Thursday, 4 December 2025
ヌルハチの骨壺
Sunday, 30 November 2025
ヤツメウナギ
先日、ウナギを絶滅危惧種にする規制案が否決された。うなぎの7割を輸入する日本にとってはホッとした。ただでさえ高いウナギである。もはやこれ以上になると、日本の食卓から消えるかも知れない。
ただ一口にうなぎと言っても、普段我々が口にする二ホンウナギ に対し、ヨーロッパのヤツメウナギは全くの別物である。それを一緒に議論するのがそもそも間違っている。
昔パリの中華料理店でウナギを食べた事がある。出て来たのは輪切りにした、まるでヘビのような産物だった。見た目にもグロテスクで歯ごたえも固く、太い骨も残っていたので途中で降参した記憶がある。それが正にヤツメウナギであった。
そうは言っても、ヨーロッパでは珍味に入るのかも知れない。「モンテクリスト伯」の小説の中に、そのヤツメウナギが登場する。時は19世紀のパリ、伯爵が客を招待し珍味で驚かすシーンである。
一つはロシアのボルガからチョウザメを、もう一つはナポリからヤツメウナギを取り寄せる。生きたまま運搬するため樽を特注し、チョウザメは12日、ヤツメウナギは8日かけてこれも特別仕立ての貨車で運んだ。その破格の費用と心遣いに、客は心酔して警戒を解くのであった。
処でヤツメウナギを出す店が目黒にあると分かった。一度は懲りたが、さぞかし日本の味付けも違うだろうから、いつか試してみようかと思っている。
Saturday, 29 November 2025
ウィンターノーズ
Tuesday, 25 November 2025
モンテクリスト伯の映画
いま上映されている「モンテクリスト伯」を観に行った。最近何度目かの再読をし、十分予習をした矢先だった。しかし小説とは随分と異なる展開に、「これって違う!」を心に中で連発した。
まず冒頭のナポレオンの手紙だが、海で助けた女が持っていた。小説では船長が息を引き取る時にダンテスに手渡すので、全くの創作だった。
次にその手紙だが、手に入れた検事はそれを隠匿した。宛先がパリに住む父親だったからである。父親がナポレオン派と分かれば、王党派の彼の未来はない。それを恐れてダンテスを投獄するのだが、その大事な件が全く描かれていなかった。
ダンテスが復讐するのは、検事、銀行家、将軍の三人である。銀行家を偽情報で破綻させるのは正しかったが、あと二人の扱いが随分と違っていた。特に将軍は妻子に捨てられ、絶望の中で自ら命を絶つはずだった。しかし映画の後半では、ダンテスと剣を交えていた。これでアクション物に成り下がってしまった。
また最後は、アルベールとエデが結ばれるシーンで終わっていた。とんでもない話である。アルベールは絶望の中で家を捨て出て行くのであった。エデはもっと神秘的な女性で、ダンテスとの未来を暗示して幕を閉じる。そもそも彼女はギリシャ人なのに、フランス人女優が演じていた。間違った筋書きで、作品は二流のロマンス物になった。
昔クライブ・カッスラーの「サハラ(日本語:死の砂漠を脱出せよ)」という痛快な小説があった。これを映画化したのが大失敗で、以降カッスラーは怒って許可を出さなくなった。今回その話を思い出した。
上映が終わり、連れに「全然本とは違うよ!」と話していたら、後ろにいた女性が「そうなのよ!」と割り込んできた。全く知らない人だったが、知る人なら誰しもストレスが残ったのであった。
Monday, 24 November 2025
2013年8月の参院選
家の片づけをしていると、昔の週刊文春が出て来た。2013年8月号で、参院選挙の結果が特集されていた。安倍政権下で自民党が圧勝し、民主党が大きく議席を減らした時だった。
写真には笑みを浮かべる安倍首相と、石破幹事長、高市政調会長が並んで写っていた。「10年ひと昔」とは良く言ったものである。あれから安倍さんが暗殺され、石破さんは失脚して高市女史の時代になった。ヒトの一生もそうだが、政治は特に一寸先は闇である。
安倍さんの時代は良かった。アベノミックスの三本の矢で経済の活性化があった。1万円そこそこだった日経平均が、あの頃からジワジワ上がり始めて今では5万円になった。多くの投資家は当時、やっと元が取れたと売り始めた頃でもあった。もしあの時に買っていたら、金融資産は5倍になったのである。
その明るさを象徴したのが「桜を見る会」であった。政財界のお歴々、各国の外交官や芸能界のスターが華を添え、新宿御苑で催された。一部の横槍で中止になったのはとても残念である。女の嫉妬は凄いと聞くが、オトコのやっかみも根が深い例だった。
日本人なら桜を嫌いな人は居ないし、桜に右も左もない。これから与党だけでなく共産党も入れた全党で、この日だけは皆日本人がひとつになって、楽しむ会として復活させたらいい。
処でその週刊誌に、大谷選手の記事が小さく載っていた。彼は当時19歳、日本ハムファイターズの3番手の投手として20球近く投げた時だった。その時も「二刀流が続けられるのか?」例によって批判的な内容だった。そんな悲観を跳ね返した彼も去る事ながら、記事を鵜吞みにしていた自分を恥じるのであった。
Friday, 21 November 2025
僕の信州ライフ(2)
