えば地政学の緩衝地帯だったので、韓国人は清国に従属するか、日本に付いて独立するかを選択しなくてならなかった。結果は日本の明治維新に感化され、独立に呼応した人が日本を選んだ。

今の韓国は言うまでもなく、立派に成長した独立国である。ただ仮に(昔あったように)北朝鮮が中国と共に攻めてきたら、その時日本はどうするのか?アメリカの要請で、一時的に韓国の保護を司る事はないのだろうか?歴史は繰り返すと言うが、兄弟(兄は日本で弟は韓国)の時代もあったし、日本人からしてもあまり抵抗がない部分の気もするのである。

尤も韓国はウクライナと違って資源(魅力)がない国である。そんな国を守ってどうするという議論もあるし、何よりそれは韓国人のプライドが許さないと願っている。

ロシアがウクライナを旧一体国と感じるのは時代錯誤である。この思い込みを誰がどうやって、修正解消するのか本当に大事だと思う。ウクライナが落ちれば、次はポーランドか国境を接するバルト三国である。今とても大事な時に差し掛かっている

Friday, 15 August 2025

科捜研のカラス

しばらく前に、カラスの連続不審死があった。朝起きると家の前の道路に、死んだカラスが横たわっていた。次の日もそしてまた次の日も、時には二羽、中には息も絶え絶えのものもあった。

カラスを快く思っていない人は多いから、そんな人が毒を盛ったのだろうか?近所でも大騒ぎになり、私服の警察官がやって来た。 彼は「誰かがどこかで殺して、ここまで運んだ可能性もある」という。そう言えば不審な車が止まっていた事を思い出し、流石プロの観察は違うと感心した。それにしても一体誰が何のために・・・?

「電線に触れて感電死したかも知れない」というので、東京電力もやってきた。ただ調べたがその形跡はなかった。そうこうしている内に、念のため一羽を検査してみることになった。テレビでも有名な科捜研だったが、結局化学物質は発見されなかった。

めったにない怪事件に、近所の井戸端会議は盛り上がった。サリンのような猛毒だったら人への影響もあるし、子供が触ったら感染するとか、心配は募る一方であった。そして「仮の防犯カメラを設置して様子を見てみましょう」という事になった。 

しかしその防犯カメラをきっかけに、パッタリと不審死が止まった。やはり近所の誰かが見ていて危険を悟ったのだろう、という結論になった。

昔は八咫烏と言えば神話の象徴、守り神だった。それが今では嫌われ者になっている。石原慎太郎さんが「キドニーパイにして食べちゃえ」みたいな冗談を言っていたのを思い出す。気持ち悪い出来事だったが、こんな事で町内が大騒ぎする平和な日本なのであった。

Sunday, 10 August 2025

ピンチョスとガストロノミー

最後に食の話で〆としたい。旅はいつも緑ミシュランを片手に、レンタカーで名所旧跡を廻るスタイルである。その為、宿やレストランも行き当たりばったりになる。ビールとワインさえあれば、必然的に食は二の次である。大好きなスパゲティボロネーゼなら毎日でも大丈夫である。

そうは言ってもスペインは食の宝庫、友人が楽しそうに語っていたサン・セバスティアンのバル巡り前評判通りだった。旧市街の狭い路地には、昼から営業しているバルが犇めいていた。フランスパンの上にオリーブ味の魚貝が乗ったピンチョスや、タパスと呼ばれる小皿料理も視覚的にも楽しかった。

特にそのピンチョスが美味しかったのが、ブルゴス(Burgos)というカスティーリャ時代の首都であった。偶然入ったバルがミシュランの星付きで、ムール貝やシャンピニオンのピンチョスやカニスープなど、それは美味かった。

またラ・マンチャ地方にバルデペナスというワインの集積地の町に泊まった時だった。広場のバルでビールを頼むと、イワシやサラミのピンチョスが付いて来た。暫くして常連客は、タップから注ぐワインを注文するのに気付いた。早速頼んでみるとそれはサングリア風で、お蔭でその軽いタッチがラ・マンチャの風景とセットになっている。

「ポルトガル料理は不味い」の先入観もあった。やはり干したタラを練ったコロッケはパサパサして、どうしてレモンを掛けないのか不思議だった。ただ土地柄魚貝はとても新鮮で、特にリスボンの魚市は素晴らしかった。

Wednesday, 6 August 2025

リカルドのユダヤ人祖先

 トランプ関税でよく話題になるのが、リカルド(David Ricardo)の比較優位論である。比較優位性の高い産業に特化して、低い分野は他国から輸入した方がトータルで利益を得る考えである。賃金や物価が高いアメリカで、これから自国生産に舵を切るの発想はとても尋常とは思えない。

そのリカルドは古典派経済学の大御所であるが、父親はオランダから英国に渡ったユダヤ人であった。先日ポルトガルに行って分かった事だが、オランダのユダヤ人の祖先はポルトガル人だった。

レコンキスタ(イスラム排斥)が終わった15世紀のイベリア半島では、キリスト教による国家統一が始まった。そこで問題になったのがユダヤ教であった。1400年後半に異端審問所が作られ、ユダヤ教の取り締まりや隠れキリスタンの発掘が始まった。

ポルトガルもその例外ではなかったが、航海に欠かせない天文学や、金融の中枢を担うユダヤ人が抜けて国力が低下したスペインを見ていたので、最初は黙認していた。しかしスペインに遅れる事50年、その異端審問所が出来ると様子が一変し、ユダヤ人は一掃されたのである。

国を追われ、亡命先はスペインと対立していた新興国のオランダが多かった。その中の一人がリカルドの祖先であった。

今の世界経済は比較優位論が通用する程単純ではないが、赤字を保護主義で補うのは昔の話である。移民政策も(ユダヤ人を)排斥すると国力が低下した歴史に学ぶべきだ。

Sunday, 3 August 2025

セルバンテスとレパント海戦

スペイン中部のラ・マンチャ(La Mancha)地方は、ドン・キホーテ(Don Quijote)一色だった。何処に行っても、土産物屋にはロシナンテに乗るドン・キホーテとサンチョの人形があった。著者のセルバンテスが泊まった宿も小さな博物館になっていて、マドリッドからのツアー客がそこでお茶を飲み、近くの風車群を廻っていた。

400年経っても色褪せない古典の力は凄いものがある。、英国のストラトフォード・アポン・エーボンはシェークスピア、軽井沢の堀辰雄もいたが、凡そその比ではないだろう。

セルバンテスは24歳の時にレパント海戦に参加した。結果は負傷した挙句、オスマンの捕虜になり、帰国してからも新天地アメリカへ願いも却下されて左遷になった不運な人だった。ただその失意と貧困がユーモラスな「ドン・キホーテ」を生んだというから、何が幸いするか分からない。

昨年ギリシャを廻った時、レパント海戦の舞台になったコリント湾(旧名レパント湾)を通った。もしこの一戦でスペインが破れていたら、長年頑張って来たレコンキスタも水泡に帰して、イベリア半島はまたイスラムに逆戻りしていたかも知れない。広い海峡には、本土とペロポネソス半島を繋ぐ全長で3kmもする見事な橋が架かっていた。

折角なので、その「ドン・キホーテ」を図書館で借りて読んでみた。スペイン文学の権威、牛島信明氏による新訳でとても読み易かった。風車や羊の群れに突っ込み、醜い下女を姫と慕い、カネは持たない騎士魂と宿のオヤジとのトラブルなど、今風にも通用するコミカルさがあった。ただ如何せん長編で途中で飽きが来てしまった。

ドン・キホーテと聞けば、渋谷のディスカウントショップを思い浮かべる時代である。本物に触れて少し軌道修正された。


Friday, 1 August 2025

モスクワ上空を飛ぶ

ロシアとウクライナの戦争が始まると、日本からヨーロッパに行く飛行機のルートが変わった。今までロシア上空を通っていたのが、行きはアラスカ周り、帰りは中東の南周りになった。

例えばJALで東京からマドリードに行くには、ロンドンまで14時間を飛び、更に(乗り換えを含めなくても)計16時間半は掛かる。復路はドーハなどの中東経由になるから、更に時間を要する。長い時間機内で過ごすのは、若い人なら兎も角、年配者にとっては辛いものがある。

ところが中華航空(Air China)だけは例外であった。北京からモスクワ・ミンスク上空を通るので、11時間(複は10時間)と短い。日本〜北京を入れてもJALに比べて2時間は短い。改めて中国とロシアの特殊な関係を知らされた。

時間は短いし、しかも安価というので仕方なくその便を選んだが、地上ではミサイルが飛び交っているかと思うと不安である。それでなくても先月ロシア国内線の旅客機が墜落したり、2014年にはウクライナ上空でマレーシア航空機が誤って撃墜された事件もあった。

中華航空は食事は不味く、映画サービスは故障するし乗客のマナーも悪い。加えて北京空港の職員の態度は横柄で不快になった。便利だけど懲り懲りで、もう二度と乗る事はないだろう。

Tuesday, 29 July 2025

ゲルニカの空襲

ビルバオから海岸線を西に行くと、ピカソで有名なゲルニカ(Gernika)の町があった。人口1万人強のこの町は、1937年4月26日にドイツの空襲にあって多くの市民が亡くなった。その悲劇を描いたピカソの絵は、以来反戦のシンボルになっている。

町には博物館があり、当時を音響で再現した部屋があった。日本から贈られた千羽鶴も飾られていた。ラ・マンチャのドン・キホーテの記念館にも、武士道と重ねた和風の絵があったり、テキサスのアラモ砦にも日本から贈られた石碑があった。日本人は刹那的になるとスイッチが入る民族である。

それにしても何故ゲルニカだったのだろう?帰国して日経新聞を読んでいると、理由は2つある事が分かった。一つはビルバオに続く要衝だった事、もう一つは(今でもそうだが)バスクがスペインの中でも異質な地方だった。バスクは日本で言えば強ち沖縄のようなマイナー民族の地で、カステーリャやアラゴンと言った由緒ある本流ではなかったのだ。