山で暮らしていると、都会にないサプライズがある。その一つが動物である。誰かに飼われているようなキジは、キーキーと煩く鳴いて歩き回っている。アライグマは可愛いお尻を振りながら去って行く。昔はよくサルもやってきた。サルは群れで行動する。いつぞや自宅のベランダに10匹程居座り、長い間対峙した事があった。
シカは寒くなると現れるが、ひと気を感じると直ぐに逃げてしまう。ただ先日車を走らせていたら、突然大きいシカ2頭が目の前を横切った。急いでブレーキを踏んで、泡やの衝突を回避した。
昨今各地で出没の熊もいる。ここの熊はGPSが付いているので、近くに現れそうになるとアンテナを持った循環員の人がやってくる。例外もあるので、犬の散歩の時は鈴を鳴らしている。
動物だけでなくヒトも少し違う。先日とあるオープンゴルフコンペに参加した時だった。同じ組で廻った人が、何を思ったか池に休むシラサギを追い払っていた。流石これには他のゴルファーも眉を潜めたが、後でその人はブドウ園の人だと分かった。職業柄とはいえ、これがまかり通る土地柄である。
狭い社会ながらの排他性もある。コロナの時に、他県のナンバーの車がよく被害にあった。本当に住んでいる人向きに「県内に住んでいます」のステッカーが売っていたが、勿論馬鹿らしくて買わなかった。
また近所でコロナに感染した人が出ると、投石や嫌がらせも出た。止む無く村を出て行った人もいたと聞き、田舎生活の難しさも知った。
Tuesday, 18 November 2025
エデの話
Tuesday, 11 November 2025
僕の信州ライフ
早いものでもう立冬である。東京にいると季節感に疎くなるが、信州は暦通りである。昨年はその立冬(11月7日)に浅間山の初冠雪があった。今年は3日早かったが、先人の季節感覚と暦の正確さに驚かされる。
寒い時には、何といても温泉に浸かるのが一番である。家から30分程山に登った処に小さな秘湯がある。勿論源泉かけ流しである。特に予定のない日には朝から入る。最初は冷え切った手足がピリピリとして痛いが、暫くすると慣れてくる。山の中の露天なので、熊でも出てきたらどうしようかと心配しながら・・・。温泉に入ると夜になっても身体が暖かい。
家の暖はもっぱら暖炉で取っている。前年に仕込んだ丸太を斧で割って込めている。新しい木だと空気が弾けてパチパチと危ないし、火の着きも良くない。今年は昨年近所から沢山貰ったストックがあるので何とか凌げるだろう。ただ来年の事を思うと、そろそろ仕込まなくてはならない。チェーンソーは事故も多いので用心しながらやるが、全て生存本能が源になっている。
温泉が外なら内から温めるのが一日を締める晩酌である。五臓六腑に染み込む熱燗はまた格別である。ただ(叱られるかも知れないが)長野の酒は遠藤酒造や真澄は別にして余り美味しくない。やはり兵庫、京都、新潟の方がいい。原酒は冷たいが、菊水酒造の「五郎八」の濁り酒は、誰もが季節を感じる人気酒である。直ぐに店頭から消えてしまう。
信州の人々は空気がいいから平均寿命は長い。ただ健康寿命は短いと言われる。何処に行くの車を使う為である。また普段山間部に住んでいるせいか、会話も至って単刀直入である。そんな気遣のない話し方に時々驚く事もある。ただこれも厳しい自然の中で生きる土地柄だと、段々分かって来た今日この頃なのである。
Friday, 7 November 2025
WS第7戦
WS第7戦、ドジャースが劇的な勝利を得た。途中まではブルージェイズがリードして、もう駄目かと思って諦めていた矢先だった。9回1点のビハインドからロハスがHRで追いつき、10回スミスのソロHRで初めてリードし逃げ勝った。
MVPに輝いた山本投手も然る事ながら、ロハスの本塁送球やヘルナンデスの捕手など、完ぺきな守備で勝ち取った奇跡であった。
第1戦から見ていて、ポイントは第3戦だった気がする。18回延長の末に、フリーマンのサヨナラHRでドジャースが競り勝ち2-1とリードした。ただあの時のドジャースには、優勝したかのような高揚感が出てしまった。これは良くなかった。実際その後第4戦、5戦と敗れてしまうのだったが、最後でよく持ち直したと思う。
そんな中で優勝の式典だったか、大谷選手が「来季の準備を・・・」みたいな挨拶をしていたのが印象的だった。心は既に来季の優勝へ、その切り替えの早さに異次元の凄さを感じた。
ともあれ、改めてスポーツの感動に酔った一週間だった。日本人の三人に1人はリタイア―組だから、朝からこの試合を見ていた人たちは多かった。飲み屋に行ってもゴルフ場に行っても、その興奮は抑えきれず解説者になっていた人が何と多い事か!誠に平和な国である。
選手の集中力と勝利への執念、仲間への信頼と団結、勝利の女神の微笑みなど伝わって来て、グッときた一週間であった。
Sunday, 2 November 2025
小泉セツの物語
NHKの朝の連続テレビ小説「ばけばけ」が始まった。まだ観てはないが好評を博しているようだ。主人公は小泉八雲の妻セツである。
小泉八雲については、以前松江にある元住居の記念館を訪れた事があった。その時は左程気に留めなかったが、昨年の夏、彼が生まれたギリシャのレフカデ(Lefkada)島を訪れてから、急に身近な人になっている。
帰ってから早速怪談シリーズを読んでみたが、中々よく書けていた。特に面白かったのが「むじな」である。ある時男が歩いていると、女がしゃがみ込んで泣いていた。「どうした?」と聞くと女が振り向き、目も鼻もないのぺらぼうだったのでビックリ、男は近くにあった蕎麦屋に飛び込んだオヤジに事情を話そうとすると、「こんな顔ですかい?」とそいつものっぺらぼうだった話である。