スペイン内戦は今一つ肌感覚で掴み難い。ただヘミングウェイの「誰がために鐘が鳴る」の舞台になったセゴビアのグアダラマ山脈を車で通ると、何度も観たグレゴリー・ペックとイングリッド・バークマンの名画を思い出すのであった。ロバートをスペイン風にロベルトと呼んでいたのが印象的だった。

そのビルバオは大きな町だったが、路地を入ると平日だというのに酒で潰れた裸の男が倒れていた。怖くはなかったが荒れている感じがした。

Monday, 28 July 2025

エッフェルのレトロな橋

イベリア半島は周りを海に囲まれている。特に北の方はリアツ式の海岸線で、沖に浮かぶ牡蛎や貝の養殖筏とのシルエットが美しい。その陸と陸を繋ぐのが橋、どれも大きくて芸術性に富んでいた。

ポルトガル国境に近いスペインの港町ヴィーゴは、クルーズ船から下りた観光客で溢れていた。その郊外のランダ橋は1500mと短かったが、強い日差しと海の青さに映えていた。

やはり港町のカディスに架かる「1812年憲法橋」は、スペイン最長の3062mで壮大だった。カディスはジブラルタルに近いので、ここ迄来ると半分アフリカだった。町は狭い路地が続くゲットーのようで、調べてみたらやはりやはり昔のユダヤ人街だった。レコンキスタが終わり、ユダヤ人はスペインから一掃された歴史を思い出した。

そんな中、ビックリしたのがエッフェル塔の建築家、グスタフ・エッフェルとその弟子たちのレトロな作品だった。一つはビルバオに掛かるビスカヤ橋である。いつぞやNHKのTV番組で世界遺産として紹介されていたのを思い出した。搭乗者はまずリフトで30m程の塔に移り、それから横に移動する仕組みは見ていて楽しかった。

もう一つはポルトガルの第二の都市ポルトに掛かるマリア・ピア橋である。これをお目当てに世界から観光客が押し寄せるが、目の前に現れた時はその大きさと美しさに圧倒された。1886年の作だが今でも市電が走り人も歩ける現役で、高さ36mから見下ろす景色はスリル満点であった。

そして橋ではないが、リスボン市のエレベーターもエッフェルの作だった。ポルトやヴィーゴもそうだが、街は海に向かって切り立っている為に急坂が多い。そんな登りの負担を軽減しようとして出来た。1時間待ってやっと順番が来たかと思った矢先、機械が故障して乗れなかったが・・・。

Sunday, 27 July 2025

コロンブスとムラ―ト

スペインで最も称えられた人はコロンブスであろう。セビーリャの大聖堂内に彼の棺を担ぐ大きな像や、トレドの教会には持ち帰った金で作った宝物がそれを物語っていた。アメリカ大陸の発見はスペインに大きな富をもたらした。今残っている立派な建造物はその時の名残である。

ポルトガルもそうだが、彼らはアフリカから奴隷を南米に運び、その労働力を使って金や銀を掘り、砂糖、綿花を英国に売った。ポルトガル人とアフリカ奴隷が結婚して出来た混血をムラ―ト、インディオとの混血をマメル―コと呼ぶらしいが、南米にはスペイン人、ポルトガル人、そしてアフリカ人の血が流れている。

ただ両国の繫栄は長く続かなかった。入植地や海洋ルートの維持におカネが掛かったからだ。その間に植民地政策に長けた英国が台頭し、やがてその英国も度重なる戦争で疲弊した。

今回どこに行っても中国人観光客が目に付いた。大した観光地でもない田舎町で、大型スーパーの上にあるホテルに泊まっていた。食事はスーパーで買って済ますから経済的なのだろう。そして真っ黒なアフリカ人も地理的に近いせいか、子連れで来ていた。

各地の土産物屋に並ぶ商品の殆ども「Made in PRC(中国産)」である。良品計画のような生活用品も多くが中国製、世界に中国製品で溢れている。スペインの観光はGDPの13%を占める重要産業である。それを(嘗ては英国の支配下にあった)中国人と、(嘗ての植民地だった)アフリカ人が支えている。

Friday, 25 July 2025

Booking.comの宿探し

10年程前だったか、ゼミ仲間と群馬の法師温泉に行った時の事だった。長寿館のレトロな風呂に浸かり休んでいると、玄関の方で何やら騒々しくなっていた。

見ると若いイギリス人男女が宿の主人と揉めている。どうやら石川県の(栗津温泉にある)法師旅館と間違えた事が分かった。その日は宿も満室で日も暮れていた。今から引き返して石川県まで行けるはずもなく、女性は遂に泣き出してしまった。その後どうなったのか、食事が始まったので分からないが、旅にはこの手の失敗が付き物である。

今回の旅も同じような事が起きた。宿は着いた町で探す習わしだ。その方が時間に縛られて焦ることがない。大体夕方5〜6時になるとホテル探しを始める。昔は片っ端から「空いてますか?」と聞き回ったが、最近はBooking.comで予約を取ってから行く。その方が先方もビックリしないし効率的である。何より何度か使うと割引が利くのが嬉しい。