処で彼の本名は生まれ故郷の島の名前を取って、ラフカディオ・ハーン(Kafcadio Hearn)である。島に渡るのには、回転式の浮き橋とモン・サン・ミシェルのような細い陸路を通る。島の入り口には胸像が建っていたが、美しい漁村だった。
彼の父親はアイルランド人の軍医で、駐在した時に島の娘と結婚して彼が生まれた。母親は地元のギリシャ人で、アラブの血も混じっていたという。そのコスモポリタン的な出自が、日本をして第二の郷里になったのも分る気がした。
勿論怪談などの情報源はセツだった。普段はご無沙汰している朝のテレビ小説だが、これを機会に観てみてもいいかと思っている。
Saturday, 1 November 2025
台湾有事には
Thursday, 30 October 2025
ルーブル美術館の強盗
先週ルーブル美術館に強盗が入った。犯人はマリー・テレーズの首飾りなど9点を奪って逃げた。被害額は88百万ユーロ(155億円)というから大変な額である。
BBCによると「盗難品は既に分解された」という。だから犯人が捕まっても、原物を取り戻すは難しいと言う。本当に大事な宝石は、フランス中央銀行の地下26mの金庫に移しているらしいが、これから一般展示の仕方も少し変わるかも知れない。
尤もルーブル自体が盗難・略奪品で埋め尽くされているから、同情にも限りがある。有名なミロのビーナスやサモトラケのニケも、ギリシャから持ち帰っている。もしこれが長崎の対馬列島で盗まれた仏像のように、犯人が被害国の関係者だったら話が拗れるかも知れない。
処でパリ郊外のクリニャンクール(Clignancourt)に大きな骨董市がある。高価なアンティックからブロカントと呼ばれるガラクタまで、多くの店が軒を連ねていて、一日居ても飽きない場所である。その市は、別名泥棒市とも呼ばれている。
パリでは泥棒が多いから、いつも「これって盗難品じゃないか?」と疑っている。商品の仕入れは、オペラ座に近いドゥルオー(Drouot)通りにある競売場で行われる。毎日ジャンル別のセリが行われ、中には遺留品を一括出展するケースもある。
誰でも参加できるので、私も何回か手を挙げてみた事がある。落とすと直ぐにその場で支払いを済ませてモノを受け取れるので、とても簡単だ。
その骨董市は蚤の市(marche aux puces)と呼ばれている。正に読んで字の如しである。日本で定着している呼び方も、フランスが発祥のようだ。
Wednesday, 22 October 2025
モンテ・クリスト伯の復讐劇
Saturday, 18 October 2025
サルコジ元大統領の収監
Tuesday, 14 October 2025
川崎のストーカー事件
Wednesday, 8 October 2025
入試問題にチャレンジ
Tuesday, 30 September 2025
林さんの失言
Friday, 26 September 2025
限界効用逓減の法則
Wednesday, 17 September 2025
ヨーロッパには熊がいない
Thursday, 11 September 2025
ガソリン税について
Tuesday, 9 September 2025
ケーブルカーの事故
Thursday, 4 September 2025
鴨居玲とラ・マンチャの町
Thursday, 28 August 2025
終戦80年に寄せて
先の8月15日は終戦80年という。戦争を体験した世代が段々いなくなってきて、戦争を知らない世代の時代になってきた。昔は「日本の一番長い日」など、太平洋戦争のTV映画が放映されていたが、最近はそれもなくなった。
戦争を知らない世代が多くなると、政局にも如実に反映される。先の参院選挙で参政党が躍進したのはその表れだろう。最近はドイツのAfDやフランスのRN(元FN)などの極右がいるので、正直日本でも時間の問題と思っていた。やっと出て来て票が集まったのは時代の趨勢だった。
それにしても明治の開国以来いろいろあったが、日本というか日本の先人が列強を相手に「良く頑張ったくれた!」と、つくづく畏敬と感謝の念を持つのである。
まず対アメリカである。ペリーの黒船で開国してしまったが、幸い本国で南北戦争が起きてくれたので、その脅威が去ったのはのはラッキーだった。代わりに来たのがロシアだった。対馬の租借請求から始まって、(緩衝地帯の)中国大陸を南下して日本に迫った。
最初は日清戦争だった。表向きは清国と日本の闘いだったが、実態は朝鮮を属国とする清国と独立を望む朝鮮、それを後押しする日本の闘いだった。日本も清国もロシアの脅威が背後にあったから、正に日露戦争の前哨戦だった。
その勝利で割譲されたのが満洲の一部などであった。よく「満州事変や国際連盟の脱退が太平洋戦争を招いた」という議論がある。しかし時は列強が集う植民地時代、アジアもオランダがインドネシア、英国がマレーシアと香港、アメリカがスペインからフィリッピンを譲り受け、フランスはベトナムを持っていた。何故日本だけが許されないのか、今同じ局面に対峙しても、(今の若い人も含めて)同じ決断を下すかも知れない。
特にロシアは当時10倍以上の国力格差があった。その中でまだ近代化して50年も経っていない日本が勝利を収めたのは奇跡に近かった。仮に日露戦争で負けていたら、日本(や韓国)は極東のウラジオストックになっていただろう。社会主義化で魚屋も八百屋も国有化され、私もこうして好き勝手に旅行する事もなかっただろう。
だから時の首相が又「反省」なんて、軽々しく言って欲しくなかった。国際的には靖国参拝も含めて差したる反応もなかったのが不幸中の幸いである。(いつも思うのだが)反省するであれば「一体そのどの部分なのか?」、特に政治家なら猶更はっきりしてもらいたい。
日本の外国との戦争は、今まで全て受け身であった。「ここままだったら国が危ない!」の動物的な生存本能だけでやってきたと言っても過言ない。そもそもロシア人や欧米人は弱肉強食の狩猟民族である。真珠湾の時もアメリカ側は電報は全て傍受していて、開戦の日時を知っていた。日本が先に手を出すのを待っていたのは今や公然とした秘密である。これは本当に恐ろしい。
「(戦争は)二度と繰り返しません」と広島の碑に書いてあるが、読み方は様々だ。私なら「(敗戦)は二度と繰り返しません」になる。「(戦争はしないようにしますが)その時は先人に習う」の心境である。
Friday, 22 August 2025
ウクライナと韓国併合
ロシアとウクライナの戦争が転機を迎えている。トランプは自身のノーベル平和賞と引き換えに、ウクライナの領土割譲を志向している。国土は人の命そのもの、一度譲歩すれば更なる試練が待っている。それは歴史が証明しているし、況や個人の勲章とバーターは論外の気がする。
ノーベル平和賞と言えば、(我々の世代ではないが)ポーツマス条約の仲介で受勲したルーズベルト大統領がいた。日露戦争の戦後処理を巡り、アメリカの東海岸で行われた賠償交渉である。日本からは小村寿太郎が主席で参加した。吉村昭の名著「ポーツマスの旗」にその件が詳しく書かれていたが、結果は日本が多くの犠牲を出しながら、一銭の賠償金も取れずに終わった。ルーズベルトは場所だけを提供して平和賞を得たのであった。
そもそも日露戦争は、日清戦争後の間隙を縫ってロシアが仕掛けてきた戦争である。当時は「オソロシア」なんて言われ、日本との国力の差は今の想像以上だった。本当に「先人は頑張ってくれた!」「あの勝利がなかったら今の日本はない!」と感謝しかない。
処でプーチンというかロシア人が、「何故そこまでしてウクライナに拘るか?」今まで中々分からなかったが、最近ふと思った節がある。それは日本と韓国の関係、特に韓国併合である。
日本は1910年に韓国を併合をした。今でも韓国人はそれに大きな抵抗感を持っているようであるが、当時の韓国は清朝の属国であった。今風に言えば地政学の緩衝地帯だったので、韓国人は清国に従属するか、日本に付いて独立するかを選択しなくてならなかった。結果は日本の明治維新に感化され、独立に呼応した人が日本を選んだ。
今の韓国は言うまでもなく、立派に成長した独立国である。ただ仮に(昔あったように)北朝鮮が中国と共に攻めてきたら、その時日本はどうするのか?アメリカの要請で、一時的に韓国の保護を司る事はないのだろうか?歴史は繰り返すと言うが、兄弟(兄は日本で弟は韓国)の時代もあったし、日本人からしてもあまり抵抗がない部分の気もするのである。
尤も韓国はウクライナと違って資源(魅力)がない国である。そんな国を守ってどうするという議論もあるし、何よりそれは韓国人のプライドが許さないと願っている。
ロシアがウクライナを旧一体国と感じるのは時代錯誤である。この思い込みを誰がどうやって、修正解消するのか本当に大事だと思う。ウクライナが落ちれば、次はポーランドか国境を接するバルト三国である。今とても大事な時に差し掛かっている。
Friday, 15 August 2025
科捜研のカラス
Sunday, 10 August 2025
ピンチョスとガストロノミー
Wednesday, 6 August 2025
リカルドのユダヤ人祖先
トランプ関税でよく話題になるのが、リカルド(David Ricardo)の比較優位論である。比較優位性の高い産業に特化して、低い分野は他国から輸入した方がトータルで利益を得る考えである。賃金や物価が高いアメリカで、これから自国生産に舵を切るの発想はとても尋常とは思えない。
そのリカルドは古典派経済学の大御所であるが、父親はオランダから英国に渡ったユダヤ人であった。先日ポルトガルに行って分かった事だが、オランダのユダヤ人の祖先はポルトガル人だった。
レコンキスタ(イスラム排斥)が終わった15世紀のイベリア半島では、キリスト教による国家統一が始まった。そこで問題になったのがユダヤ教であった。1400年後半に異端審問所が作られ、ユダヤ教の取り締まりや隠れキリスタンの発掘が始まった。
ポルトガルもその例外ではなかったが、航海に欠かせない天文学や、金融の中枢を担うユダヤ人が抜けて国力が低下したスペインを見ていたので、最初は黙認していた。しかしスペインに遅れる事50年、その異端審問所が出来ると様子が一変し、ユダヤ人は一掃されたのである。
国を追われ、亡命先はスペインと対立していた新興国のオランダが多かった。その中の一人がリカルドの祖先であった。
今の世界経済は比較優位論が通用する程単純ではないが、赤字を保護主義で補うのは昔の話である。移民政策も(ユダヤ人を)排斥すると国力が低下した歴史に学ぶべきだ。