ところが時々とんでもない事が起きる。巡礼で有名なサンチャゴでパン・アメリカ―ノというホテルを予約したが、いざ行こうとすると地図にそれらしき道がない。それもそのはず、よく読むとチリのサンチャゴだった。

トレド(Toledo)に行った時も、Toledo Amman Hotelというホテルを予約したが、暫くしてトレドの名前が入ったヨルダンのホテルだと分かった。慌てて別のホテルを取り直したが、素晴らしいのは(通常返金不可の処を)AIが判断して単純ミスには課金しない事であった。

見知らぬ土地での宿探しは、「泊まる宿がなかったらどうしよう!」といつもどきどきハラハラする。チェックイン出来た時には本当にホッとするが、このスリルがビールの味を一層美味しくしてくれる。

Thursday, 24 July 2025

大正解のキリスト教禁止令

  スペインの日本人と言えば、差し詰め今ならサッカーの久保建英選手であろう。流暢なスペイン語で、あれならサッカーを辞めても語学で生きていける。

古くは仙台藩が1613年に送った慶長遣欧使節団があった。ローマ教王に謁見した後、スペインのセビーリャに移った。訪れたセビーリャ大聖堂で、彼らも祈っていたかと思うと急に身近になった。帰国の時になってキリスト教禁止令が出たため、8~11人がセビーリャ郊外のコリア・デル・リオ(Coria del Rio)の町に踏み止まった。

記念碑があると言うので寄ってみると、公園の一角にサムライ像と皇太子が植樹した桜の木があった。今でもハポン(日本)姓の人が残っているという。ただ町は鄙びていて、桜の木も枯れんばかりで複雑な気分になった。

もう一つ、それに先立つ事30年前の1582年に九州のキリスタン大名が送った大正遣欧使節団もあった。こちらはポルトガルだったが、4人の少年が過ごしたリスボンのサン・ロケ教会にも行ってみた。以前彼らが出港した長崎の記念碑に行った事を思い出した。

ただ立派な教会や当時の勢いを見るにつけ、秀吉があの時「キリスト教を禁止したのは大正解だった!」との思いを強くした。あのまま放置していたら、今頃フィリピンや南米になっていたに違いない。

その他、スペイン内戦に参加して死亡したジャック白井や、ポルトガルの寒村で過ごした檀一雄もいた。帰ってから早速その時に書いた「火宅の人」を読んでみたが、娘の檀ふみが「生前はとても読めなかった」というのが良く分かった。

Tuesday, 22 July 2025

トルデシリャス条約

マドリードから北西に180㎞程行った処に、トルデシリャス(Tordesillas)という小さな町がある。観光名所ではないが、かつてこの町で締結されたポルトガルとの条約があった。それはコロンブスがアメリカ大陸を発見した直後の1494年、大西洋の西経46度37分を境に東をポルトガル領、西をスペイン領にしたのであった。

この線引きで、今のブラジルがポルトガルに、それ以外の南米がスペイン領になり、以降の言葉もそれが出発点になった。

もう一つ、同じ頃にカルロス1世がカール5世となり、スペイン初のローマ皇帝になった快挙があった。その母親のファナが過ごしたのがトルデシリャスの町だった。彼女は夫や子供の死で精神を病んだため、女王でありながら76歳の生涯の内46年を幽閉された。「狂女」とも呼ばれ、町の郊外に2年程幽閉されたモタ城も残っていたので行ってみたが、不気味な雰囲気だった。

因みに彼女の姉はイギリスのヘンリー8世に嫁いだ。ヘンリー8世と言えば6回の結婚を繰り返し、内2人を処刑した遍歴の有名人である。(子供が出来なかった)姉との離婚を巡っては、英国教会がローマと袖を別ったきっかけになったので大きな事件だった。

又50㎞程行ったヴァヤドリード(Valladolid)の町には、作家セルバンテスの家もあった。岩波新書の「物語スペインの歴史〜人物篇」に、家の前で殺傷事件があり、犯人を巡ってセルバンテス一家まで嫌疑が及んだ話が綴られてあった。事前に読んでいたので、それと重ねると400年前がグッと身近になったのであった。

Monday, 21 July 2025

スペインの監視文化

 スペイン、ポルトガルを旅した。レンタカーで3週間、5000㎞を走破した。日本とマドリッドを飛行機で飛ぶと約1万キロだから、その半分に相当する。道は凸凹しているし、車線変更は殆どウィンカーを出さないので怖い事この上ない。よく無事に済んだと改めて思う。

どちらの国も褐色の人が多い。8世紀から15世紀までイスラムの支配下にあった名残なのか、将又中南米やアフリカの旧植民地から来た人なのか、フランスやドイツとはちょっと違う人種構成である。

どこの教会も立派である。取り分けサンチャゴやセビリア、コルドバは凄い。目が慣れて来ると、どれもイスラム風からキリスト風に改装したのが分かる。今ではレコンキスタ(イスラム排斥運動)は救国の極みになっているが、改めてイスラム文化の高さにも感心した。

王政と共和制を繰り返した近年の歴史も興味深い。今の国王も元はフランスのブルボン家の末裔だから、歴代の亡命先は決まってフランスだった。殆どはイスラムの影響を受けた地域だが、浸食されなかったバスクやカターニアは別物、独立志向が強いのも頷けた。フランコを生んだ内戦の傷跡が今でも散見された。

とある港町で駐車をしようと幅寄せをやっていた時だった。1.5台分のスペースしかなかったので悠々と真ん中に入れて離れようとした。すると前のアパートから叔母さんが「もう少し詰めないと駄目よ!」と言う。カーテンの隙間から見ていたのだった。

巡礼地サンチャゴの近くに、守護神ヤコブが上陸したと伝えられているパドロンと言う町がある。祀っている教会を探していると、やはり男が窓から顔を出し「そっちでなくあっちだ!」と教えてくれた。どちらも監視されていて、これも(内戦による)内通文化の名残かと思った。

ともあれ色々な体験をした。暫くはイベリア半島の旅を振り返ってみたい。


Sunday, 20 July 2025

万平ホテルのジョン・レノン

久しぶりに ビートルズのHey Jude を聞いた。Judeとは今までJew(ユダヤ人)かと思っていた。しかし実際はジョン・レノンの子供(Julian)の名前であった。当時のジョン・レノンはオノヨーコとの不倫が始まっていた頃で、取り残された息子に励ましを込めてポールが作ったのであった。

そのジョン・レノンとオノヨーコ夫妻だが、70年代の後半だったか、夏の軽井沢で一緒した事があった。アメリカ人のDさんと万平ホテルに泊まっていると、彼らも滞在していたのである。食事時や散歩すると良く擦れ違った。今から思うと写真の一枚でも撮っておけば良かったが、当時はあまり関心がなかった。

Dさんは国際キリスト教大学(ICU)の留学生だった。ゼミの先生が大塚久雄氏で、東大から移って来られた頃だった。岩波新書の「社会科学の方法」は、当時の学生だったら読まない人はいなかったのではないだろうか。その頃先生は全集の出版を進めていて、Dさんも手伝っていた。

そんな縁で、Dさんが軽井沢の別荘にお邪魔すると言うので付いて行った。私は運転手で中々場所が分からず「道に迷いました」と言うと、先生は「運転も労働ですね!」と如何にも先生らしいコメントを頂いた。

あれから50年、ジョン・レノンは凶弾に倒れ、Dさんはオックスフォードに行かれ大塚先生はお亡くなりになった。軽井沢に夏が来るとまるで昨日のように感じる。

Saturday, 21 June 2025

国立公園のキャンプ

 G7がカナダで開催された。トランプ関税やウクライナ支援などで、独仏や日本とギクシャクしている最中である。そんな空気を察してか、トランプも逃げるように帰ってしまった。

今回の開催場所はカナナスキス(Kananaskis)であった。何処かと思ったらロッキー山脈の麓、懐かしのバンフやジャスパーの国立公園も近かった。

あれは二十歳の時だったか、夏休みを利用してアメリカの国立公園を廻った。ロスアンゼルスで、親の知人から貰った軍用シュラフを担いで野宿した。グランド・キャニオンを皮切りに、グランドティートン、イエローストーン、そしてカナダに入ってグレーシャー、ジャスパー、バンフの各国立公園でキャンプした。

距離が長いとグレイハウンドバスで、公園内はヒッチハイクで移動した。アメリカの壮大な自然は息をのむ美しさがあった。ラジオから流れるベートーベンが、その風景に良くマッチしたのを覚えている。

車に乗せてくれた人は、何故か大学の先生が多かった。取り分けMITの教授は、奥さんが日本人だったり、奇しくも母校のフェローだった縁もあり、よく面倒を見てもらった。イエローストーンで知り合い、ワシントンDCの自宅にも泊めて貰ったり、その後来日した時にも親交を深めた。

また恐妻家(Henpecked husband)を自称する先生とのキャンプも思い出深い。バンフ国立公園のルイーズ湖(Lake Louise)で夜話していると、「自分は家内から逃れて一人旅をしている」と言う。当時はまだ若かったので、そんな心境を分かるはずもなかったが・・・。

あの頃は為替が300円の時代だった。おおらかなアメリカ人と豊かな自然にすっかりファンになってしまった。あれから50年、もう一度行きたいとは思っているが、昨今の物価高と治安も心配で諦めている。せめて良き時代を思い出しては懐かしむ今日この頃である。

Tuesday, 17 June 2025

USスチールと黄金株

 ずっと気になっていたUSスチールの買収が決着した。トランプが色々と渋るなら、ブレークダウンも仕方ないと思っていた矢先だった。

特に黄金株の登場にはビックリした。屋上屋を架されたようで、以来喉に小骨が刺さった感じがしている。先方の弁護士が捻り出したウルトラシーなのだろうが、つくづくアメリカ人の悪知恵には感心した。ただ確か日本では認められていないので、法的に大丈夫なのだろうか?

買収金額の2兆円と今後の投資の2兆円、日鉄がコミットした4兆円は凄い金額である。同社の売り上げが8兆円だから、改めてその額の大きさに驚かされる。又買収額はキャッシュで払わねばならない。そんな資金調達も大丈夫なのだろうか?