Sunday, 3 August 2025
セルバンテスとレパント海戦
スペイン中部のラ・マンチャ(La Mancha)地方は、ドン・キホーテ(Don Quijote)一色だった。何処に行っても、土産物屋にはロシナンテに乗るドン・キホーテとサンチョの人形があった。著者のセルバンテスが泊まった宿も小さな博物館になっていて、マドリッドからのツアー客がそこでお茶を飲み、近くの風車群を廻っていた。
400年経っても色褪せない古典の力は凄いものがある。、英国のストラトフォード・アポン・エーボンはシェークスピア、軽井沢の堀辰雄もいたが、凡そその比ではないだろう。
セルバンテスは24歳の時にレパント海戦に参加した。結果は負傷した挙句、オスマンの捕虜になり、帰国してからも新天地アメリカへ願いも却下されて左遷になった不運な人だった。ただその失意と貧困がユーモラスな「ドン・キホーテ」を生んだというから、何が幸いするか分からない。
昨年ギリシャを廻った時、レパント海戦の舞台になったコリント湾(旧名レパント湾)を通った。もしこの一戦でスペインが破れていたら、長年頑張って来たレコンキスタも水泡に帰して、イベリア半島はまたイスラムに逆戻りしていたかも知れない。広い海峡には、本土とペロポネソス半島を繋ぐ全長で3kmもする見事な橋が架かっていた。
折角なので、その「ドン・キホーテ」を図書館で借りて読んでみた。スペイン文学の権威、牛島信明氏による新訳でとても読み易かった。風車や羊の群れに突っ込み、醜い下女を姫と慕い、カネは持たない騎士魂と宿のオヤジとのトラブルなど、今風にも通用するコミカルさがあった。ただ如何せん長編で途中で飽きが来てしまった。
ドン・キホーテと聞けば、渋谷のディスカウントショップを思い浮かべる時代である。本物に触れて少し軌道修正された。
Friday, 1 August 2025
モスクワ上空を飛ぶ
ロシアとウクライナの戦争が始まると、日本からヨーロッパに行く飛行機のルートが変わった。今までロシア上空を通っていたのが、行きはアラスカ周り、帰りは中東の南周りになった。
例えばJALで東京からマドリードに行くには、ロンドンまで14時間を飛び、更に(乗り換えを含めなくても)計16時間半は掛かる。復路はドーハなどの中東経由になるから、更に時間を要する。長い時間機内で過ごすのは、若い人なら兎も角、年配者にとっては辛いものがある。
ところが中華航空(Air China)だけは例外であった。北京からモスクワ・ミンスク上空を通るので、11時間(複は10時間)と短い。日本〜北京を入れてもJALに比べて2時間は短い。改めて中国とロシアの特殊な関係を知らされた。
時間は短いし、しかも安価というので仕方なくその便を選んだが、地上ではミサイルが飛び交っているかと思うと不安である。それでなくても先月ロシア国内線の旅客機が墜落したり、2014年にはウクライナ上空でマレーシア航空機が誤って撃墜された事件もあった。
中華航空は食事は不味く、映画サービスは故障するし乗客のマナーも悪い。加えて北京空港の職員の態度は横柄で不快になった。便利だけど懲り懲りで、もう二度と乗る事はないだろう。
Tuesday, 29 July 2025
ゲルニカの空襲
Monday, 28 July 2025
エッフェルのレトロな橋
Sunday, 27 July 2025
コロンブスとムラ―ト
Friday, 25 July 2025
Booking.comの宿探し
10年程前だったか、ゼミ仲間と群馬の法師温泉に行った時の事だった。長寿館のレトロな風呂に浸かり休んでいると、玄関の方で何やら騒々しくなっていた。
見ると若いイギリス人男女が宿の主人と揉めている。どうやら石川県の(栗津温泉にある)法師旅館と間違えた事が分かった。その日は宿も満室で日も暮れていた。今から引き返して石川県まで行けるはずもなく、女性は遂に泣き出してしまった。その後どうなったのか、食事が始まったので分からないが、旅にはこの手の失敗が付き物である。
今回の旅も同じような事が起きた。宿は着いた町で探す習わしだ。その方が時間に縛られて焦ることがない。大体夕方5〜6時になるとホテル探しを始める。昔は片っ端から「空いてますか?」と聞き回ったが、最近はBooking.comで予約を取ってから行く。その方が先方もビックリしないし効率的である。何より何度か使うと割引が利くのが嬉しい。
ところが時々とんでもない事が起きる。巡礼で有名なサンチャゴでパン・アメリカ―ノというホテルを予約したが、いざ行こうとすると地図にそれらしき道がない。それもそのはず、よく読むとチリのサンチャゴだった。
トレド(Toledo)に行った時も、Toledo Amman Hotelというホテルを予約したが、暫くしてトレドの名前が入ったヨルダンのホテルだと分かった。慌てて別のホテルを取り直したが、素晴らしいのは(通常返金不可の処を)AIが判断して単純ミスには課金しない事であった。
見知らぬ土地での宿探しは、「泊まる宿がなかったらどうしよう!」といつもどきどきハラハラする。チェックイン出来た時には本当にホッとするが、このスリルがビールの味を一層美味しくしてくれる。
Thursday, 24 July 2025
大正解のキリスト教禁止令
スペインの日本人と言えば、差し詰め今ならサッカーの久保建英選手であろう。流暢なスペイン語で、あれならサッカーを辞めても語学で生きていける。
古くは仙台藩が1613年に送った慶長遣欧使節団があった。ローマ教王に謁見した後、スペインのセビーリャに移った。訪れたセビーリャ大聖堂で、彼らも祈っていたかと思うと急に身近になった。帰国の時になってキリスト教禁止令が出たため、8~11人がセビーリャ郊外のコリア・デル・リオ(Coria del Rio)の町に踏み止まった。
記念碑があると言うので寄ってみると、公園の一角にサムライ像と皇太子が植樹した桜の木があった。今でもハポン(日本)姓の人が残っているという。ただ町は鄙びていて、桜の木も枯れんばかりで複雑な気分になった。
もう一つ、それに先立つ事30年前の1582年に九州のキリスタン大名が送った大正遣欧使節団もあった。こちらはポルトガルだったが、4人の少年が過ごしたリスボンのサン・ロケ教会にも行ってみた。以前彼らが出港した長崎の記念碑に行った事を思い出した。
ただ立派な教会や当時の勢いを見るにつけ、秀吉があの時「キリスト教を禁止したのは大正解だった!」との思いを強くした。あのまま放置していたら、今頃フィリピンや南米になっていたに違いない。
その他、スペイン内戦に参加して死亡したジャック白井や、ポルトガルの寒村で過ごした檀一雄もいた。帰ってから早速その時に書いた「火宅の人」を読んでみたが、娘の檀ふみが「生前はとても読めなかった」というのが良く分かった。
Tuesday, 22 July 2025
トルデシリャス条約
Monday, 21 July 2025
スペインの監視文化
スペイン、ポルトガルを旅した。レンタカーで3週間、5000㎞を走破した。日本とマドリッドを飛行機で飛ぶと約1万キロだから、その半分に相当する。道は凸凹しているし、車線変更は殆どウィンカーを出さないので怖い事この上ない。よく無事に済んだと改めて思う。
どちらの国も褐色の人が多い。8世紀から15世紀までイスラムの支配下にあった名残なのか、将又中南米やアフリカの旧植民地から来た人なのか、フランスやドイツとはちょっと違う人種構成である。
どこの教会も立派である。取り分けサンチャゴやセビリア、コルドバは凄い。目が慣れて来ると、どれもイスラム風からキリスト風に改装したのが分かる。今ではレコンキスタ(イスラム排斥運動)は救国の極みになっているが、改めてイスラム文化の高さにも感心した。
王政と共和制を繰り返した近年の歴史も興味深い。今の国王も元はフランスのブルボン家の末裔だから、歴代の亡命先は決まってフランスだった。殆どはイスラムの影響を受けた地域だが、浸食されなかったバスクやカターニアは別物、独立志向が強いのも頷けた。フランコを生んだ内戦の傷跡が今でも散見された。
とある港町で駐車をしようと幅寄せをやっていた時だった。1.5台分のスペースしかなかったので悠々と真ん中に入れて離れようとした。すると前のアパートから叔母さんが「もう少し詰めないと駄目よ!」と言う。カーテンの隙間から見ていたのだった。
巡礼地サンチャゴの近くに、守護神ヤコブが上陸したと伝えられているパドロンと言う町がある。祀っている教会を探していると、やはり男が窓から顔を出し「そっちでなくあっちだ!」と教えてくれた。どちらも監視されていて、これも(内戦による)内通文化の名残かと思った。
ともあれ色々な体験をした。暫くはイベリア半島の旅を振り返ってみたい。
Sunday, 20 July 2025
万平ホテルのジョン・レノン
久しぶりに ビートルズのHey Jude を聞いた。Judeとは今までJew(ユダヤ人)かと思っていた。しかし実際はジョン・レノンの子供(Julian)の名前であった。当時のジョン・レノンはオノヨーコとの不倫が始まっていた頃で、取り残された息子に励ましを込めてポールが作ったのであった。
そのジョン・レノンとオノヨーコ夫妻だが、70年代の後半だったか、夏の軽井沢で一緒した事があった。アメリカ人のDさんと万平ホテルに泊まっていると、彼らも滞在していたのである。食事時や散歩すると良く擦れ違った。今から思うと写真の一枚でも撮っておけば良かったが、当時はあまり関心がなかった。
Dさんは国際キリスト教大学(ICU)の留学生だった。ゼミの先生が大塚久雄氏で、東大から移って来られた頃だった。岩波新書の「社会科学の方法」は、当時の学生だったら読まない人はいなかったのではないだろうか。その頃先生は全集の出版を進めていて、Dさんも手伝っていた。
そんな縁で、Dさんが軽井沢の別荘にお邪魔すると言うので付いて行った。私は運転手で中々場所が分からず「道に迷いました」と言うと、先生は「運転も労働ですね!」と如何にも先生らしいコメントを頂いた。
あれから50年、ジョン・レノンは凶弾に倒れ、Dさんはオックスフォードに行かれ大塚先生はお亡くなりになった。軽井沢に夏が来るとまるで昨日のように感じる。
Saturday, 21 June 2025
国立公園のキャンプ
G7がカナダで開催された。トランプ関税やウクライナ支援などで、独仏や日本とギクシャクしている最中である。そんな空気を察してか、トランプも逃げるように帰ってしまった。
今回の開催場所はカナナスキス(Kananaskis)であった。何処かと思ったらロッキー山脈の麓、懐かしのバンフやジャスパーの国立公園も近かった。