そして何より100%の完全子会社化の方が気になる。日鉄の経営陣にはアメリカ留学組も多いと聞くが、問題は英語である。所謂契約交渉のような1対1のバイならいいが、マルチ(大人数の議論)になるとレベルが違ってくる。

取締役会など喧々諤々の声が飛び交う中、2〜3年程度の留学英語では到底太刀打ちできないのは明らかである。特に時にはジョークやユーモアも交えて人心を掴む事も必要だ。正直で人がいいだけではマネージに限界がある。

思い出すのは、東芝のウェスティングハウス買収である。アメリカの老舗電機メーカーを大胆にも手に入れたのは良かったが、数年後に破綻して1ドルで売却、東芝もそれがきっかけになり破綻した。トップの誤った決断が、従業員や株主の財産と未来を奪ってしまった。

古くは三菱地所のロックフェラーセンター買収失敗もあった。人種の偏見も根強いし、日本人がアメリカ人を管理する最も苦手な事が、これから始まろうとしている。「鉄は国家なり」の会社だけに心配である。

Saturday, 14 June 2025

偉大な父

先週、長嶋茂雄さんが亡くなった。御年89歳、脳梗塞を患ってから不自由が続いたが、随分とリハビリに頑張っておられた。明るくアグレッシブな性格は多くの人に愛され、国民的アイドルであった。長い間ご苦労様、心からご冥福をお祈りしたい。

その偉大な父の下で育ったのが一茂さんである。父の背中を追って立教から巨人に入った。ただ30歳で戦力外通告を、しかも実の父親から告げられ、暫くして野球を諦めた。

父が社会から評価されるほど、益々小さく感じる自分だったのに違いない。今までよくグレないで来たと思う。最近はテレビで活躍しているのを見るにつけ、やっと自分の居場所を見つけた気がする。

ポルトガルの英雄クリスティアン・ロナルドの長男も先日プロでデビューしたり、松岡修造の息子もアメリカから軽井沢Futuresに参加していた。今はいいが、同じジャンルの父を超えられない時どうなるのか、少し心配である。

一方で全く違う道を歩む息子も多い。アガシとグラフの息子はサッカー選手に、ゴッドファーザーの息子もオペラ歌手になった。この方が伸び伸び生きる事が出来る。

偉大な父から逃れた息子もいた。思い出すのはマッカーサーである。一時は大統領候補にもなった第二次大戦の英雄だが、一人息子は戦争が終わるとジャズのピアニストになった。やがて父親の名前が重荷になり、姓も変えNYの下町に消えて行ったのである。

また古くはロシアのピュートル大帝もいた。ロシアの西洋化の礎を築いた人だったが、息子は病弱で性格も大人しく父と対立した。その父から逃れようと、挙句の果て反旗まで翻したが失敗し、最後は(父に)処刑された。戦乱の世にはよくある話かも知れないが、何故か気になっている。

そもそも偉大な父なんて世間が勝手に付けた形容詞に過ぎない。それなのに実際は中々その呪縛から抜け出せないのである。

Tuesday, 10 June 2025

ガウディ没99年

 TVを見ていたら、芦田愛菜さんのバルセロナ旅をやっていた。随分予習をしたようで、連れの女優相手に蘊蓄を披露していた。改めて解説されると勉強になった。有名なサグラダ・ファミリアも良かったが、やはりガウディが設計し、晩年の住居として使っていたミラ邸は、彼をより身近に感じる場所だった。

というのも、中公新書の「物語 スペインの歴史、人物編」の中には、ガウディの最後が詳しく描かれていたからだ。これを契機に読み返してみたが、彼はその日、いつものようにサグラダ・ファミリアでの仕事を終え、教会のミサに出てそのミラ邸に帰宅するはずだった。

処が途中で市電に轢かれて3日後に亡くなったのであった。享年73歳、今から99年前の1926年の今日6月10日であった。

病院に担ぎ込まれた時は浮浪者と間違えられた。採食主義者だった栄養不足が風貌に表れたのか、一生独身だった彼の食事は、ミラ邸の守衛の奥さんが三食作っていたという。事故の発覚も、帰宅が遅くなり不信に思った奥さんの機転が功を奏した。

著者の岩根氏は学者だが、当初作家を目指しただけあって、文章にメリハリがありとても読みやすい。前作の「物語スペインの歴史」も、セルバンテスに焦点を充て面白く纏めていた。この物語シリーズは、往々にして年表の羅列で終わる無味な学者が多い中で、「ウクライナ」の黒川氏と並んでいい出来はピカ一と思っている。

因みにサグラダ・ファミリアは来年に完成するという。その奇抜な配色はあまり趣味でないし、塔の材質にはコカ・コーラの空き瓶も入っていて興ざめした記憶がある。ただ聖書に長けキリストの物語を知ると、自ずと見方も変わってくるのである。