あれは二十歳の時だったか、夏休みを利用してアメリカの国立公園を廻った。ロスアンゼルスで、親の知人から貰った軍用シュラフを担いで野宿した。グランド・キャニオンを皮切りに、グランドティートン、イエローストーン、そしてカナダに入ってグレーシャー、ジャスパー、バンフの各国立公園でキャンプした。距離が長いとグレイハウンドバスで、公園内はヒッチハイクで移動した。アメリカの壮大な自然は息をのむ美しさがあった。ラジオから流れるベートーベンが、その風景に良くマッチしたのを覚えている。
車に乗せてくれた人は、何故か大学の先生が多かった。取り分けMITの教授は、奥さんが日本人だったり、奇しくも母校のフェローだった縁もあり、よく面倒を見てもらった。イエローストーンで知り合い、ワシントンDCの自宅にも泊めて貰ったり、その後来日した時にも親交を深めた。
また恐妻家(Henpecked husband)を自称する先生とのキャンプも思い出深い。バンフ国立公園のルイーズ湖(Lake Louise)で夜話していると、「自分は家内から逃れて一人旅をしている」と言う。当時はまだ若かったので、そんな心境を分かるはずもなかったが・・・。
あの頃は為替が300円の時代だった。おおらかなアメリカ人と豊かな自然にすっかりファンになってしまった。あれから50年、もう一度行きたいとは思っているが、昨今の物価高と治安も心配で諦めている。せめて良き時代を思い出しては懐かしむ今日この頃である。
Tuesday, 17 June 2025
USスチールと黄金株
ずっと気になっていたUSスチールの買収が決着した。トランプが色々と渋るなら、ブレークダウンも仕方ないと思っていた矢先だった。
特に黄金株の登場にはビックリした。屋上屋を架されたようで、以来喉に小骨が刺さった感じがしている。先方の弁護士が捻り出したウルトラシーなのだろうが、つくづくアメリカ人の悪知恵には感心した。ただ確か日本では認められていないので、法的に大丈夫なのだろうか?
買収金額の2兆円と今後の投資の2兆円、日鉄がコミットした4兆円は凄い金額である。同社の売り上げが8兆円だから、改めてその額の大きさに驚かされる。又買収額はキャッシュで払わねばならない。そんな資金調達も大丈夫なのだろうか?
そして何より100%の完全子会社化の方が気になる。日鉄の経営陣にはアメリカ留学組も多いと聞くが、問題は英語である。所謂契約交渉のような1対1のバイならいいが、マルチ(大人数の議論)になるとレベルが違ってくる。
取締役会など喧々諤々の声が飛び交う中、2〜3年程度の留学英語では到底太刀打ちできないのは明らかである。特に時にはジョークやユーモアも交えて人心を掴む事も必要だ。正直で人がいいだけではマネージに限界がある。
思い出すのは、東芝のウェスティングハウス買収である。アメリカの老舗電機メーカーを大胆にも手に入れたのは良かったが、数年後に破綻して1ドルで売却、東芝もそれがきっかけになり破綻した。トップの誤った決断が、従業員や株主の財産と未来を奪ってしまった。
古くは三菱地所のロックフェラーセンター買収失敗もあった。人種の偏見も根強いし、日本人がアメリカ人を管理する最も苦手な事が、これから始まろうとしている。「鉄は国家なり」の会社だけに心配である。
Saturday, 14 June 2025
偉大な父
先週、長嶋茂雄さんが亡くなった。御年89歳、脳梗塞を患ってから不自由が続いたが、随分とリハビリに頑張っておられた。明るくアグレッシブな性格は多くの人に愛され、国民的アイドルであった。長い間ご苦労様、心からご冥福をお祈りしたい。
その偉大な父の下で育ったのが一茂さんである。父の背中を追って立教から巨人に入った。ただ30歳で戦力外通告を、しかも実の父親から告げられ、暫くして野球を諦めた。
父が社会から評価されるほど、益々小さく感じる自分だったのに違いない。今までよくグレないで来たと思う。最近はテレビで活躍しているのを見るにつけ、やっと自分の居場所を見つけた気がする。
ポルトガルの英雄クリスティアン・ロナルドの長男も先日プロでデビューしたり、松岡修造の息子もアメリカから軽井沢Futuresに参加していた。今はいいが、同じジャンルの父を超えられない時どうなるのか、少し心配である。
一方で全く違う道を歩む息子も多い。アガシとグラフの息子はサッカー選手に、ゴッドファーザーの息子もオペラ歌手になった。この方が伸び伸び生きる事が出来る。
偉大な父から逃れた息子もいた。思い出すのはマッカーサーである。一時は大統領候補にもなった第二次大戦の英雄だが、一人息子は戦争が終わるとジャズのピアニストになった。やがて父親の名前が重荷になり、姓も変えNYの下町に消えて行ったのである。
また古くはロシアのピュートル大帝もいた。ロシアの西洋化の礎を築いた人だったが、息子は病弱で性格も大人しく父と対立した。その父から逃れようと、挙句の果て反旗まで翻したが失敗し、最後は(父に)処刑された。戦乱の世にはよくある話かも知れないが、何故か気になっている。
そもそも偉大な父なんて世間が勝手に付けた形容詞に過ぎない。それなのに実際は中々その呪縛から抜け出せないのである。
Tuesday, 10 June 2025
ガウディ没99年
TVを見ていたら、芦田愛菜さんのバルセロナ旅をやっていた。随分予習をしたようで、連れの女優相手に蘊蓄を披露していた。改めて解説されると勉強になった。有名なサグラダ・ファミリアも良かったが、やはりガウディが設計し、晩年の住居として使っていたミラ邸は、彼をより身近に感じる場所だった。