Thursday, 5 June 2025

天安門とマイケルチャン

昨日の6月4日は天安門事件の日であった。1989年6月4日に、民主化を求める多くの中国の学生が、天安門広場で軍によって弾圧された。

私は丁度、北京への出張を予定していた時だった。Y部長から翌朝電話があり、出張は中止にしたと連絡があったのが昨日のようである。後から聞いた話では、中国各地の駐在員が空港目指して逃げた非常事態であったから、邦人にとっても他人事ではなかった日になった。


その事件を挟んで、全仏オープンテニス(ローラン・ギャロス)が開催されていた。確か4回戦だったか、17歳のマイケルチャンが第一シードのレンドルに勝った試合を見ていた。疲労困憊の少年が、アンダーサービスまで繰り出して接戦を制した一戦であった。夜中まで見ていた記憶があるが、巨人に立ち向かう姿には心を打たれた。

チャンはその後も勝ち進み、決勝ではエドバークに逆転勝ちして優勝を果たした。同世代の中国の学生が天安門で倒れる中、(台湾系とは言え)そのジャンヌダルクのような勇姿は、世界中から称賛されたのであった。

あれから36年経って中国の経済は大きく発展した。ただ一方で締め付けもどんどん厳しくなって、独裁体制も益々進んでいる。

36年と言うと、子供が中年に、中年が老人になる時間軸である。文革を担った紅衛兵も今や70歳代に入っている。親や年長者を批判して、神社仏閣をぶっ壊した世代である。その人達が隠居に入り、何も無かったかのような子供世代がインバウンドで来日して飯を食っている。

最近は歳を取ったせいか、実はそんな独裁でもいいかと思い始めている。中国の体制が崩壊すれば、押し寄せる難民や経済の混乱の方が大きい。所詮統治の話である。そんな他人の国の事を心配するよりも、まず足元の難題の方が気になっている。

Friday, 30 May 2025

お寿司の話

 寿司屋といえば、思い出すのはYさんである。Yさんは名門ラグビー部のOBである。後輩の面倒見がよく、よく学生を連れては飯を食わせに行っていた。ただその奢り方が半端でなかった。

体育会の大柄な選手たちだから食べる量も半端ではないのを知ってか、親仁に「このカウンターの魚を全部でいくらする?」と聞く。親仁は「そう60万円位かな?」と応えると、「いいよ」と始める。そうすると学生は(当たり前だが)遠慮する事なく、思う存分食えるので大喜びするという。

Yさんは食品を扱う問屋の社長さんであった。食べ物にはお金の糸目をつけないのか、将又宵越しのカネは持たないのが信条なのか、兎に角豪快な人だった。私も一個何千円もするフルーツや、冬になるとナポレオンの紅茶割など、高価な珍味を随分ご馳走になった。この辺はチマチマ生きるサラリーマンには中々マネ出来ない芸当であった。

その寿司の食べ方であるが、バブルの前後で少し変わった。それまでは例えば一人前を取ったとすると、安い玉子から始まり一番高価なマグロは最後の楽しみに取っておいた。処がバブルが崩壊して先行きが不透明になると、まずそのマグロから始めるようになった。「信じられるのは今」の動物本能である。

又日本人と外国人では食べる順序が違う。日本人はまずつまみと酒を楽しんでから、最後に握りで〆るのが一般的である。ただ外国人は反対に、握りでお腹を満たしてから酒を楽しむ。夕方Pubにビールを飲みに来るのも、食事を終えてからの由来に関係している。

Tuesday, 27 May 2025

ごっつぁんです!

先日、築地の寿司屋に行った時だった。若い力士二人を連れた四人組が入って来た。カウンターに力士を挟んで、如何にもタニマチ風の年配夫婦が座った。

力士は当初遠慮がちに箸を進めたが、アルコールが廻って来ると、どんどん注文をし始めた。寿司は二貫から一度に6〜8貫、大トロ、中トロ、アワビと高いネタもお構いなしである。マグロの串焼きも一挙に4本、その量は尻上がりに増えて行った。

一方タニマチ夫妻は財布を気にしているのか、飲むけど殆ど寿司には手を出さないのが対照的だった。力士は会話もなく黙々と食べ続けた。これには流石、「ごっつぁんです!」の世界に慣れているとはいえ、どうなのかな?と心配になった。20代前半から、こんな世界に浸ってしまって大丈夫なのだろうか?

思い出したのは、昔TVの特集番組で見た元横綱輪島であった。「黄金の左」の投げの豪快な力士だった。ただ現役を引退してからの晩年は、懇意だった居酒屋の一階でゴロゴロ、昼から酒を飲んで過ごしていた。それは現役時代の勇姿を知っている者から見ると、哀れであった。

サラリーマンは原則割り勘である。日本橋に「清く割り勘亭」という飲み屋があったが、ネーミングが安心感になり繁盛していた。言うまでもなく人間関係が長く続く秘訣でもある。

芸能人やスポーツ選手は若い頃にチヤホヤされるから、その慣習が全然違う。築地の若い力士を見ていてそれが気になった。


Thursday, 22 May 2025

ポルトガルとシルクロード

トランプ関税の末路について、ある人がシルクロードを引き合いに出していた。

シルクロードは古来東西を繋ぐ陸路として栄えたが、オスマン帝国が通過税や関税を課していた。ところが15世紀になってヴァスコ・ダ・ガマが海洋のインドルートを開拓すると、海運のスピードと安い輸送コストの煽りで、シルクロードは衰退したのであった。