というのも、中公新書の「物語 スペインの歴史、人物編」の中には、ガウディの最後が詳しく描かれていたからだ。これを契機に読み返してみたが、彼はその日、いつものようにサグラダ・ファミリアでの仕事を終え、教会のミサに出てそのミラ邸に帰宅するはずだった。
処が途中で市電に轢かれて3日後に亡くなったのであった。享年73歳、今から99年前の1926年の今日6月10日であった。
病院に担ぎ込まれた時は浮浪者と間違えられた。採食主義者だった栄養不足が風貌に表れたのか、一生独身だった彼の食事は、ミラ邸の守衛の奥さんが三食作っていたという。事故の発覚も、帰宅が遅くなり不信に思った奥さんの機転が功を奏した。
著者の岩根氏は学者だが、当初作家を目指しただけあって、文章にメリハリがありとても読みやすい。前作の「物語スペインの歴史」も、セルバンテスに焦点を充て面白く纏めていた。この物語シリーズは、往々にして年表の羅列で終わる無味な学者が多い中で、「ウクライナ」の黒川氏と並んでいい出来はピカ一と思っている。
因みにサグラダ・ファミリアは来年に完成するという。その奇抜な配色はあまり趣味でないし、塔の材質にはコカ・コーラの空き瓶も入っていて興ざめした記憶がある。ただ聖書に長けキリストの物語を知ると、自ずと見方も変わってくるのである。
Thursday, 5 June 2025
天安門とマイケルチャン
Friday, 30 May 2025
お寿司の話
寿司屋といえば、思い出すのはYさんである。Yさんは名門ラグビー部のOBである。後輩の面倒見がよく、よく学生を連れては飯を食わせに行っていた。ただその奢り方が半端でなかった。
体育会の大柄な選手たちだから食べる量も半端ではないのを知ってか、親仁に「このカウンターの魚を全部でいくらする?」と聞く。親仁は「そう60万円位かな?」と応えると、「いいよ」と始める。そうすると学生は(当たり前だが)遠慮する事なく、思う存分食えるので大喜びするという。
Yさんは食品を扱う問屋の社長さんであった。食べ物にはお金の糸目をつけないのか、将又宵越しのカネは持たないのが信条なのか、兎に角豪快な人だった。私も一個何千円もするフルーツや、冬になるとナポレオンの紅茶割など、高価な珍味を随分ご馳走になった。この辺はチマチマ生きるサラリーマンには中々マネ出来ない芸当であった。
その寿司の食べ方であるが、バブルの前後で少し変わった。それまでは例えば一人前を取ったとすると、安い玉子から始まり一番高価なマグロは最後の楽しみに取っておいた。処がバブルが崩壊して先行きが不透明になると、まずそのマグロから始めるようになった。「信じられるのは今」の動物本能である。
又日本人と外国人では食べる順序が違う。日本人はまずつまみと酒を楽しんでから、最後に握りで〆るのが一般的である。ただ外国人は反対に、握りでお腹を満たしてから酒を楽しむ。夕方Pubにビールを飲みに来るのも、食事を終えてからの由来に関係している。
Tuesday, 27 May 2025
ごっつぁんです!
先日、築地の寿司屋に行った時だった。若い力士二人を連れた四人組が入って来た。カウンターに力士を挟んで、如何にもタニマチ風の年配夫婦が座った。
力士は当初遠慮がちに箸を進めたが、アルコールが廻って来ると、どんどん注文をし始めた。寿司は二貫から一度に6〜8貫、大トロ、中トロ、アワビと高いネタもお構いなしである。マグロの串焼きも一挙に4本、その量は尻上がりに増えて行った。
一方タニマチ夫妻は財布を気にしているのか、飲むけど殆ど寿司には手を出さないのが対照的だった。力士は会話もなく黙々と食べ続けた。これには流石、「ごっつぁんです!」の世界に慣れているとはいえ、どうなのかな?と心配になった。20代前半から、こんな世界に浸ってしまって大丈夫なのだろうか?
思い出したのは、昔TVの特集番組で見た元横綱輪島であった。「黄金の左」の投げの豪快な力士だった。ただ現役を引退してからの晩年は、懇意だった居酒屋の一階でゴロゴロ、昼から酒を飲んで過ごしていた。それは現役時代の勇姿を知っている者から見ると、哀れであった。
サラリーマンは原則割り勘である。日本橋に「清く割り勘亭」という飲み屋があったが、ネーミングが安心感になり繁盛していた。言うまでもなく人間関係が長く続く秘訣でもある。
芸能人やスポーツ選手は若い頃にチヤホヤされるから、その慣習が全然違う。築地の若い力士を見ていてそれが気になった。
Thursday, 22 May 2025
ポルトガルとシルクロード
トランプ関税の末路について、ある人がシルクロードを引き合いに出していた。
シルクロードは古来東西を繋ぐ陸路として栄えたが、オスマン帝国が通過税や関税を課していた。ところが15世紀になってヴァスコ・ダ・ガマが海洋のインドルートを開拓すると、海運のスピードと安い輸送コストの煽りで、シルクロードは衰退したのであった。
所謂大航海時代の始まりで、その先駆けになったのがポルトガルだった。水は低き所に流れる。今回も米国を通さない物流が大きくなると、第二第三のポルトガルが出て来るかも知れない。
来月イベリア半島の旅を計画しているが、そのポルトガルは今までヨーロッパで唯一行った事がない国だけに楽しみである。あえて避けていたのには理由があった。


