所謂大航海時代の始まりで、その先駆けになったのがポルトガルだった。水は低き所に流れる。今回も米国を通さない物流が大きくなると、第二第三のポルトガルが出て来るかも知れない。

来月イベリア半島の旅を計画しているが、そのポルトガルは今までヨーロッパで唯一行った事がない国だけに楽しみである。あえて避けていたのには理由があった。

昔パリでポルトガル銀行の人にポルトガル料理をご馳走になった事があった。立派なレストランだったが、出て来たタラの燻製のような料理はパサパサして塩気が強く、全く喉を通らなかった。

その人は「ポルトガルは貧しい国だから、魚の保存食がメインになっている」と説明していたが、殆ど偏食もしないから余程の事だった。料理が不味いと、自ずと旅へのモチベ―ションも上がらなかったのである。

処が最近、写真家のKさんが旅した時の写真を見せてくれた。時間が止まったような街並みは素朴で、確かに豊かとはいえないが古びた魅力があった。大した産業もないのに、今まで大国スペインに飲み込まれなかったのも気になる。余り期待していないのが、吉と出るかも知れない。

Tuesday, 20 May 2025

クラインガルテン

コメの高騰が続いている。備蓄米を放し始めたが中々下がらない。そん中、江藤と言う農水大臣が「我が家には支持者から貰ったコメが売るほどある」発言があった。よりによってこんな時期に、農政を司るトップの資質に呆れた。政治は「信なくば立たず」、これでは誰も付いて来ない。

そのコメ不足だが、インバウンドで訪日した外国人が食べる量が増えているとか、万博用で確保しているとか噂は絶えない。先般のすき家事件も、国産米に拘った横槍が入ったと言う人もいる。個人的には減反政策のツケが廻ったと思っているが、上手く収まって欲しい。

その農業だが、知人のAさんが千葉で宿泊できる滞在型市民農園を始めると言う。農地と農機具を用意して、都会から人を呼び込むのだと言う。所謂家庭菜園を大きくしたようなイメージだが、素人が簡単に農作を出来るわけでもなく、寒い冬や害虫などの天敵も多いから最初は耳を疑った。

処が辺りを見渡すと、既に全国的な展開が始まっている事に気付いた。農水省の「農地漁村活性化プロジェクト」として、クラインガルテン(Kleingarten)と呼ばれる施策である。テニス仲間のFさんもこれを利用している。東京に奥さんを残し、春から秋にかけて信州の田舎に単身で野菜を作っている。住まいは共同生活のログハウスで、食事や家事は助け合って生活している。

その名前からして発祥はドイツらしい。何やら200年前から続いているという。ドイツは大都市に人が集中しないお国だから、田舎が日本以上に身近である。それが成功の理由と思うが、空いた農地、安い生活費、栽培の魅力の三位一体は万国共通である。

兎角新しい事を始めようとすると、やれ人間関係や栽培が上手く行かなかったマイナスの心配ばかりが募るが、土を弄ると日本人のDNAが覚醒するかも知れない。晩年を窮屈な都会で過ごすのも考えモノである。暫くは温かい気持ちで見守っていきたい。

Thursday, 15 May 2025

バルのはしご

インバウンドで外国人観光客が増えている。都心に出ると外国人ばかりが目立ち、まるで遊園地のようである。中にはロシア人も多いと聞く。戦争中なのに信じられないが、ロシアは広いからモスクワの眼が届かないのかも知れない。

その訪問先が、東京、大阪、京都のような大都市に集中していて、地方への波及が足りないという。地方の魅力をどう作り出すのか?先日TVを観ていたら、橋下徹さんがスペインのサン・セバスティアンの例を引き合いに出していた。

サン・セバスチャンはフランス国境に近いバスク地方の町である。グルメの都(Una capital gastronomica)として、スペインは元より世界中から美食家が集まるので有名だ。ミシュランの星が付く高級レストランからバル(軽食居酒屋)まで、中でも30ほどある倶楽部では、会員(男性のみ)が振る舞ってくれるようだ。

昨年友人夫妻のNさんが訪れ、そのバルの魅力に嵌ったという。鯛、イワシ、イカなどの海産物を一口つまんでは又次の店に行く、そのはしごが何とも楽しかったようだ。地元のチャコリと呼ばれるワインも、料理を一層盛り上げたという。

実は30年程前の夏、泊まりはしなかったがこの町を通った事があった。ビスケー湾に拡がるビーチでは、多くの人が海水浴を楽しんでいた。目に留まったのは若い女性で、殆どがトップレスなのには驚いた。それはとても開放的な自然の風景で、煌々と降り注ぐ強い日差しに映えていたのを覚えている。

ところでこの夏は、イベリア半島の旅を計画している。マドリッドからそのサン・セバスティアンに出て、海岸沿いに西に向かい、ポルトガルを廻る三週間の旅である。時間があればジブラルタル海峡を渡って、モロッコまで足を延ばす予定である。バルのはしごが今から待ち遠しい。